第八章(裁かれる者たち)その7

 

(筆者が現在経営する霊園のガーデニング墓地。石材店がモデルさんを使って販促写真を隔年5月に撮影します)

平成二年(一九九〇年)八月二日、前月末から南部の国境地帯に密かに集結した十万のイラク軍が突如国境を越え、クエート内に侵攻した。僅か六時間で首都を陥落させる。この侵攻の理由は、イラクの独裁者、サダム・フセイン大統領が元々、クエートはイラク領だと主張していたことや、イラン・イラク戦争でイラク経済が疲弊し、原油の値を上げるしかないのを、クエートがイラクが主張する生産調整策に従わなかったからだろうと言われた。
だがアメリカから見れば、これは冷戦後の世界秩序を破壊する行為であって、断じて許せるものではない。アメリカを支持する自由陣営の国々がイラク相手に立ち上がることになった。
さて日本国内を見れば、日経平均株価は暫くは二万数千円を上下して、二度と三万円台に戻る気配は無かったが、それでも土地神話はまだ崩れず、住専と言われるノンバンクを中心に、まだまだ強気の投資が続いていた。
土地の高騰が沈静化しないことに日銀はいらいらが募り、次の一手を打たねばと思い出した。
一方、龍平はイラク侵攻の数日前、光明の家の大阪の教化部に「光明の家祝福賛嘆会」の八月分の会費を納めに行った時に、壁に貼ってあった掲示から、「日曜講演会」という光明の家の講演会があることを知ったので、八月の第一日曜日、暇つぶしと興味本位でひとりで教化部会館に出かけていた。
講演会は開館の二階の一番大きな部屋で行われたが、その入口に龍平が向かうと、丁度講演会が始まる直前だったからか、一時に大勢が押し掛け、受付テーブルの前辺りが特に混み合っていた。

奥で係の者が数名「ありがとうございます」と口々に言ってるのが聞こえる。
「あれ、講演会は無料ではなかったのか」と胸の内ポケットから財布を取り出しながら受付の前にやって来たが、名前を書かされるだけで、お金をとられる訳ではなかった。龍平が芳名録のような紙面に名前を書くと、受付の数名の人間が一斉に「ありがとうございます」と合掌した。
怪訝な顔で会場内に入って、会場の後ろの空いている椅子に腰をかける。そして隣の白髪交じりの男に声をかけ、分からないことを聞こうとした。
「すみません。今日初めてなもので、何も分からないのですが、もう何度もこの講演会にいらしているんですか」
「俺のことかい。俺は大阪じゃない。岡山から来たのさ。今日の講演は岡山教区の有名な教育界の先生だからさ、俺は先生の行く所、追っかけしてるっていう訳さ」
「そうなんですか。子供の教育問題の講演会だったんですか。それでお尋ねしたいのですが、先ほど入口で係の人が、一斉に私を拝んでいたように見えたんです。あれはどういう意味なんでしょう」
「君なんか、誰も拝みはせんよ」
「でしょうね。じゃあの時、私の後ろに、どなたか、偉い先生が通られたんですね、きっと」
「あほか、君は。縦横厚みのあるこの三次元の世界にいる君なんかを、誰も拝んではいないぜって言ったんだよ。あの人たちが拝んでいたのはね、君の奥にある、神仏が創られた、ほんとうの君って言ったら良いのかな、君の神性(しんせい)、仏性(ぶっしょう)を見透してだな、『ありがとうございます』って拝んでいたんじゃないか」

「それが建物内のあちらこちらに『神性』と書いた額が架けてある意味なんですね」と龍平は、やはり本を読んだだけでは、よく解ってはいなかったことにつくづく気づくのだった。
それにしても今日は教育問題の講演会とは迂闊だった、同じ来るなら経済問題を解決する講演会の日に来るべきだった、そんな感情が、無意識に口を滑らす。
「教育問題より経済問題の解決法を聞きたかったなあ」のひとり言を、隣の男は聞き逃さなかった。
「ふん、そんな態度だから、いつまでたっても問題は解決しないのさ。先生が教育問題の話をされる中に、君の経済問題を解決する鍵は、いくらでも隠されているんだ。要は聞く耳を持つか、どうかなんだよ。真理はひとつなんだから」
「そんなものですか」
「そうよ。光明の家の創始者、高橋大聖師は、生前にいつも、真理はひとつと、人差し指を掲げて説かれていた。いろいろな問題毎に様々な解決方法があるんじゃない。真理はひとつなんだ。それを悟れるかどうかだけだ」
龍平はぎょっとした。光明の家の創始者、高橋は既に亡くなっていた。そんなことも知らない自分の無知さに呆れかえる龍平だった。
不登校の児童を持つ家庭の問題や、家の中でいがみ合って、病気ばかりしている家族の問題とかが話の中に出て来たが、家庭の中で誰が中心者なのかをはっきりしたら、親子が互いに理解し合ったら、先祖供養をして先祖に感謝ができたら、それらの問題は消えていたというような話だった。こんな話から経済問題を解決する鍵が得られるとは、龍平には理解できないまま講演会が終わってしまった。

呆然としたまま帰ろうとする龍平を呼び止め、隣の男は、「ありがとうございます」と、帰り行く人に合掌する人々を指差して言った。
「そうだ、君、今日の講演会の運営をボランテイアでやっている人たちを見てご覧。どうやら大阪の『繁栄経営者の会』のようだ。光明の家の外郭団体のひとつだが、日曜講演会はあの人たちが運営する役回りらしい。経済問題で悩んでいるのなら、あの会に入ってみたらどうかね。たしか経営者でも、経営者でなくても入れる筈だ」
龍平は光明の家の話を聞きたいときに聞くだけで良かった。俊平と揉める原因をこれ以上増やさないよう、新興宗教の信徒にはならないと心に決めていたので、譬え外郭団体であろうが、会員になるつもりはなかった。
そうは思うものの、受付を通って出る時に、テーブルに積まれた「大阪府繁栄経営者の会」のパンフ一冊を貰って帰る。
さて話は前後するが、その頃、船場で龍平は思わぬ噂を耳にした。大村商店の社長の大村が一年前に亡くなっていたのだ。
大村商店は龍平の寝具事業の販売先で、羽毛を一度台湾から輸入して貰ったことがある。ところが期日通りに支払い出来なくて、結局数か月後に、八幡工場前半分の売却代金の一部を使って俊平に払わせたのだった。
その支払い時期は、八幡工場の売却時期の昨年六月中旬のことだ。ところが大村が亡くなったのも、ほぼ同時期だったと言う。原因は突然の病死だとか、大手商社を辞めた後、退職金で楽隠居しておればよいものを、若い後妻に良いところを見せたかったか、退職金を使って会社なんかを立ち上げたから、その心労が命取りになったなどと噂していた。

大村を過労死させたのは自分ではないかと龍平は不安になる。もしそうなら龍平は大切な恩人を殺したのだ。現在の龍平の認識レベルで、光明の家の聖典を読む限り、貧乏の極にあって地獄の釜の底をのたうち回るのも、そんな因果の報いの結果のような気がしてくる龍平だった。
大村商店に支払いをした後、会社に行ってみると、既に会社は無かった。光明の家を熱心に信仰していた叔子夫人はどうしているのかと気がかりだ。だが住所も勤め場所も手がかりがなく、調べようが無かった。
一方、南河内郡丹南町の三千坪の山林を四十五軒の宅地に変える造成工事は順調に進み、八月には完成した姿を見せるに至った。開発費用から造成工事迄、何から何まで資金を立て替えていたのは、南大阪の有力者、黒田である。後は大阪府が開発調整から外しさえすれば良かった。それさえ叶ったら、後は楠木住建が一括して買ってくれる段取りだった。
黒田はこの後、大阪府への調整解除の申請の後押しにと、丹南町議会にその嘆願の決議を求めた。丹南町は黒田に言われたら、従わなければならない関係にあった。だがこの目論見は後に失敗に終わる。たかが私人の土地の調整外しに丹南町議会が協力せよとは、筋の通らぬ話だからだ。
八月三十日、十四億円で一年前に栄光建設に売却した八幡工場の前半分を、なみはや銀行ではなく、浪銀ファイナンスからの融資を受けて、今度は十六憶円で栄光建設から買い戻した。
全額を融資した秦田はこれがベストな策だとは決して思わないが、そうするしか無かった。日本の土地価格の高値維持は明らかに限界が来ていた。
奇しくもその日は、日銀がその結果も考えずに、公定歩合をいきなり六パーに引き上げた日でもあった。

第八章 裁かれる者たち その⑧に続く