第十章(自分が変われば世界が変わる) その1
(筆者が経営する羽曳野市の霊園。玄関は扇の要にあたり、ここから管理棟の前を通って奥に進むと、扇を開くように霊園の各ゾーンが眺められる)
八月の桜台西自治会の霊園新設を巡る第二回の住民集会に、龍平は初めて参加した。本田は出席せず、代わりに松原市の山原建築設計事務所の社長が出席し、俊平、坂下を含め、事業者側からの参加者は四名だった。
第二回目ではあったが、相変わらず「墓要らん!」のシュプレヒコールが繰り返される中、住民は一切、事業者の弁には耳を貸さない。
俊平は終始黙っていた。しかも龍平にも、絶対に発言はならないとわざわざ釘を刺していた。
龍平には生まれて初めて見る父の姿だった。
恐らく俊平は、我慢の子を演じなければならない場面が、六十九年の人生には何度もあった筈である。だが家族や親族には、このような格好の悪い自分を見せることは、流石になかったであろうということだ。
そしてやっとのことで、下村区長に次回の集会は十月にするとの約束をさせる以外、何の成果も前進も無く、俊平たちは丹南町桜台西地区集会所を後にした。
九月になったある日、ひょっこり坂下がやって来る。俊平会長と世間話がしたかったと、アポ無し来訪だった。
坂下社長が考えているのは、丹南メモリアルパークへの同意書が揃った後のことだ。公言している契約残金の二十七億は払わないと決めていた。
このことは、俊平にも、浪銀ファイナンスにも、なみはや銀行にも、今は絶対に内緒の話である。
その暁に土地の名義人は野須川寝具産業から宗教法人香川大社に移っているだろうし、担保も解除されている筈だ。
香川大社の代表役員は野須川俊平である。それが今回の霊園開発に注文を付けた浪銀並びになみはや銀行の条件だった。法的にも、有り難いことにその時点で債務の見返りである担保がついていないあの土地は、正真正銘の野須川俊平のものなのだ。
だから野須川家が霊園の経営者となって墓地を管理すれば良いし、一方墓地を分譲し墓石を建てる営業の仕事は、関西石材とその仲間が行えば良い。
バブル債務はあと何年かかろうが、年々に入って来る墓地代で、野須川家が払って行けば良いのである。但し墓地全部の分譲が後何年かかるのかと、天文学的なバブル債権を抱えて瀕死の金融機関が、いつまで持つかの問題だろう。
霊園事業に転業の為、野須川寝具には頃を見計らい、廃業して貰わねばならない。
霊園経営は息の長い事業だ。来年古希を迎える俊平が手を出すことではない。息子の龍平にやって貰わねばならないのだ。
だから龍平には何時までも本業を続けさせる訳には行かない。但しこの戦略を、俊平や龍平に言うことは出来ないし、そうすれば金融機関にばれてしまうだろうと、坂下ははてどうしたものかと思案を巡らせていた。
坂下は俊平に突然、野須川寝具の本業を話題にしてきた。
「野須川会長、龍平さんがされている寝具の本業はいかがですか」
「いやあ、まったくぱっとしません。黒字の月は利益が数十万円、しかし一旦赤字となると数百万円の赤字になってしまうのです。年間では結局大きな赤字になって、儂の財産が年々息子によって減らされているのですよ」
「それなら止められた方が良いのではありませんか」
「そうかもしれませんが、そうも行かないのですよ。もしも損失を恐れて廃業などにしたら、なみはや銀行は当社に破産をかけて来ますからな。そうだ、儂もそのことで考えていたのだった。おおーい、龍平。ちょっとこっちに来い」
たまたま事務所にいて、デスクワークをしていた龍平が俊平や坂下に呼ばれた。
「坂下社長、桜台の住民集会以来でしたね。父がいつも大変お世話になっています」
「龍平さん、住民集会で驚かれたでしょう。しかし霊園開発を巡る住民説明会の始めの頃は、いつでもどこでも、あんなものです。そのうち前進しますから、心配しないで下さい」
「待て待て、龍平。お前を呼んだのは、お前の事業の話をする為だ。時には赤字を出すこともあるかもしれないが、もっと事業規模を縮小したら、赤字黒字の振りが小さくなるのではないかと思うのだ。だからいっそ指圧敷布団一本で勝負したらどうだろう。羽毛布団の製造付加価値は上限で三割。ところが特許の指圧敷布団なら四割とれるだろ。売上を落としても、そのままストレートに付加価値(粗利)が減る訳ではないのだから」
坂下は頷いて俊平の顔を見た。廃業に持ち込むには、先ずは事業規模の縮小がその前段階だからだ。
敷布団が付加価値率の高いのは特許を持つこともあるが、製綿工程とキルト工程とヘリ付け工程の三段階で作られるからである。羽毛布団にも前段階として精毛工程がある。原毛を洗って、風力で洗った原毛を比重で分けて行き、ダウン(綿毛)だけ取り出す。ただ龍平の工場にはこの設備が無かった。だから羽毛布団には縫製と吹き込みの工程しかない。龍平がいくら言っても、俊平が買わせなかった。
坂下はここぞとばかりに口を開く。
「私などが嘴を入れることではないですが、私の経験で考えてみても、会長はよく考えられていると思います。龍平さんも、是非その方向で考えてみられたらと思いますよ」
「龍平、考えることはない。その方針で行こう。来月からそうするのだ」
「待って下さい。そんなことを一挙にすると問題が発生します」
「人減らしが嫌だと言うのか」と俊平は龍平の顔を睨んだ。
「そんなことではありません。現在の月商は、四千万円から五千万円。それに必要な原材料の仕入れは三千万から三千五百万です。ここで敷布団に絞ると売上は二千万円くらいに落ち込むと思います」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだ。二千万円の売上になっても良いと言ってるんだ。それでも八百万の付加価値は確保できるよな。従業員を減らして経費を抑えれば、大きな赤字が出る訳はないだろう」
龍平はまだ何か言いたいことがあるようで、客人がいるのもお構いなしで、執拗に食い下がる。
「おっしゃる通りです。私が言っているのは収支ではなく資金繰りです。そんなことを一挙に強行したら、嘗ての訪販事業を止めて、受注生産の卸業に転業した時のように、慢性的に買掛金が残って、再び仕入先がこの事務所に支払いを求めて日参することになります」
坂下は身体を乗り出して発言した。
「龍平さん、教えて下さい。その時、いくら買掛金が残ったのです」
「三千数百万円でした。それを解消するのに何年もの歳月がかかりました」
「何年か経てば解消できたのですか」
龍平は一旦資金不足となれば、絶対に時間の経過だけでは解消できないことを強調した。
「いいえ、二年後に遊休資産を一千万円の評価で仕入先に譲渡して買掛残を減らし、その二年後にバブルが始まって、八幡工場の前半分を売った金から会長に二千万円出してもらって、ようやく正常な買掛残になったのでした」
「それでは今回の月商を三千万落とせば、買掛金は正常値からいくらはみ出すと」と坂下は龍平に尋ねた。
「二千万円です。現在の月間仕入高と二千万円になった時の月間仕入高の差額です。売上を伸ばさない限り、自力でこの解消は不可能です」
売上入金は当月中に使ってしまう。しかし当月仕入れた原材料の払いは翌月末にする。つまり一ヶ月間の運転資金を仕入先業者が支払を待つことで負担していたのだ。繊維業界の慣習だが、売上が一定なら良いが、売上が急激に落ちたら、仕入が減少する分だけ資金が不足するなどと、常識的には考えられない財務事態が発生するのである。
俊平は不機嫌に声を荒立てた。
「二千万だったら、お前の方で時間をかけて解消して行けよ」
坂下はこの親子の対立に口出すのは今だと感じた。またもや龍平に生産量を増やさせると廃業は遠のいてしまうのだから。
「野須川会長、それはいけません。会長の方から、月間生産高を三千万円落とせとおっしゃったのです。だったら龍平さんに二千万円出してあげないと、この話、前に進みませんよ」
「坂下さん、そんな金は儂には持ち合わせがないぜ」
「会長、何をおっしゃいます。先日、寧楽銀行からお借りになった資金があるじゃないですか。そこから是非とも二千万円出してあげて下さい。私からもお願いいたします。そうでなくとも、霊園開発に反対する住民の目があるのに、羽毛布団の資材メーカーが支払いを求めてこの事務所に押し掛けるところなど見せられないでしょ」
「うーん、坂下さんに言われたら仕方ないか。そうするしかないか。二千万をここで使うのは本当にもったいないがな。よしそれでは、今月いっぱいで羽毛布団の製造を終了し、その生産に従事する者の肩を叩いてこい」
肩を叩けとは馘首してこいということだ。
龍平は、良く知らなかった関西石材の坂下社長が思わぬ助け船を出してくれたことに感謝した。
坂下社長とはこれからもうまくやって行けそうだと思う。
勿論、龍平は坂下が自分を廃業させたいなどと思っているとは、まったく知らずにいた。
龍平はこの方針の変更を相棒の加藤に伝えた。加藤は龍平の妹の旦那である。平成元年、バブルが始まった時の入社であった。
俊平会長から、敷布団の受注を、ただの固綿敷布団から、特許の指圧型敷布団に変更せよと言われてから、加藤は得意先から無数の苦情を一身に受け、売上高を大幅に落としていた。
加藤は専ら寝具業界の流通業者を担当していた。一方龍平は小売業者を担当した。
龍平は俊平から敷布団のスタイルを云々されると、自らの販売力で商品を販売する外販の小売業者にシフトした。加藤は龍平のような芸当はできない。
羽毛布団は受注できず、指圧型敷布団一本で営業するなど、自分には不可能だと、加藤は辞表を提出した。
残る本社のスタッフは経理総務の池田と、女子事務員の水野と、無給で毎日会社にやってくる高齢の長村だけだ。
八幡工場も、製綿要員三名(一人は関田工場長)、キルテイング要員二名、ヘリ付けミシン要員二名、出荷要員一名、事務員一人だけを残して、月末で後は全員解雇した。
幸いにも全国に寝具のシステム販売をする、泉州の利休毛織RKBの敷布団の取扱は順調に伸びていた。
だが京都山本の指圧敷布団の扱いは一向に増えなかった。
龍平は城陽寝装に謝りに行く。俊平の出した方針では、とても取引を続けることは出来ないからだ。
そのことは借金の弁済計画に暗い影を落とした。元々仕事の仕入支払で発生したのだから、返済額に充当する金額は城陽寝装への売上入金を使った。ただし消費者金融の金利まで会社の資金を使うと、決算が歪むと途中で思い出し、龍平が光明の家繁栄経営者会に入った頃から、正直に金利だけは自分の給与から払うようになっていた。借入残高は六百万弱。毎月の金利は十二万円にもなる。毎月小遣いがまったく無くなる負担だが、自業自得のことだった。
問題は城陽寝装との取引が無くなれば、代わりの企業が現れない限り、返済も利払いも龍平の個人負担になるのだ。
第十章(最終章) 自分が変われば世界が変わる その②に続く