第五章(和議倒産) その7 

(筆者が寝具製造業から葬祭業に転業して、大阪府から許認可を得て開発した堺市美原区の霊園の、駐車場の余地を利用して造ったペットの合葬墓である。これは営業用販促写真で二人はモデルさんだ。)

会議室の隣の会長室の電話が鳴る度に、秘書の女性が電話に出る声が微かに聞こえる。
外は朝から曇り空だったが、雨が降り出す。菜種梅雨が始まったようだ。
俊平は出席者全員の顔を見回し、会議を進める。
「本題に入ろう。香川さん、日銀の金融の引き締め政策が露骨な段階に入った話から始めて下さい」
香川は、日銀が遂に公定歩合を、七年前のオイル・ショックの時の九パーセントという高さに引き揚げたこと、七年前はほんの数ヶ月間で元の六パーセントに戻ったが、今回は一年や二年は、この金利水準で行くかもしれないと、これでは一年間の支払利息は六億円に達するだろうと、この極端な金融引き締めに、当社を耐えさせ、当社を維持するには、独立企業体の北海道カシオペアを除く、販社九社に投資して来た資金の回収にかからねばならないこと、そして同販社の固定費を限界まで削減すること、北海道カシオペアを除く、販社の資産を可能な限り売却し、作った資金を貸付金の回収に充当し、本社からの貸付金残高、販社振出しの手形残高、各社の投資有価証券勘定(各社の資本金)と言った販社への債権の合計を、二十億円以内にする方針を発表した。

参考資料として各社への債権残高と、野須川寝具産業が所有する全不動産の簿価と時価の比較を算出した数表が参加者全員に配布された。
坂本専務が先ず挙手して意見を述べる。
「何が二十億以内ですか。その二十億は全額不良資産ではありませんか。我が社の不動産の含み益が二十億円あるから、それでバランスがとれると言いたいのですか。各所の工場を設備投資して、二十億の含み益を出すのに何年かかったのです。それを僅か三年で訪販事業が食ってしまったのですか。カシオペア事業で二十億もの損失が出たのなら、龍平君、君が作った南関東の損失は、その内いくらなのだ」
「坂本専務、まあまあ、いまそんな話をされなくとも」と長村専務が話題の変更に誘導する。
「正直、販社の資産売却によって、債権を二十億以内に出来るのかどうかは正念場です。その為に近藤部長が地方の店を回って、日夜奮闘して下さっています」と香川。
「南関東販社には近藤部長ではなく、龍平君が行けよ。それが責任のとり方だろう」と坂本。
「話を戻しますが、そういう状況ですから、後の三営業部には、更に売上と入金のアップをお願いしたいのです」と香川は頭を下げた。
それには井川専務が反発する。
「香川さん、あなたは財務のスタッフの立場だから好きなことが言えるが、季節変動も市場の動向もお構いなしに、こちらは毎月二億円の京都山本からの手形入金と、売上の二十五パーセントの付加価値をノルマにされているが、随分京都山本に無理を言って必死にノルマを達成して来たのだ。それを更に数字を増やせと言われても、出来る訳ないでしょ」

三人の専務の中で、ボス的存在になった坂本は、俊平の顔色を伺いながら、井川を抑えにかかる。
「井川君、これは会社を活かすか、潰すかを議論する会議なんだ。僕らが初めから出来ないと言ってしまえば、総て終わってしまうだろ」
「坂本さん、それでは毛布事業部は受けて立つと」
「僕のところだって大変ですよ。日本国中の企業にカール毛布の販売を頼んでいます。君のところだって、京都山本だけでなく、大阪山本や、東京の山本産業や、昭和山本にも、肌布団やコタツ布団の販売をお願いしたらどうなのですか」
「それをやってはいけないのが業務提携でしょ。分かっていて、そんなこと言わないで下さい」
「まあまあ、そうおっしゃりながらも、井川専務はきっと協力下さるのは承知していますし、もしもそれでも入金が不足する時は、坂本専務が最後にはなんとかして下さるので、財務本部としては大助かりです」と長村専務が両専務の間に入ってなだめる。
香川は怪訝な顔で、話が脱線していると意見し、出席者全員が懸念する、カシオペア事業の売上低迷対策として、なみはや銀行の方針通り、独立経営を続ける北海道カシオペアを除いて、全販社を解散させ、黒字店のみ社内に取り込んで直営店としなければならないと説明した。そしてこの方針は、二ヶ月前から俊平会長の了承の下、既に実行に入っていると付け加える。
今から一年半前、東京銀座の京橋ビルに全国の販社の社長を集め、第一回のカシオペア販社各社の決算会議をした頃の、カシオペア販社の月商は五億円だった。それに対する野須川寝具側の商品卸高は二億円である。カシオペア事業部の人々が、これで先達のミツバチ・マーヤに追いついたと感じた瞬間だった。

そしてそれは同時に、俊平の悲願だった年商百億円に繋がる、野須川寝具の月商八億円の達成が、現実味を帯びた瞬間でもある。
しかしカシオペア販社で滞留売掛金が指摘されだすと、販社の売上は萎んでしまった。その間に、ミツバチ・マーヤは順調に売上を伸ばし、今や遙か先に行ってしまっている。
事情は様々だが、販社の五社が廃業した。現在、北海道を除くカシオペア販社、即ち北関東、南関東、中京、中国の四社と直営の福岡店の売上は、合わせても月、一億五千万円が精一杯だ。北海道に卸す五千万円と、小売一億五千万円の下代六千万円を加えても、統括事業部の月間売上は一億一千万円に過ぎない。
それを見て、なみはや銀行は、北海道を除く店総てを直営にし、直営店の小売高を野須川寝具の売上にしろと命令したのだ。その場合、北海道に卸す五千万円に、直営店の小売高一億五千万円が加わるから、最盛期時代の月商二億円が統括事業部の売上として計上できるのである。
「なるほど、これなら世間は訪販事業の売上ダウンに気づかないだろう。今は最盛期の四掛けだ。売上を落とさなかったのは北海道だけなのだ」と出席者は口々に銀行案を褒め讃えた。
「販社の解散は大賛成です。これでどれだけ無駄な人員が整理できるのか」と坂本は本音を明かす。
「しかし今まで会社の発展を夢に見て、この三年間頑張ってきた販社の本部スタッフを、お役御免とこちらの都合でばっさり切るのですよ」
「そりゃ、井川君、僕だって辛いさ。でも会長が一番辛いのさ。ねえ会長」と坂本が言うと全員の視線が俊平に集まる。

「カシオペア事業はこの私が始めたこと、二十数億もの資金を使った結末がこの有様なのは、総て私の責任だと反省しています。なみはや銀行様にも大変な迷惑をおかけしているし、坂本君や、井川君にも、そのしわ寄せが及んでいるのを、大変心苦しく思っています」
「止して下さい。私はなにもそんなつもりで言ったのではないのです。会長はカシオペア事業を、このままで終わらせる方ではないと信じていますから」と坂本は俊平に一礼した後、顔を上げて全員を見回した。
井川は仙台店の閉鎖処理から帰阪した近藤に質問する。
「近藤部長は仙台に行っていたのですね。仙台は閉鎖になったそうだが、その前に北海道の河野社長が立て直しに行っていながら、何故閉鎖に決まったのだ。直営店として残せないのか」
「報告します。私が出張する二ヶ月前に、俊平会長の了解の下、北海道の河野社長が仙台再建に入ったのですが、入ってみてこれは駄目だと、閉店するしかないと会長に言ってきたので、私のチームの、仙台店を閉鎖する出張となったのです。ですが行って見ると、驚きました。残った資産を現地で売却し、資金を作って本社からの借入金の返済に充当しようとしたのですが、資産という資産は、殆ど何も残っていなかったのです」
「それは先に入った北海道にしてやられたということではないのか」と井川は激高した。
「そうかもしれませんが、そうと決める証拠もありませんでした」と近藤は冷静に答える。
「これ井川君、北海道の河野社長も、仲間ではないか。しかもカシオペア販社の中で、不良資産も作らず、健全に経営を続ける販社は、中京と北海道の二社だけなのだ。今や売上もトップである北海道が、

カシオペア販社の模範で有り、鏡でもあるのだ。そんな会社の社長に対して、めったなことを口にするものではないよ」と俊平は井川を抑えた。
龍平ははっと気づく。北海道にも不良売掛金があったのだと。それを消すために河野社長は、再建に行かせてくれと俊平会長に頼んで仙台に行き、そこに残る資産を北海道に持ち帰ったに違いないと龍平は想像する。
井川は余程腹の虫が治まらないのか、俊平に更に角度を変えて食ってかかる。
「会長、店舗を直営にするって言っても、今の店が本当に全部残るのですか。北関東の宇都宮店、高崎店、中国の広島店は残せないでしょう。黒字企業と褒められた中京販社の西山社長は、この年度末、会社を解散するのを機会に、全店閉鎖を宣言されていると聞いています。だったら月の小売高一億五千万円の前提だって崩れるじゃありませんか。統括事業部の岩井君、君の存念を聞かせてくれ」
岩井本部長はいきなり振られて慌てたが、「その件は会長がちゃんと対策を練っておられますので、会長に説明いただきます」と逃げた。
「カシオペア事業の僕の戦略の具体的内容まで話すつもりはなかったのだが、誰も納得しそうにないので極秘の戦略を話すことにしよう。くれぐれもこれは極秘事項だから、そのつもりで」
「会長、もったいぶらないで、早く教えて下さい」と井川。
「実は北海道の河野社長だが、仙台で思わぬ人物がアプローチを掛けて来たのだ。長年勤めたミツバチ・マーヤを辞めた竹中だ。河野社長は竹中を大阪に連れて来て、僕に引き会わせたのさ」
俊平の話は、出席者全員を仰天させるものだった。

第五章 和議倒産 その⑧に続く