序章(廃業の決断)その5


楕円形の会議テーブルに座っていた全員が凍り付く。
(どうやら我々は空気を間違って読んだらしい。龍平さんを会長は嫌っておいでのようだ。)
長い沈黙の後、龍平はようやく口を開いた。
「言われれば、少し多いようです、何故か延滞金督促システムに不具合があるのかもしれません、早速コンピューターから全売掛金の明細を打ち出し、もう一度振込入金が延滞しているものを精査することにします」
「何を今さら。そんなことは言われる前に気づかなくてどうする! 何でも電子機械に頼るお前では経営管理者は勤まらないということだ」
「申し訳ありません」
「もういい。今月中に報告書を送って来い」
「それは無理です、今の売掛金件数では全部精査するのにあと数か月は掛かります。とにかく延滞金が新たに見つかり次第、督促もして行きます」
「そんなに待てるか! 良いか、では来月いっぱい時間をやろう」
「それは物理的に無理だと申し上げました」
息子の思わぬ反抗的な態度に顔色を変えた俊平は、龍平を睨んで立ち上がった。驚いたことに、龍平も俊平を睨みながら立ち上がったではないか。
(写真は筆者の前の会社の昭和53年頃の訪販部門に配布された社内報)

おまえなど要らん、おまえは降格だ!と言おうとしたが、俊平は怒り心頭になりながらもそれをぐっと堪えた。
・・・どうぞ、遠慮なく言ってください。カシオペア南関東は私が一人で創った会社です。私を外したら、どれだけのセールスマンが職場を去るのでしょうか。それでも良いのですか!・・・
開き直った息子龍平の眼が、怒りの感情のままに、生意気にも、不遜にも、自信たっぷりに父親に刃向かうように見えたからだ。
・・・一体いつからこいつは俺への対抗意識をむき出しにする人間になったのだ。こいつは自分が処分を受けそうになれば、売上を人質にとってでも処分を回避する気に違いない。なんて卑怯な奴だ!・・・
しかしこの二人の睨み合いは、野須川寝具の役員たちや販社の社長たちの執り成しで、そう長くは続かなかった。流石に感情に任せ、総てをぶち壊しにする俊平ではなかった。だが息子に言いたいことを堪えねばならなかった今日の会議を、俊平は長く根に持つことになるのだ。

俊平は龍平を完全に誤解した。龍平は自信過剰で不遜となり、父親に反抗したのではなかった。他人に指摘されるまでもなく、龍平も会議に出る前から、南関東販社の郵便振替の四か月払いの月賦売掛金の異常数値には既に気づいていた。それも顧客の延滞ではなく、セールスの架空売上によることも百も承知だった。
では龍平はなぜ父親に報告せず、会議での質問をはぐらかそうとしたのか。
会長の指示を仰ぐのか、架空売上を公表するかどうかは、龍平には不良売掛金の金額に拠るのだった。

調べれば調べる程、その金額は増えて行った。龍平にとって公表できる上限を遙かに超えていそうだったのだ。
ここで龍平の立場を理解するには、俊平の野須川寝具産業と、龍平のカシオペアとは、会社の資質がまるで違うことを知らねばならない。
製造業は土地、建物、生産設備があれば事業が成り立ち、働く人間は人数さえ揃えば入れ替えも効くのかもしれない。しかしセールス会社の主体は店舗や営業車ではなく、セールスマンそのもので、彼らが会社の構成要件なのである。さらに言うなら、売上高に貢献するセールスの勤労意欲は、その歩合給への期待もあるが、それよりも直属上司との人間関係の良さや、直属管理者によるセールスの采配振りであることが多いのだ。
龍平は自分が苦心して生み出した我が子のような会社を、ここで潰したくはなかった。何としても守りたかった。龍平は父親を怒らすことよりも、野須川寝具産業のメーカー体質によるセールス会社への無理解が怖かったのだ。
不良売掛金を調査して、その全貌を公表すれば、その利益を取り戻すのに何十年掛かるのだ?と製造業の社員たちなら顔色を変え、右往左往するに違いない。今すぐ龍平の会社の営業を停止しろ!と叫ぶに違いなかった。
そして龍平が責任とって辞職すれば、彼に代わってこの会社のプロセールス集団を誰が率いるというのだ。売上高の七割を作り出す上位三割の優秀なセールスは、そのままトップの龍平に付いている親衛隊でもあったのを理解しなければならない。
(序章⑥に続く)