第八章(裁かれる者たち)その13

(筆者が経営する霊園の販促写真。この入口の奥にあるのは、ペットという親愛家族を、共に同じ墓地に葬ることができるコーナーである)

宗教法人香川大社を野須川寝具が手中にした後日、関西石材の坂下社長は、霊園開発顧問に任命している不動産屋の本田に、会社に来るように言った。
長居公園通りに面し、市営瓜破(うりわり)霊園が見渡せる十階建てのビルの最上階の社長室で、二人は今後の丹南町での霊園開発の見通しについて互いの意見を交換する。
「本田さんは、今後の見通しをどう考えているの。僕は霊園が出来るのか、出来ないのかは、半々だと他人事の様に思っていたのですが、霊園開発に宗教法人の名義貸しが使えない事情の土地だからと、新規に宗教法人を購入するのに一千五百万も投資した訳で、僕も後へは引けなくなりました」
「なあに、どんな霊園でも、いつかは住民が根負けして、同意書を出してきますから、そのうちに必ず霊園になりますよ。住民が反対したからと言って、開発を諦めた霊園など、今まで一件も無かったじゃありませんか」
「野須川会長の方では、直ぐにでも許認可が取りたいのでしょうね。それは本田さんも分かっている通り、まったくもって無理な話でしょうがね。それから本田さんに忠告しておきますよ。土地代を野須川寝具に払うのは、許認可が降りてからではありません。墓地の形に造成してもらって、竣工検査が合格してからですよ。原価に関係なく、墓地代で一括買い取りですから、それくらいは当然でしょ」
「分かりました。それは私から野須川会長に話してみます。山林を造成するのではなく、宅地になった土地を墓地に変えるくらい、一億円でおつりが来るでしょうからね」

確かに本田の言う通り、墓地開発を申請された物件は何年もの年月を経れば、許認可が曲がりなりにも降りているものだ。しかし事業の許認可が降りたからと言って、直ちに霊園になるものでもない。やっと許認可が降りてきた頃には、石材店などの事業主の資金が続かなくなり、造成工事が一向に出来ない事例も出て来る。
許認可には有効期間があって、往時は六年以内に竣工検査を受けることが義務付けられていた。それを過ぎると許認可も自動的に無効になる仕組みだ。今は僅か三年である。
坂下の頭の中にあったのは、ようやくにして許認可をとった時点で、野須川寝具が果たして墓地の造成工事が出来る体力が残っているかどうかであった。
それは野須川寝具の財務状況を心配してではない。そんな状況になったときに、関西石材としてどう動くのが有利なのか、坂下の関心はそちらである。
坂下は一番気になる契約額の話を本田に確認しようとする。
「本田さん、野須川さんに払う金を三十億と簡単に言ってくれますが、世間で『バブルは弾けた!』と言っている通り、銀行はこれまで通り、資金を融資してくれるとは限らないのですよ」
「坂下社長、そんな話は絶対に野須川会長の前では言わないで下さい。ははは、坂下社長が今何を考えておられるのか、そのお顔に書いてありますよ。言っても良いですか。本田君がいかに楽観的に許認可をとるって言っても、どんなに早くても三年、もしかしたら五年かかるかもしれない。その時点まで野須川寝具って会社が、果たして残っているだろうか。あの土地は債権者のものになっていないだろうか。その時は、最早三十億の値段はご破算で、債権者と購入価格を仕切り直しだと」

「何を言うのですか。そんな先走ったことなど、まだ考えていませんよ。僕はほんとうに誠意を持って、あの土地の代金を野須川会長に払って上げたいと思っています。ただ三十億だという根拠が分からないのです」
「それを今は口にすべきではありません。野須川寝具の大口債権者は浪銀ファイナンスというノンバンクで、そちらに三十億の債務があるのです。野須川会長が、一旦バブル価格で売った工場を買い戻した上に、あの丹南町の山林を宅地に変える事業に失敗したのです』
「そんなことにどんどん金を出した金融機関の責任も重いじゃありませんか」
「坂下さんがよく言いますよ、こちらだってバブル債務の多い企業ではありませんか」
「本田さん、野須川寝具の話に戻しましょうか」
「浪銀ファイナンスは、地銀なみはや銀行の子会社です。結局は野須川寝具の債務整理については、なみはや銀行の本店と話し合わねばならず、当分の間は、三十億という金額が下に下って来る可能性はありません。しかし時が経って、もっともっと地価が暴落したら、その時こそどうなるのか、私にも分かりませんが」
「正直言うと、浪銀からは十億以下で買いたいものです。成る程、三十億っていう金額はなみはや銀行から出て来た金額ですか」
「私が思うに、もしも坂下さんがあの土地に三十億、あるいは浪銀と話を付けた金額をお払いになったら、なみはや銀行は野須川寝具に、これで用済みだとばかりに破産をかけて来るのではないでしょうか。そして八幡工場を競売に出すのでは」

「なる程、ではスムーズに霊園開発が進んで、早期に浪銀が三十億を回収したら、その時、なみはや銀行が野須川寝具を突き放す可能性は充分あります。その根拠は、本業が今黒字なのかどうかですね」
「本業は息子の龍平君が担当しています。俊平さんの話では、最近はじり貧で毎月赤字だそうですよ」
「じゃ本田さんの言う通り、野須川寝具を破産させ、工場を競売に出すことは大いに考えられますね」
「ところがなみはや銀行が期待する程早くは霊園開発が進まない。面白いでしょ。ははは」
「ははは、本当に面白い話です。ところで本田さん、野須川会長は、なみはや銀行にはどれだけの債務があると聞いていますか」
「あの土地に三億余り、八幡の工場に六億くらい、合わせて九億の担保が付けられていると聞いていますが、会長の話だと、その九億は昔和議を出した時点で、本来は返済が免除された債務だそうで、だからなみはや銀行からは請求されない債務だそうです」
「しかし担保は外してもらえないのですね」
「銀行って、そういうずるさがありますね。もしも野須川会長がどちらの物件を任意売却しても、一円たりとも会長には入らない仕組みです。尤も会長の自宅は銀行の担保に入っていないとか。近鉄奈良線菖蒲池駅の駅前の数百坪の大邸宅だそうです」
「すると会長は墓地の開発費や造成費で金が要るようになるその時は、金が作れる体制ではおられる訳だ。不動産屋さんだけあって、抜かりなく調べているんですね」
「少し不安が除かれましたか」

「そうですね、霊園開発が思わぬ苦戦をすることが野須川会長に順風になるかもしれません。今あの土地が三十億で売れても、野須川寝具の借金が減るだけで、会長には何も入って来ないのですから。僕たちの思いもよらないシナリオで今後ことが進んで行くのかもしれませんよ。それにしても野須川俊平会長は、常に破産をかけられそうな状況下にあるにも関わらず、あの強気ですからね。なみはや銀行との勝負の行方が気になると言うより、なぜか楽しみにさえ思える程ですね」
「ただ問題は、会長が再び藤井寺の黒田会長の力を借りようとしていることです」
「藤井寺の黒田会長って」
「あの南大阪の黒田三兄弟ですよ。ご存じの通り、次男さんが食品業界にいて、グループ全体の総帥です。野須川会長と親しい藤井寺の会長は長男ながら、弟のようなカリスマ性はなく、羽曳野市を本拠にする黒田グループの権威を頼って、隣の藤井寺で不動産屋をやっています。一番下の弟は」
「分かりました。もう良いです。誰もが顔をしかめるのはその人で、そのせいで、あのグループまで、神戸の菊花組と繋がりがあるのではないかなどと、噂が絶えないのですね。会長はそういう曖昧な噂や、あのグループの権威を利用しつつ、墓地の開発を進めようと」
「会長はとんでもない思い違いをしています。坂下さんから、それは逆に遠回りになると、会長にびしっと言って下さいよ」
「いくら僕が言っても、親子程歳が違う会長が、僕の話を聞く筈がありません。しばらく様子を見ましょう。確かに本田さんの言うとおり、会長が遠回りをしてくれればくれるだけ、僕の金作りをせねばならないその時が遅くなる訳で、僕にも、そして会長ご自身にも、それは皮肉にもメリットのある話なのでしょうからね」

今日では暴力団や極道たちは、反社会的勢力と言って、彼らと少しでも交際があれば、銀行の口座を停止されたり、融資が受けられなくなる時代である。ましてや暴力団に所属する者たちとなると、銀行口座も持てないのであるから、世間に見える形での正業に就くことはできなくなったと言えるだろう。
ところが、この平成元年から三年の前半頃までは。今で言う反社会的勢力の者たちが、堂々と世間に見える形でビジネスをしていた。つまり銀行が裏側で、彼らを支援していたことになる。
大手銀行の頭取室に向かうエレベーターに、彼らが大挙して乗っていたこともあった。建設会社の役員室に向かうエレベーターにも彼らが乗っていたことがある。
彼らは不動産屋を、土建屋を、建設業を、サラ金に町金を、風俗店を、高級クラブを、産廃業を、運送業などを、銀行に支援されながら堂々とビジネスを営んでいた時代である。
バブルが始まると、地上げと言われる、デベロパーがターゲットにした土地に、賃借人として居座る住民たちを排除する行動に、極道の人々が駆り出された。資金面で地上げ屋と呼ばれた極道たちを裏で支援したのは銀行である。どれだけこの地上げ屋に力の弱い人々が苦しめられたことだろうか。
ビジネスの需要なら極道を駆り出すのも、銀行では当たり前のことだったが、世間の目から見れば、社会使命を帯びた銀行が、反社会勢力と手を結ぶことなどあってはならないこと、もしそんなことがあれば、それは絶対に許されないことで、世間の常識と銀行の常識は往時、百八十度違っていた。
ところで、都市銀行の井筒銀行は、経営を見ていた大阪のある商社の体力強化策として、昭和の末期に会長の腹心を社長に入れた。この井筒銀行のエリート銀行マンが商社の社長になったのは良いが、すっかりバブルにはまり込み、絵画投資などで知り合った闇世界の人脈と抜き差しならない関係になってしまう。

平成二年からは、そのことが面白おかしくマスコミに報じられるようになった。不正融資、不正取引の調査の中で、経営陣に闇社会の人間がいることが明るみに出ると、平成三年には警察が社長や役員の身辺を取り調べる事態となった。
世間は上場会社である商社の経営陣に闇世界の人物がいたことに仰天する。彼らはこの年の夏に逮捕され、この商社は社会から信用を失い、同じ井筒系の商社に吸収されることになった。
銀行も商社も、儲ける為には何をしても良いのだと思うまでにバブル景気は、戦うサムライビジネスマンと言われて来た日本の企業人をすっかり堕落させてしまった。
これから後、彼らは裁かれるものになって行くが、それも自業自得と言わざるを得ない。
浪銀ファイナンスの秦田には完全にお手上げになっていた。俊平から八幡工場前半分の家賃が四月からは入らないからどうしようと相談されても、ではその賃借人に出て行ってもらえ!とは言えなかった。何故なら家賃が払えない、借金が返済できない、そんな話ばかりをそこら中で聞くようになったからだ。
秦田は腹を括るときが来たと思った。であれば上司の山村だけは道連れにする訳にはいかない。たとえ政府系銀行からの融資に切り替えても、なみはや銀行からの借入はミニマムにしようと思った。日本政府は、インフレを抑制しようと不用意にバブルの風船に針を突いた結果、どれだけの資産がこの国から消えることになるのか、ほんとうに分かっているのか、と腹の中が煮えくりかえる思いだった。
四ツ橋筋と長堀橋通りの交差点に、浪銀ファイナンスの本社にするために、十階建ての斬新なデザインのビルの建築工事が進んでいる。この本社ビルが出来る頃、そこに入る主はまだ健在なのだろうか、と秦田は考えた。政府系三銀行を中心に借り集めた金は一兆円に迫っている。秦田は可笑しくて可笑しくて、つい笑ってしまった。

 

第九章 祈りの効用 その①に続く