第七章(終わりなき闇夜)その10
(筆者の前の会社があった四ツ橋筋の道頓堀川南岸にある、なんばHATCH。観客が立ったまま踊ったりもして鑑賞できるように造られた、ロックやヒップホップ専門のコンサート会場。バブル期に計画され、筆者が大阪市内を去って松原に本拠地を変える平成十四年に完成する)
俊平が娘婿の加藤を会社に入れたのは、売上アップを狙うだけでなく、昨秋からの東京の壺井商店への売上大幅ダウンにも関わらず、仕入れ先とはトラブルにならなかったことには拍子抜けだったが、しかしそれがいつまでも気になって、龍平の仕事には何か隠しごとでもあるのかと、不信感を持つようになったからだ。
だから加藤を直属のスパイに仕立てて、それを探り出す意味もあったのである。
しかし加藤の入社と入れ違いに、目を患った俊平は一ヶ月余り入院した。その間に龍平や池田との人間関係を作ってしまった加藤は、寧ろ俊平のやり方を批判する龍平側の人間になってしまう。
五月の連休が明け、片目になった俊平は、天照病院を退院したが、暫くは歩くにも不自由した。網膜剥離での失明は、外から見ただけでは分からない。四、五日はどこへ行くのにも、龍平が運転手となった。しかし翌週には俊平一人で、四ツ橋の事務所まで通勤出来るようになる。
数日経てば、俊平は家の中でパターの練習を始める。月末近くなると龍平と寧楽国際の練習場に行き、アプローチの練習を重ねるまでになった。
俊平の回復を待っていた八幡工場に抵当権を付ける銀行は、三行とも経過利息を年五パーセントで請求して来る。俊平はやれやれと思う。益々一般和議債務の支払い枠が無くなった。新しく取引きしだした生地商社まで、この際、売掛金を少しでも減らしてくれないかと言って来る。払える資金は残っておらず、俊平は、従業員の保養所にしていた四国志度の海岸の土地建物を代わりに譲渡した。
六月二日、民自党総裁に滋賀県選出の宇陀宗次が選ばれ、宇陀内閣が組閣された。
宇陀宗次は龍平が会計学・経営学を学んだ兵庫県の国立大学の卒業生だ。中(中華人民共和国)ソ(ソビエト連邦)に激しく敵愾心を燃やし、日米安保体制の強化を主張する政治姿勢は同大学の同窓生からもそれなりに評価されていたが、戦後最大の贈収賄事件の最中、そういうことより、彼の清廉潔癖さが総理に選ばれた理由であろう。
宇陀宗次は龍平の大学の先輩であると同時に、近江商業で俊平の二学年上級生で、二人は互いを良く知る関係だった。因みに俊平が目標にした、京都で、女性肌着日本一のブランドメーカーを創った人物は、近江商業の宇陀の二学年上の上級生である。
宇陀を身近に知る近江商業の同窓生たちは、宇陀が総理に選ばれたことを歓迎するものの、何の資産も無い彼に一体何ができるのだと不思議に思う者もいた。
宇陀とは親しかった俊平ですら、「何が清廉潔癖だ。あの金を使わないけちな小心者が、総理大臣など出来るものか」と龍平に愚痴を聞かせている。
丁度その頃、俊平は会社でとっている新聞に載ったニュースに目が釘付けになった。
そこへばたばたと浪銀ファイナンスの秦田(はただ)社長が新聞を片手に事務所に駆け込んで来る。
「俊平会長、この記事を見られましたか。お宅の丹南町の山林のすぐ傍で、東京の帝急不動産がニュータウンを造成すると発表しましたよ」
「秦田さん、今丁度その記事を読んでいたところです。すぐ丹南町役場に龍平を行かせ、このニュータウンとうちの土地との距離を調べさせます」
「新聞に載っている地図に見れば、会長の土地の隣地にも見えるのですがね」
「そうだとしたら、秦田さん、あの土地の調整外しを、いよいよ始めなければなりませんな」
「私もお手伝いいたしますよ。会長の先輩の宇陀首相も、力を貸してくれるかもしれません」
その日から何度か龍平は丹南町に行き、帝急不動産のニュータウン開発用地の境界線について調査した。帝急不動産による土地の買収は総て終わり、その境界線は見事に野須川寝具の山林と接していた。
俊平と秦田は、南大阪の最も力のある実力者は誰なのかと、検討を開始した。
八幡工場の製綿プラントが、奥の建物内に移転する工事が完了し、栄光建設に工場の前半分を売却する日を迎えたのは、同月の中旬だった。
大村商店による差押えが解除され、三葉銀行、上方銀行、なみはや銀行の抵当権が解除され、その下に付いていた商社の抵当権も解除された。
売却資金からそれらの債務を差し引いて、滞納していた公租公課を支払って見れば、一般の和議債務者の弁済に回せたのはほんの数千万円だった。
俊平の下に、和議の弁済の督促にやって来る企業や銀行は、なみはや銀行と帝都紡績を除いて、これで無くなったことになる。
龍平は数日後、本町の賃貸ビルの一室を借りる大村商店を訪れた。一千万円の羽毛輸入代金の支払いを何ヶ月も遅滞したのを謝る為だ。
だがその部屋は閉まっていて名札も外されていた。代表者の大村が病気で亡くなっていたことを龍平が知るのは、その数ヶ月後だ。
七月になると、俊平は片目でゴルフコースに出て、何不自由なくプレイするまでに回復した。
一方、龍平は宗教書としてではなく、自らの修養目的で、宗教団体、光明の家の聖典「生命の光」全集を読み続け、この頃には十九巻に入っていた。そこには教祖高橋の誕生から、神童と謳われた大阪での学生時代、そして東京の有名私立大学に特待生として入学したまでは良かった。ところが前科者の女に憐憫の情を持ったことから、彼女と同棲するようになり、それが元で身を崩して、大学を中退してしまうという驚くべき体験談が書かれている。教祖高橋自身が、自らの半生を、隠すことなく、赤裸々に書いたのである。
龍平は舌を巻いた。宗教団体なら星の数ほどあろうが、どこの宗教団体に教祖をこんな俗人に描くところがあるだろうか。
教祖の馬鹿正直さは、その後の教祖が悟る宗教哲学の偉大さに比べれば、若き時代の迷いや過ちなどは問題にもならないとの、自信の裏返しなのだと龍平は考え、教祖の若き日の俗人ぶりに親近感を持つよりも、寧ろ畏敬の念さえ持つのだった。
龍平は「生命の光」に何度となく登場する「神の愛」「神の知恵」の二つのキーワードが、いつしか頭の中で渦巻くようになった。
人間は、「神の子」として、神の愛、神の知恵をもって、人生の主人公になって生きなければならない、とそのような意味のことが繰り返し書かれている。龍平はその言葉の意味を考え続けながら、寝具の受注営業に集中していた。
野須川寝具の年度末の八月になった。
俊平は龍平社長、営業の加藤幸三、管理の池田祐介、事務の水野京子を呼んで、九月からの来期の事業計画に対する自分の方針を発表した。今まで龍平に任せて、一切口出ししなかったのに、このようなことは異例である。
俊平は先ず、加藤幸三の入社以来、販売先が寝具業界に戻って来たことを高く評価した。それは加藤の手柄であることは龍平も認める。中でも加藤が新規に開拓した、中堅総合商社の子会社の繊維商社の手形は、なみはや銀行でも破格の割引枠を承認していたからである。
俊平は、それは良い傾向だが、再び益率が低下し出したことを指摘した。信用のある先に販売すれば、業者間の競争が激しくなり、益率はどうしても低下するのである。
そこで俊平は「来月から生産付加価値(粗利益)には、ノルマを課すことにする。益率は最低が三割なければならぬ。それ以下の商売をした営業には罰金もとる」と言い出した。驚く皆の顔を見て、俊平は言葉を付け加えた。
「せっかく苦労してもの作りをし、苦労して販売しているのだ。それで毎月、毎月、収支トントンでは意味がないだろう。だから経費に例え百万でも利益を足したものをノルマとするぞ」
そこまでは龍平も、加藤も、池田も、俊平に同意して頷いていた。
ところが次の俊平の指示は、この三名を絶望させることになる。
「いいか、これからは月間の総入金額から、ノルマの付加価値を差し引いた金額を、その月の月末の支払枠とする。月末に近づいて来ると、龍平は月間の総入金予定額を儂に申告し、そこから決まる支払枠の範囲内で、月末の仕入支払伝票を回して来くるのだ。そこで来期の各人の給与だが」
龍平は、五ヶ月前に六掛けにされたのだから、当然元の金額に戻して貰えるものと期待した。
「来期の給与は、今期と一緒だ。本社は合計二百万円、工場は合計四百万円、一般経費が本社二百万円、工場百五十万円だから、総経費は一ヶ月、九百五十万円だ。因みに九月のノルマは一千一百万円とする。いいな」
本社給与二百万円の内訳はこうだ。俊平が百万円、龍平、加藤、池田ともに二十七万円。女子事務員が十九万円である。
池田が思わず言ってしまった。
「会長が百万円もとっておられるのに、龍平社長が二十七万円で良いのでしょうか」
「何を馬鹿なことを。働きから言えば、給与はもっと開いても良いと儂は思っているくらいだ。儂は和議弁済をやり遂げた。この会社の稼ぎ頭は、実は儂だったのだ。お前たちは稼いでいるふりをしているが、そのくせ、会社に損ばかり与えているのじゃないか。よしこれで話は終わりだ」
その日、俊平が帰った後、龍平は本社勤務の三名を再び会長机の前のソファに召集した。
俊平のやり方で進めるなら、数か月もすれば、一千万も,二千万も、買掛金が溜まってしまい、生産を続けたくても、資材を入れて来る業者が無くなってしまうだろうことは、誰の目にも明白だった。
加藤も、池田も、水野も、この困難な問題の解決には、龍平社長の経験と才覚に頼るしかなかった。
池田が先ず語り出した。
「来期が始まったら、私たちの事業は確実に潰れてしまうと思います。龍平社長はどうお考えですか」
三人は龍平が何か言い出すのを、息を呑んで待った。
「生命の光」に書かれた「神の愛」「神の知恵」の二語が、龍平の頭に渦巻いていた。しかしここで「神」の言葉は、逆効果になるだろうと使うのを控えた。
「みんな、正直に言ってくれないか。もしも僕と父親が対決したら、君たちはどちらにつくのだ。忌憚なく聞かせてほしい」
池田と水野が口を揃え「勿論龍平さんについて行きます」と答えると、加藤も「わしも龍平さんに従うよ」と二人に合わせた。
龍平は、思い詰めた表情で語り出した。
「会長のせいで、野須川寝具が存亡の危機に立たされていると感じるのは、僕だけではないだろう。八年前の和議によって、法的に債務が免除され、時間の経過に伴い、債権者が諦めて、更に免除になって、それで得た利益を総て自分の稼ぎだと僕の父親が開き直るようになったのは知っての通りだ。しかしそんな犯罪者のようには僕は生きたくない。ちゃんとした商売人として成功したい。僕が読んだ本に書いてあった。成功の人生を歩きたければ、知恵と愛のバランスが必要なのだと。知恵が足らなければ、他人(ひと)に騙され、愛が足らなければ、他人(ひと)がついて来ない。商売人の愛の報酬は、それから得られる信用なのだよ。買うときに約束した期日できちんと支払いをする。それが愛であり、ひととしての道で、それが信用になるのだ。僕はね、野須川俊平が譬え世間に不義理したと言われても、野須川龍平は約束を守る商売人だったと言われるよう、今後も生きたいのだ」
「それではどうせよと龍平社長はおっしゃるのですか」と池田が龍平の考えの核心に迫ろうとする。
龍平が口にしたのは、仰天する奇策だった。
第七章 終わりなき闇夜 その⑪ に続く