序章(廃業の決断)その11
(写真はこれも今の西区の四つ橋筋です。)
そこに女子社員の水野昌子が戻って来たので、二人は慌てて話題を変える。
「水野君、ご苦労様」と祐介。
「はい、これがいただいた書類です、会長はもうお帰りになったのですか?」
「うん、会長は堺公証人役場から戻られたらすぐにね、長村さんもそれに続いて」
「こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、最近会長と社長は喧嘩なさいませんよね」
その言葉に驚いて龍平が答えた。
「水野君、そう言えばそうだね、僕が親父の霊園開発を手伝うようになってからだろ? それは呉越同舟って言う奴さ」
「えっ、ごえつなんとかって何ですか?」
「呉と越は古代中国で争っていた国の名、本来は仇(かたき)同士なんだが、そんな両者でも、もし嵐の中を小さな舟に乗り合わしたら、その舟が沈まぬ為にも、舟の中では争わず、力を合わせて荒波を漕いだであろうとの説話から、利害が一致するなら敵も味方になるの譬えだよ」
「その舟が霊園開発なんですね、でも社長にとって会長が仇(かたき)なんておかしいでしょ?」
龍平は水野昌子の言葉にはっとなった。
「そのとうりだね、僕も最近は会長の言うことに努めて『はい』と素直に従うようになったから、仇同士だったのは確かに昔のことだな」
「社長の心境の変化は、やはりあの本ですか?」
「あの本? ああ『生命の光』全集のこと? 確かにそれは関係があるね」
「あの本は宗教団体の『光明の家』の聖典ですよね?」
「それはそうなのだが、僕は梅田の紀伊國屋書店に出ていたのを、もう六年前になるかな、第一巻を買って試しに読んでみたのだ、宗教団体に入りたいとか、神様に救いを求めようとか、そんな動機ではなかった、ただ僕も仕事のことでは悩み、希望を失いかけていたのは事実だ、するとこの本が僕に希望を与えてくれたのだ、だから第二巻、第三巻と次々に購入し、二年余りで全四十巻を読破した」
「でも今も読んでいらっしゃる」
「うん、その後も繰り返し繰り返し、通勤電車などで読んでいる、水野君、日本で一番大きな家電メーカーの創業者も、この全集を読んでいたそうだ、だとしたらこの本には企業家には繁栄の道が、一般には人生の勝利者となる術が、どこかに書いてあるのでは?と君も思わないか?」
「あの本は社長が、教養書、修養書として読んでおられるだけなのですね、安心しました、社長は精神科学に没頭、会長は会長で、霊園を経営するには宗教法人が必要だからと、二年前に四国まで行って、新興宗教の教主の地位を継承されて来ましたね、それから事務所にご覧の通り、大国主の神の木像まで祭りだしたのですから、会社をだんだん怪しく思うようになって」
「うちが霊園開発の申請者になるには、うちが宗教法人を持たねばならないんだ、赤の他人の石材店が
宗教法人の代表として会社所有の山林で霊園開発を申請するのなら、野須川寝具の債権者が黙っていないし、そんなことさせる訳がない」
すると自分の関心事に話題が移ったのを捉え、池田祐介が口を挟んだ。
「それは債権者の手前そうしているのではなく、会社は寝具事業から霊園事業に転業しようと本気に考え出したのではありませんか?」
「池田君、ちょっと待て!」
「だっておかしいでしょう? この話を持ってきた関西石材は最初、野須川寝具の方で霊園開発を申請し、それが許可になって墓地が出来た暁には出来た墓地代で土地を買い取る話だったですよね?」
「バブルが弾ける前はね」
「社長まで誤魔化さないで下さい、いつからともなく、野須川寝具で霊園を開発し、経営する霊園を関西石材が販売する話にすり替わっているのですよ」と水野が応援に入ると、
祐介も声を荒げた。
「関西石材の代表がこちらに来て、バブルが弾けたから約束が履行できなくなりましたと会長や社長に謝るのを、私はまだ聞いていませんから」
「それは僕も疑問に思っている、なぜこんなに曖昧なのか、一度会長に直接僕から糺してみよう」
今度は水野昌子が言った。
「社長、私は寝具会社に入社したのですからね、霊園事業者になるのだったら、職業を差別する訳ではありませんが、辞めさせていただきます、そうしろと両親が言いますので」
(序章⑫に続く)