第十章(自分が変われば世界が変わる) その9

(筆者が経営する第二霊園のバラ園から。五月の連休から中旬が見頃である)

龍平は三ヶ月に渡る給与の未払分が貰え、返済資金が百万円でも確保できたことは大変嬉しかったが、それよりも何よりも、父の俊平にこれまでの裏切り行為が許されたことが嬉しかった。父は神の象徴であって、龍平は神様から許されたと実感できたからである。
多くのキリスト教徒が見落としているけれども、弟アベルを殺した兄カインを、その遺骸を埋めた畑が実らない畑となったのは因業の法則であって、神の罰ではなかった。しかも神はカインを誰にも殺されないようにされたのである。
懺悔し、悔い改めた者は許されたのである。
とは言うものの、債権者と話し合う時間はあまり無い。幸いにも龍平が総てのクレジット会社に対して不渡り事故を起こしたことを、消費者金融側は知らずにいる。知ったならば、各社が契約する豪腕の回収部隊とやり合わねばならなかっただろう。そうなれば、事態は更に複雑な展開になった。往時は龍平にとって幸いにも、信用情報の管理が銀行系と消費者金融系の二系統に分かれていた。
龍平の場合、急ぐのは銀行系金融機関との話し合いだ。
龍平は事情を打ち明け、母親からも資金を借りて、バブル時に二百万ずつ信用で貸していた大手カード会社三社と、中古車販売を営む徳山の紹介になる大手信販会社に対して、各社十一万ずつの残を残して、後は毎月一万円の返済という条件で再契約を交渉した。カード会社三社はこれを呑んだ。これ以外の雑多なクレジット会社は全額返済した。

しかし信販会社は「それじゃあ、車をこちらに返せ」と言ってくる。もちろん、親友の徳山が貸してくれた信販契約であって、初めから車などはない。
「車は既に売却済みだ」と答えると、相手は車の販売会社に電話した。担当は社長の徳山自身だ。
ところが生憎徳山は数ヶ月前から原因が分からぬ胃腸の病気で入院していた。腹が腫れ上がって水が溜まり、妊婦のような腹になっていた。
仕方なく信販会社は龍平の申し入れを受け入れた。
龍平は徳山のことが心配だった。彼の奥さんが彼の病気の真相を隠しているのではないかと思い始めるのだった。
消費者金融は、金利が安い大手の山富士とアイラブ社ともう一社に絞り込んだ。
これで龍平の借金は、宮本まりあの友人からの五十万円の借金を加えて、銀行系が四十四万円、消費者金融が二百三十万、合わせて凡そ三百三十万円の残となった。
要するに龍平が信用情報のブラックリストに載せられるのから間一髪で逃れたのだ。
俊平は十二月以降は、本社の三名は霊園が順調に墓地の販売を始めるまでは全員十万円の給与として、その資金は俊平個人が出すと約束した。
龍平は溜息をつく。それでは当分の間、智代に給与を渡してやれないのであった。

さて龍平俊平親子の和解が整った途端、頑として丹比地区が出すまで同意書を出さないと宣言していた桜台西自治会が急に折れて出そうと言ってきたことを、どのように考えるかである。

新訳聖書にある山上の垂訓でイエスが諭(さと)したことが、そのまま実現したと見る見方もあろう。龍平の光明の家の仲間のまりあや宮本光子講師は、正にそのように見る人の代表であった。
まりあは、俊平龍平親子の和解が震源となって、愛と和解と調和の波動が霊園開発申請地周辺の人々にまで拡がったのだと、自分のことのように喜び、神の愛に感謝した。
宮本光子講師も自分のことのように喜んだ。
だが彼女が喜んだのは、龍平が自分を三百六十度変えたことである。再び龍平が昔のように父親を愛するようになったことである。
龍平はあれ以来、涙もろくなった。元々龍平は幼い頃から本を読むのが大好きだったが、「平家物語」「義経記」「曾我兄弟物語」「リヤ王」「幸福な王子」などの本を読んでは、いつも大泣きしていた。そんな幼い頃の純真な龍平に戻った訳である。
だから百八十度の価値や観の転換があったのではなく、ぐるっと回って元の位置に戻る三百六十度の転換と光明の家で言う訳である。
森本光子講師は龍平に「これからあなたの世界がきっと大きく変わるでしょう」と龍平の人生や環境が今後見違えるように好転することを予言した。
その総てが偶然のことだと思うのは、ひとそれぞれの勝手であるが、実は十二月十六日の龍平俊平父子の和解から、下村区長が「来年に同意書を出す」と電話してくるまでの僅か十日間の間に、どんなに不思議なことが連続して起こったかをこれからお知らせするとしよう。
この総てが偶然だと思う方が、無理があると言えるのではないだろうか。


先ずは墓地工事を請け負う業者であるが、当初の右翼系建設会社は、発注者には資金がなく、支払いは長期延べ払いを予定していると知った途端、そんなら受注はできないと言いだし、その下請けの土建業者も同じ理由で逃げ出した。彼らに代わって野須川寝具の延べ払い条件を受けてくれたのは、逃げた建設会社の孫請けに指名されていた北大阪の中堅土建業者だった。言うならば、最後の最後に一番まともで、一番資金力のある土建業者に当たったと言う訳である。
もう一つは、隣接三軒だ。
工事を強行したものだから、妨害されないようにしょっちゅう見回りをするのが龍平と本田の役目だったが、ある日、龍平は隣接する三軒の一軒に呼び止められた。
「失礼だが、野須川さんの坊ちゃんでしょうか」
「はい、そうです。皆様が反対なのに、工事を強行して申し訳ありません」
「いいや、そうじゃないのです。わたしら、何も反対なんかしとらんのですよ。まんまと山本石材に騙されてね。私たちこそお父様にご迷惑かけて済まんことです」
この話を聞いて、龍平と本田は血相変えて井川区長宅に走ったのは言うまでもない。
しかし井川はだからと言って、同意書を出そうとは言わない。
「そうか、あの三軒はそんなことを言っているのか」
「ですから井川区長、あの三軒の同意書は無視して、丹比地区の同意書をお願いします」
「しかし三軒の後ろには地元の山本がいて、その後ろには南河グループがおられる訳や。気色悪すぎや。やはり儂らではどうにもならん。それに肝心の桜台西の同意書もまだだしな」

だがこの数日後、桜台西が先に同意書を出すと宣言した。
丹比地区の井川区長は追い詰められて行った。
そしてもうひとつの不思議な出来事。
俊平は十月の月末に一度、藤井寺の黒田会長に挨拶に行っていた。隣接三軒や山本石材の話は特に黒田会長の口から出なかった。黒田会長の耳には入っていなかった。
つまり山本石材による霊園開発への妨害行為は、黒田会長や南大阪の影の勢力である南河グループが画策したものではなかった。俊平は胸をなで下ろした。
しかし黒田会長には俊平に別の不満があって、機嫌は良く無かった。
理由は霊園開発を黒田会長に協力を頼んだときから、霊園の駐車場にすると隣地の地主に賃貸借契約を結びながら、二十ヶ月近く俊平が賃料を払わずにいたからである。
俊平もそのことはずっと気にして来たことだった。俊平は黒田会長がいくら立て替えたのか知りたくて、頭を下げて恐る恐る尋ねてみた。
「確かにあんたが今日までそのことを放置してきたことには腹を立てているのは事実や。だがな、実は儂もその金額は分からんのや。確か一ヶ月七十万円やったな。儂は最初の一ヶ月分だけ、契約してきた西原建設に払ってやった。もしもその後、西原が払い続けて来たのなら、一千二百六十万円も西原が立て替えたことになる。まあ、それは考えられんな。どこか途中で、契約を解消しとるのかもしれん。バブルが弾けてからは、この儂と言えども資金不如意やから、儂も西原には聞けなかった」
「それでは私から西原建設さんに尋ねましょ」

「それがええ、あんたは西原に住宅地の造成工事代、きちんと払ったんやから、言いやすいやろ」
本田は西原建設を疑った。自分の勘を確かめようと龍平を連れて、羽曳野に住む隣地の地主さんのお宅を訪問し、駐車場の賃貸契約書を見せ「今、この契約、どうなっていますか」と尋ねる。
その答えを聞いて龍平は仰天する。そんな契約は結んだ覚えは無いと、霊園開発の申請に要るから形だけ契約書を作らせてほしいと西原に頼まれたのだそうだ。
明くる日、俊平はこの旨、藤井寺の黒田会長に電話で報告した。
丹南町の土木業者、西原建設の社長の西原は、暮れに夜逃げをした。これ以外にも、人の良い黒田会長に、いろんな嘘を言っていたのが全部ばれたのだろう。
逆に黒田は、俊平とは以前にも増して信頼し合うようになった。

平成六年の年が明け、桜台西自治会は約束通り、同意書を俊平たちに手渡した。
追い込まれた井川区長は、二月末日と先日付けで同意書を書き、その日付まで預かってくれと同意書を丹南町町役場に預けたのだ。実質二つの自治会の同意書が揃い、府の環境衛生課は一月から工事にかかることを了解する。
しかし野須川寝具側は運転資金が尽きかけていた。俊平は本田に何か良い方法はないかと相談した。
本田は「あります。部分竣工を使いましょう」と提案した。俊平も龍平も霊園事業には素人であるから、本田が何を言っているのか分からない。

本田が言う部分竣工と言うのは、墓地は竣工検査が完了しないと販売ができないが、丹南メモリアルパークの場合、南側にはダムのような大きな擁壁を建設する必要があるし、北側は切り土にして、土地を削らねばならない。但しその中間部には、帯のように現在の地面のままで。墓地の区割りをして良いところがある。
そこを先に工事して、部分竣工の申請をしようと言う訳だ。その検査が完了すれば、関西石材にその部分だけ先に販売させようと言う訳だ。
府の環境衛生課は本田の申し入れを了解した。あまり前例を見ない申し出だったであろうが、二つの自治会の同意書をとったことに、環境衛生課が敬意を表したのかもしれない。
「その代わり、全体の竣工検査までに、絶対に隣接三軒の同意書を提出するように」と念を押した。
「三軒が隣接するのは今や桜台西一丁目にただでくれてやる公園ですから、もう霊園に隣接する家は無くなったのです」と理屈っぽい本田は反論したが、環境衛生課は聞く耳を持たない。
丹南メモリアルパークのR地区の竣工検査証、つまりR地区の墓地販売許可証は、一月十七日に香川大社に出すことにしたと府から連絡があった。
この年の一月は寒い冬だった。
竣工検査が降りる前日の朝、自宅の公営住宅から横断歩道を渡っていた高齢の宮本光子講師が、少年の乗ったバイクにはねられる。そして宮本講師は病院で昇天した。
龍平は宮本講師の通夜に参列した。その時刻に本田はひとりで府の環境衛生課に部分竣工検査証をもらいに行っていた。

通夜でまりあは龍平に言った。「私はバイクの少年を恨まないことにしたの。神様が彼の罪を許されるように、私も彼の罪を許します」
龍平はまりあが必死に悲しみを堪えて、母親の教え通りに、信仰者らしく生きようとしているのだと思った。しかしそれが龍平には痛々しかった。
二月になった。部分竣工検査証はR地区の隣のO地区でも降りていた。
二月月末、四ツ橋にたまたま坂下や本田が来ている時、突然、藤井寺の黒田会長から、怒鳴り声で電話が架かった。
「今な、そちらの山本石材が来とるんよ。野須川はん、なんやあんたとこの霊園は。付近住民の同意とって円満に開園の準備をしていると聞いていたが、墓地に隣接する三軒は初めからずっと反対してるそやないか。そんな悪辣な霊園開発をやっているのか、あんたは」
「黒田会長、それは山本石材の言い分を真に受けておっしゃっているのだと思いますが、私は隣接三軒が山本石材に委任状を渡したが、本当は霊園開発に賛成なのだと直接三軒の家から聞いているのですよ」
「何やて、あんたも面白いことを言うやないか。そやったら儂の配下の山本が、嘘言うてるとでも言うのか。よっしや、この白黒、はっきりつけようやないか。三月十一日金曜日がええな、その三軒と三軒の意思を無視して同意書を出しやがった井川区長を連れて来いよ。関係者全員、丹比地区の会館に集まろやないか。その話次第では、あんたの霊園開発を南河グループが総力挙げて潰してやるぜ」
俊平も龍平も坂下も本田も、全員の顔が一斉に曇った。遂に恐れる日がやって来たのである。                                    

第十章(最終章) 自分が変われば世界が変わる その⑩に続く