序章(廃業の決断)その12


(写真は筆者の前の会社の全盛時代の、山本陽子さんが出演したテレビCMから。締めくくりは、”セマールはお訪ねします” だった)

従業員の言うことが正論だろうが、経過のプロセスが曖昧であろうが、寝具事業が益々じり貧となり、見切りを付けて霊園事業に転業することは、会社には常識的な判断だろうし、その方がベターな選択だと龍平には思われた。最後まで残ってくれた従業員であっても、それで退社なら仕方がないとため息付く龍平だった。
女子事務員の水野には、宗教団体「光明の家」の聖典「生命の光」を修養書として読んでいると釈明する龍平だったが、読み始めた昭和の末期ならそうなのだが、平成三年以降は一歩も二歩も「光明の家」に足を踏み入れていた。
二年前から「光明の家」の集会にも顔を出し、そこで知り合った信徒と接触し始めている。中でも元取引先大村社長の未亡人淑子と、西区の新町に住んでいる宮本まりやの二人はその代表格であった。
確かに病や貧に苦しみ、犯した罪を悔やむ姿は、本来の人間の姿ではないと、人間は本来、神の子で、完全円満だ、と説く「光明の家」は、龍平には心地よい場所、罪悪感から逃れる癒やしの場所であったに違いない。しかしそんな慈愛の心で救いの手を差し延べる「光明の家」の神は、龍平の心に長く宿ってきた神のイメージとは違うものだった。龍平は中学時代、日曜礼拝に教会に通ったことがある。その体験が残した神のイメージは、罪を犯そうとする龍平を咎め、父親を裏切り、父親には拭えない罪を犯した龍平を厳しく責め続ける、磔刑(たっけい)のキリストだったのだ。


七月は本業の寝具の仕事に追われ、月末の売掛金の回収や支払いを済ませた龍平が、丹南町の桜台西自治会の下村区長宅を訪れたのは八月に入った二日の月曜日だった。
龍平は下村区長との約束の一時間前に、丹比自治会の井川区長宅に立ち寄っていた。
井川区長から思いがけない話を聞く。数日前に俊平が井川区長宅を訪問し、そこで俊平が霊園経営への深い思いを滔々と語ったのだと。
「府民の皆様の霊供養のお手伝いをさせてもらうのが、天から与えられた私の使命だと思うようになりました、精一杯墓参客様のお世話をして、ここにお墓が持てて良かったと思っていただける霊園にしたいとおっしゃっていたよ」
龍平は、父親が自分の霊園経営への意欲を、方便では無く、本音で表したのだと確信した。だがこれまでは龍平が他業種への転業をいかに説こうが、そんな話に耳を傾ける父親ではなかった筈なのだ。
・・・何が父の寝具事業に執着する心を変えたのだ? それに最近急に自分に優しくなった、何故だ、古希を迎えた歳の所為か、・・・廃業になれば新たに父に嘘をつかなくても済む、俊平が仕入れの支払いを止める度に、内緒で入金を抜いては支払いに充てる、・・・そんなことはもうしなくても済むのだ、・・・それは良いが、その時期はやはりもう少し後が良い、内緒で仕入支払いの為に借りた借金の処理には、まだ何ヶ月かの時間が必要だ・・・
早く廃業したい、早く父親に嘘を付かずとも良いようにしたいとの思いと、内緒の借金を綺麗に処理する数ヶ月の時間が欲しい・・・とのジレンマに龍平は悩んでいた。


さて繰り返すが、一年前の六月の、府知事による霊園事業の許認可は、付近住民の同意書が揃わなければ、工事にも販売にも入ってはいけないとの条件付きだった。
但し府が求めた同意書は、現在俊平たちが交渉を進める、申請地南側に隣接するニュータウンの桜台西自治会と、申請地の北側の畑や林が位置的に所属する丹比地区との、二つの自治会の同意書だけではなかったのだ。
申請地の東側には、昔からの住民だからと、地理的に近い桜台ではなく、離れた丹比地区に所属する三軒の家が隣接していたのだ。だから大阪府は、この申請地に隣接する三軒からは、丹比地区とは別に、それぞれ同意書を貰うよう指導していた。
つまり桜台西、丹比地区、隣接三軒の、同意書三点セットが、霊園の工事開始に必要だったのだ。
しかもこの隣接三軒からは、霊園開発の話を聞くなり、利賢い丹比地区の有力者の山本が、この三軒から委任状を集め、三軒の代理人になった為に、同意書がとれなくなったのだ。
山本が提示した丹南メモリアルパークに同意する条件は、交換に親族の石材店に同霊園の三分の一の営業権を渡せ、という絶対に呑めないものだった。
有力者山本への遠慮から、隣接三軒が同意書を出せなければ、彼らが所属する丹比自治会も同意書が出せない。
丹比自治会が同意書を出さなければ、自分は一番手ではなく、二番手に同意したい桜台西自治会も同意書を出せない訳である。


桜台西自治会が霊園工事の内容については合意しておきながら、丹比地区の同意書の後に同意書を出したいとの下村区長の発言を龍平から聞いて井川区長は絶句し、これでは永遠に同意書は出せないとため息をついた。
一方、桜台西自治会の下村区長も、有力者の山本が隣接三軒の代理人となって無理難題を同意の条件にしているとの、丹比自治会が同意書を出せない事情を、龍平から聞き出して絶句し、これでは永遠に、と井川区長と同じ事を言ってため息をつくのだった。
(序章⑬に続く)