第六章(誰もいなくなる) その2
(訪販事業部の東京本部があった現在の新宿駅西口の隣町、歌舞伎町)
それは正月休みの最後の日だった。龍平は父の俊平に有働の葬儀参列の意志を確認する。昨年の夏以降、龍平は父親の俊平と殆ど口をきかなくなった。
俊平に命じられて三月から始めた冷凍食品の宅配業も、更に俊平の気まぐれに付き合って6月から始めた健康食品のシステム販売も、そのどちらもが十一月には行き詰まり、関係社員を龍平が解雇に踏み切った十二月には、俊平と龍平の不仲が決定的になっていた。
そして俊平一人で担当したカシオペア事業でも、秋頃からは東西共に閉店ラッシュとなり、新宿西口の本部ビルも解約しなければならなくなって、東京の拠点は新たに目黒区にビルの一室を借りなければならなくなるほどの事業の縮小ぶりだった。
だから俊平も龍平も互いを非難することはできず、せめて顔を合わさないようにしていた。
だから龍平には、新幹線で二時間半も俊平と隣同士で座るなど、想像したくもなく、なんとか父親の俊平とは別々に葬儀に行きたかった。
それを自宅で父親に尋ねるにも、お父さんと声を掛けるのか、それとも、やはりこれは仕事の話だと、龍平は家の中だが「会長」と他人行儀に声をかけることにした。
「会長は有働常務の葬儀に行かれるのでしょうか。私は東京の社員たちと今後の話がありますので、明日の朝、本社の初出には出ますが、午後から一足先に東京に移動し、前夜の通夜から参列するつもりです。ですから明後日は、会長にはお一人で新幹線に乗ってもらいますが、それで良いでしょうか」
「明後日は山村頭取に呼ばれている。だから葬儀には行けない。お前は儂の代理で参列してくれ」
俊平の葬儀欠席は意外だった。和議を出した頃は、有働健一のことを命の恩人とまで言っていたのに、五年の歳月が流れ、訪販事業が行き詰まり、事業の継続が風前の灯火となった途端、その恩人の葬儀に顔も出さないとは。
「そうですか。では私一人で東京に行って来ます」
「訪販事業は終わりかもしれないな。持って後三ヶ月か。三月末で、総ての訪販店の後片付けをしなければならないかもしれない。そのつもりで行ってくれ」
「そこまで覚悟されているのですか。有働君が力を抜いたからでも、力が及ばなかったからでもなく、原因は時代の流れなのだと思います。世の中が外販そのものを受け付けなくなりましたから」
「そうかな、有働君を儂がついつい甘やかしたからだと思っている。山村頭取には逢わせる顔がない」
「このままでは後三ヶ月後に迫った四回目の和議弁済は、どうしようもありませんね」
「万策尽きた。だまってスルーするしかないだろうが、その結果、どうなるかだ」
初出の六日月曜日の夕刻、東京に着いた龍平は、先ず目黒店に立ち寄る。そこに十数名の社員がいたが、どうやら今日は営業に出ず、休業にしたようだ。
管理の桜田部長が龍平の姿を見るなり、駆け寄ってきた。
「常務、すみません。本当に申し訳ないことをしました」
「一体、何があったの」
「昨年は二十九日まで仕事をして、三十日は一日、商品の棚卸や店の清掃をやっていました。今日はこれだけの人数しかおりませんが、その日は二十名以上の社員が出勤していました」
「東京全部で二十数名になってしまったのか」
「会長からお聞きじゃなかったのですか。心配していた通り、新宿ビルを解約してから、カシオペアはもう駄目だと一挙にセールスが散り始めました。続いて、横浜、千葉、大和、吉祥寺も閉めなければなりませんでした。有働常務は、毎日毎日、口癖の様に会長に申し訳ないと言っておられました。四回目の和議の支払いが刻一刻と迫って来るのに、会長に何もしてあげられないのだと嘆き、こんなことなら会長に無理させて本部を新宿なんかに持って来るんじゃなかった、なんて悔やんでおられました」
「僕は別の二部門の責任者になっていたので、カシオペアの事業からすっかり離れていたから、噂で多くの店が閉店になったのは聞いていたけれど、有働常務がそんなに悩んでいたとは知らなかった」
「それでも有働常務は、新宿ビルの敷金の解約返戻金の四千万円が、来年の和議返済金の一部になるのだと思い込んでおられたのです。だから常務から会長に新宿撤退を申し出られたのでした。ところが年末になって、新宿の敷金は初めからなみはや銀行の担保に入っていて、その返済に回っただけと聞かされ、愕然となさいました。でも来春の和議弁済は、一部でもなんとかしたいと、常務は目黒店への転勤を承知した幹部五名を集め、仕事が終わってから寿司屋でミーテイングをしようと言い出されたのです」
「それでどんな話になったの」
「どんな話って、もう私たちにはついて行けませんでした。常務、無理です、目黒店も限界ですって言
ってしまいました。すると常務は、今度は居酒屋で気分を変えて飲み直そう、もう仕事の話はしないからっておっしゃるから、時刻は九時を回っていましたが、もう一軒、常務に付き合いました。しばらくすると常務はまた仕事の話に戻しました。目黒店で毎月六百万の利益を出すぞ、せめて二千万円でも弁済資金を我々で作るぞってね。一人に三百万円のノルマを課そうって。私たちは、悪いですが、もうそんなに売れる時代ではないですよって言いました。すると常務は怒って、我々を店の外に放り出したのです。暫く常務はひとりで飲んでおられました。仕方なく私たちは腹が減って別の店でラーメンを食うことになりました。時刻はそろそろ十二時前でした。誰からともなく、常務の様子を見に行こうということになりました」
「もう一度有働さんに会えたのかな」
「はい、私たちが先ほどの居酒屋の近所まで戻って来ると、丁度、常務が暖簾を分けて店を出て来るところでした。そこで常務!と声を掛けたのですが、常務は聞こえなかったようで、千鳥足で表通りの車道にそのまま歩いて行かれ、タクシーを止めるような仕草をされました。しかし向こうからヘッドライトを照らして走って来たのは、タクシーではなく、大型トラックでした。常務、危ない!と私たち全員が大声で叫んだのですが、有働常務は自分を照らすヘッドライトを睨みつけるように立ちはだかったのです。トラックは急ブレーキを踏みましたが、間に合いません。事故の後、慌てて警察や救急車を呼び、奥様に連絡したのは私たちです」
「だったら、なぜその時に会長に知らせなかったの」
「それは病院に駆けつけられた奥様が、もう年末年始のお休みに入ったのですから、大阪に知らせるのは年が明けてからにして下さいと懇願されたからです。折角お休みをとられている会長や龍平常務を煩わせてはならないからと。有働常務は意識もなく、そのまま集中治療室入りでした。事故の後、奥様を含めて誰も常務とは口を利いておりません」
「それでそのまま息を引き取ったのか」
「はい、昨日でした。病院が知らせて来ました。それを聞いた途端、十名のセールスが辞めてしまったのです。私の力不足で、本当にすみません。あっ、そろそろ時間ですね。野須川常務、それでは葬儀会場にご案内いたします」
通夜式の会場に着いたら、龍平は先ず有働夫人を探して、弔意を述べた。
未亡人はハンカチで目を押さえながら龍平に挨拶を交わした。
「野須川常務様ですか。会長や常務様には主人が大変お世話になりました」
「いいえ、お世話になったのは、私たちの方です、奥様。父も有働常務のことを、命の恩人だと何度も何度も申しておりました」
「何をおっしゃいますの。もったいないことを。私たち夫婦の恥を曝すようですが、実はお店が新宿から目黒に移って、主人が私の所に戻って来てくれまして、やっと元の夫婦生活に戻れると喜んだ矢先でしたの。だって新宿本部があった頃、主人は殆ど家に帰ってなかったのですよ」
「そんなこととは知りませんでした。それは本当に残念です。どうか奥様、お気を落とされませぬように」
第五章 誰もいなくなる その③に続く