第六章(誰もいなくなる) その8

(筆者が経営する羽曳野の霊園のバラ園。池田厚司氏撮影)

「おい、俊平さんよ、俺の生活を看てくれるんじゃなかったのかい。あんたの言う通り、このままいくら営業したって何の成果も上がらず、これじゃ共倒れじゃないか。俺がよう売らんのじゃないぜ。龍平さんだって、土田君だって、池田君だって、誰も注文とれないんだ」
「なんだ、その口のきき方は。それが雇い主への言葉使いか」

「雇い主って言うのはな、給与が貰えるのかどうか、従業員に心配させない人を言うのさ。あんたの言う通り、二ヶ月やってみた。だが売上は全員ゼロだ。それに訪販の時の原材料の未払いの催促が山ほど来ているぜ。この会社、いつまで持つんだね。俺はもう今日で辞めさせてもらうつもりなのさ」
「給与はきちんと払って来た。寝具店への営業に、息子の龍平が率先して範を示せなかったのは、確かに龍平があまりにも不甲斐なさ過ぎたのだ」
「よく言いますよ。俺たちがこの二ヶ月間、ちゃんと給与を貰えたのも、何もせず、のほほんと会社に来ているあんたが給与を貰えたのも、龍平さんが在庫を処分して金を作ってくれたお蔭じゃないか。金に困っていたこの俺に、あんたは何と言ったのかい。思い出せよ。金はいくら要るんや、そうか二百か、そんな金なら、俺が何時でも出してやるから、もう一度儂(わし)の処に来て、仕事をしないか、と頭を下げたんだぜ。その二百、今出してくれよ。俺はあんたの言う通り、仕事をしてやったさ。だから今度はあんたが約束を守る番だ」
「仕事をしたって、そんな話は成果を出してから言え」
河野は、にやっと笑って、背広の胸のポケットから札束の入った封筒を取り出す。
「きっとそんな卑怯な言い逃れをするだろうと予想していたよ。実はな、ここに二百万あるのさ。これは八幡工場に置いてあった冷食宅配に使っていた、保冷庫を乗せた軽トラ十台を売った金さ。この金は俺がいただくとするよ。それであんたも俺への約束が果たせるのだから、文句ないだろ」
「八幡工場の軽トラ十台を売った金だと。それならそれは会社に入金する金だ。それをお前が獲るのなら、泥棒じゃないか。誰がお前に会社の車を売れと」

「あんたはもう歳かね。ついこないだあんたから軽トラが十台残っているんだが、保冷車なので買い手が限られるんだ、売却先に心当たりがあるなら、紹介してくれないかとこの俺に頼んだんだぜ。あんたから車の売却を、この俺に委託したんだよ。今更四の五の言うなっての。訪販時代は有働や廣川に仕事を任せ、今又従業員に仕事を押しつけ、自分は何もせず、給与をとってきたあんたの報いさ。従業員の誰だって思っているさ。責任は会長にあるって。それでは野須川寝具の皆さん、お元気で」
二百万が入った封筒を再び胸のポケットにしまい込み、河野は堂々と出て行ったが、俊平は怒りに顔を真っ赤にしながらも、後を追おうとせず、応接ソファに座り込んだままだった。
「いいんですか。河野は行ってしまいますよ」と龍平や土田や池田が口々に声をかけるのだが、俊平は応接ソファに深く座り、無言で俯いたままだった。
どんなに卑劣なことを恩人にやってしまったのか、河野は分かっていたに違いない、しかし彼の置かれた切羽詰まった状況が、倫理観さえ押し潰したのだと龍平は見ていた。可愛そうな男だ、と龍平は溜息をつく。
河野が辞めたのは、俊平が大正乳業や大阪の健康食品メーカーの支払いを踏み倒した直後のことだ。
俊平は大正乳業の大阪支社に行き、「一年間必死に取り組んだ冷食の宅配業だが、赤字だけが残ったのはこれ如何に。事業の親会社には責任が無かったのか、一度御社のトップのご意見を伺いたい」などと、まるでヤクザの様な言いがかりを付けた。
大阪支社冷食課の課員たちは顔色を変え、野須川寝具に残っていた最後の一ヶ月分の売掛金を上部に内緒で償却したのだ。

健食メーカーの会長と親しかった俊平は、これも互いの儲けを夢見て、やってみたが、結果的に大赤字になったので、それを相互で折半にしないかと、これもヤクザのような難癖を付け、残った未払い金の支払いを免除してもらった。
今まで和議の弁済は毎年きちんとやって来た。ところがそれが出来なくなった途端、俊平は人が変わったようだと龍平は感じた。父親の俊平が世間に悪業(あくごう)を積むなら、それは同じ会社の役員として自分まで悪業を積んでいることになるのでは、と龍平は自分に悪果の報いが来るのを恐れる。会社に報いる悪果が、河野による二百万の強奪で済むなら良いのだが、と漠然とした不安が龍平の胸に拡がっていた。

それから数日が経った。俊平は、二人で話がしたいと龍平を呼んだ。
「正直、儂(わし)は自信が無くなった。もう儂らの時代ではなくなった。八幡工場をどう動かしたら良いのか、それすら今の儂には知恵が出て来ない。だから儂は本業から手を退くことにしようと思うのだ。それでだ。お前ならこの後、儂に代わって工場を稼働出来るのか、それを聞きたいと思ってな。やはりお前も自信がないかな」
「いいえ、会長から、もしも私に営業の全権をいただけるなら、その業務命令を受けたいと思います」
「何だって、お前はこの難関を突破できる自信があると言うのか。それは頼もしいが、頼もしいのは言葉だけじゃあるまいな」
「会長、お願いがあります。私に任せる以上、どんな商品を作ろうが、どんな先に売ろうが、一切口出しお断りで宜しいでしょうか。先日の東京の山本産業の様に、一旦製造直販をやってしまったメーカー

と取引を再開する業界の企業はありません。ましてや一度倒産したメーカーです。勿論寝具業界の仲間と取引して、手形を貰って来ても、和議を出した我が社では、どうにもなりませんからね。ですから、私は業界外の企業を相手にしたいと思っています。中には会長が眉をしかめられるところも多々あるかと思います」
「そんなことは良い。お前に任せたのだから、儂は一切口を出さん。その保証と言っても何だが、お前を、今から儂と同格の代表取締役にする。お前は今日から代表取締役副社長だ。だがこれだけは言っておく。人事権だけは儂一人が持つことにする。それから例え代表取締役でも、銀行折衝だけは儂の専任業務とする。何故なら折角ここまで苦労して減らして来た債務じゃないか。そこにお前がまた新たに融資を受けて債務を増やすのは、儂には我慢がならないからな。分かったな」
「分かりました。それでは明日から私は本業の責任者になって頑張らせていただきます」
龍平は昭和六十一年五月、野須川寝具産業の代表取締役に就任した。つまり以後は「勤め人」ではなく、「商売人」や「企業家」としての人生が始まったのである。

第六章 誰もいなくなる その⑨に続く