第七章(終わりなき闇夜)その12

(現在の御堂筋心斎橋、ホテル日航大阪付近。筆者の元の会社は、このホテルから西に向かって徒歩五分の位置にあった。バブル期にホテル南側の量販店ダイエーが創った商業施設「OPA(オーパ)」は、ダイエー消滅後、イオングループに属している)

加藤や池田らとのミーテイングを終えると、龍平は急いで奈良のあやめ池に帰った。今日は家で夕食をとると妻の智代に言っていたからである。
帰宅後、龍平は智代に先ほどのミーテイングの話をした。龍平は東京の極道の壺井から二千万円を借りた経緯(いきさつ)も、それを必死に借り換えていることも、既に包み隠さず話していた。
そして今新たに城陽寝装の売上入金を抜いて、内緒で仕入支払いをしなければならない状況だ。この家の持ち主で、階下に住んでいる親への内緒話が、またひとつ増えることになることも、龍平は智代に説明した。
義理の親に、夫婦で仕事上の内緒事を持ちながら、毎日顔を合わせなければならない智代には、ほんとうに済まないと龍平は思っている。
そんな龍平に「私はあなたを信じています。これも考えて考えて、あなたがしたことでしょうし、きっとそうするしかなかったのだと、そしていつか、必ず解決すると信じています」と智代は自分に言い聞かせるように言葉を返した。

平成元年の十二月になる。
九月から四か月、毎月城陽商店から、月々三百万から四百万くらいの現金売上を、昨年暮れに龍平が作った野須川寝具の第二口座に振り込んでもらうことで、仕入先とは、なんとか揉めずに、龍平らの寝具製造卸業は継続されて行った。

一方、俊平の丹南町の山林の住宅開発プロジェクトは、バブル景気のせいもあってか、大きく進展し始めた。南大阪で隠然とした勢力を持つグループで、不動産業を営む黒田会長に総てを一任し、丹南町に圧力をかけ、住宅建設が進む帝急不動産のニュータウンに隣接する野須川寝具所有の山林を、開発調整区域から外させ、宅地にして建売業者に売る計画が立てられた。
しかしその二千六百坪の土地の敷地には、境界線や場所が不明なところがある問題を解決する為、新たに四百坪の土地が追加購入され、三千坪の土地として、四十五件の宅地と共に道路や公園を創る計画図が作成されて行った。
販売先として、南大阪の住宅建設の雄である楠木住建の名が上がり、原価も定まらないのに、調整区域解除を条件に、四十五件の宅地の販売契約が交わされた。
東京の壷井が、龍平に久しぶりに連絡して来た。ベストライフ社の消滅以後は、月々百万円くらいまで布団の注文は減少していたが、前月からは、まったく注文は無くなっている。
壷井は、龍平への貸付金が七百万台になってからは返済が進まないことに苦言を呈して来る。雑貨を扱う現金問屋の仕事が、ベストライフ社が消滅した後はすっかり儲からなくなって、雑貨商の仕事に飽きが来たのか、新宿歌舞伎町で水商売を始めたから、一度飲みに来ないかと龍平を誘うのである。
十二月は例年なら、商売で世話になった先の担当者のひとりひとりを、龍平は北新地かミナミのクラブに招待するのだったが、二千万円からなかなか減らない個人名義の借金が気になって、この年ばかりはそんな気にもなれず、得意先の誰をも招待できずにいたし、壷井の誘いにも乗れなかった。

飲みに行くのを遠慮するのは、すっかり親しくなった友人の徳山だけは別だ。
俊平会長とも仲が良い徳山が気にするのは、龍平が会社の貸金庫に入れるべきゴルフの会員権を、町金の質草にしたままでいることだ。いつ俊平がそのことに気づくかと、気が気でならなかったのだ。
徳山は、龍平に貸した十回払いの自動車ローンが、来月で完済されるタイミングで、別のローン会社、アジアコーポレーションに、龍平がトヨタ・スープラの中古車を、二百五十万で買ったことにして、五年払いのローンの仮申込をしていた。
審査が通ったところで、徳山は突然龍平の事務所に来て、既に数字を書き込んだ信販申込書を龍平に手渡し、一方的にこれに署名捺印し、銀行欄に銀行名、口座番号を書いて、銀行印を押して、明日中に東大阪吉田の本社に届けてくれと言って来た。
龍平はその日は大阪にはいない。「もう一日後では駄目なのか」と龍平は日延べを頼んだが。徳山は「駄目、駄目、明日が締切りなんです。入金は正月明けになるけど、先方が申込みを受け付けたなら、僕の方で今月兄貴に二百五十万を用立てさせてもらいますから、一日も早く、宇治川ロイヤルの会員権証書を返してもらって来て欲しいのです。僕は社長の手元に会員権証書が無いのが俊平会長にバレるのが一番怖いんですよ」
「徳山君、ありがとう。君には余計な心配かけたね。五條カントリーを売って、宇治川ロイヤルを買ったのは、僕の大失敗だった。七百万円で会員を募集した宇治川ロイヤルは、オープン後は五百万円の値しかつかない。何か財務の問題でも抱えているのかもしれない。あの長堀橋の町金は慌てて、残が二百五十になるまで、一挙に返済してくれと言ってきたのが九月だ。一方、昨年七百万で宇治川ロイヤルに譲渡した五條カントリークラブの会員権は、現在一千万円で毎日売買されているんだよ。皮肉なことだ。僕は繁栄の神様から、完全に見放されてしまっているようだ」
一攫千金を夢に見る俊平と、何時までも闇夜から抜け出せない龍平の立場は雲泥の違いだった。

翌日、龍平は大阪にいない為、智代に信販申込書を東大阪の徳山の会社に持たせるしかなかった。智代は仕方なく、小学一年生の幼い美千代の手を引いて、夕食の準備もおいて、近鉄生駒駅で乗り換え、東大阪線吉田駅付近にある徳山の会社を訪ねるのだった。
このようにして、平成元年年末現在の龍平名義の借入残高は、ゴルフ会員権を質草にしたのは無くなったものの、壷井の残高が七百万円、自動車ローン二社の残高が二百八十万円、カード会社三社の残高六百万円、新たに増えたサラ金四社が二百万円、合わせて一千七百八十万円の借入が残っていた。サラ金は、壷井の利息払いと自動車ローンの返済、それに会員権担保の借入の返済の為に生じた。
二千万円から始まった借入金をゼロにすることは、龍平には並大抵のことではない。

平成二年の正月になる。例年の如く学生時代の友人から、龍平は年賀状を何百枚と受け取った。その中で、大学時代の友人たちの多くが、まるで流行のように、有給休暇をとって、夫婦でヨーロッパやハワイを旅行したことを写真入りで知らせて来ていた。バブル時代ならではの年賀状だ。
もし今も太平洋商事に勤務していたら、同じように家族でヨーロッパを旅行していたのではないかと、龍平は思わないでもなかった。
年が明けても壷井は、しつこく自分の店に飲みに来いと龍平を誘う。それも新宿に泊まれと言って来た。壺井が朝まで付き合えと言っているのかと解釈し、普段なら義父が亡くなった後は、東京に泊まりで出張する時は、下総中山の義母の家に泊まっていたが、この時、初めて新宿のホテルを予約し、久しぶりに壷井と飲食を共にすることになった。

夕刻、新大久保の壷井の事務所に行くと、すぐに飯を食いに行こうと、龍平は歌舞伎町の、すきやきの店に連れて行かれる。その店で使用されていたのは近江牛だ。滋賀県人のDNAを受け継ぐ龍平は、きっと近江牛が好きだろうと壷井が気遣ったのだ。
脂っこい近江牛の肉に、美味い美味いと舌鼓を打ちながら、壷井は語りだした。
「しばらく布団を注文しなくて悪かったな。俺はずっと気にしていたんや。だけど、もうすぐ大きな商いになるで。ええ先見つけたんや。野須川社長、あんた、日本一の現金問屋知っているかい」
「すみません。不勉強で」
「大阪の同友社じゃないか。あそこは近々上場するという噂だ。日本一の量販店と言われるダイショウだって、資金が掛かる東南アジアでの家電のプライベートブランド商品の製造は、全部同友社に頼んでいるとの噂もあるくらいだ。そんな大会社の名前も知らないなんて、社長も世間知らずだね」
龍平はそう言われてむっとした。そんな大きな会社なら、野須川寝具の製品を、壺井を通して買うはずがないだろう、それに気づかない壺井の方が世間知らずではないかと思った。
「俺は同友社の東京支店の役員たちに貸しがあるんだ。だから奴らは俺から羽毛布団を買わなければならないんだよ。先ずは三十枚、注文をとってある。その内に一千万円は注文が来るさ。そうでないと天下の同友社の名がすたるからな」
「一千万円買ってくれたら助かります。工場の人間を増やしてでも対応しますよ」
「社長、同友社から一千万円、注文が入ったら、七百万の貸付は相殺させてもらうぜ」
龍平はぎょっとした。もしそうされたら、龍平の寝具の事業は終わりだった。

「できれば、少しずつの返済にできないでしょうか」
「あかんで。八幡工場の前半分売って和議弁済を片付けたと言ったな。なんでその時、お父さんに俺の借金のこと、言ってくれなかったんや。社長はこっぴどく怒られたやろうが、俺の貸付金は回収できたんやで。俺は今、歌舞伎町で台湾クラブをやっている。来月は二店目を出すんや。いくらでも資金が要るんや。済まんが、社長に貸しておくゆとりが無い。仕事に支障があって、あかんかったら、お父さんに相談してよ。もうこの辺で腹括ってえな。それはそうと台湾クラブ、知ってるわな」
龍平は太平洋商事に勤務していた時に、先輩たちから宗右衛門町の外人クラブによく連れてもらった。一歩店に入ったら、日本語は禁止だ。実践的な英会話を身につけさせようと、先輩たちは後輩をそんな店に連れて行ったのである。
「台湾クラブという名は、初めて聞きましたが、それはつまりお店の中で働いている女性が、総て台湾人というお店なんですか」
「ははは、龍平社長は、何も知らんお坊ちゃまだね。腹一杯食った。そろそろ、その台湾クラブに行ってみよか」
壺井が案内した店は、すき焼きの店から歩いて七、八分のところにあった。
店に入ると、女性たちがタイ人であることがすぐに分かった。昔、大阪宗右衛門町の外人クラブのホステスたちも、殆どがタイ人だったからだ。
「台湾人ではなく、タイ人のホステスのようですね」
「社長、台湾クラブって言うのは、店の形態で、ホステスの人種のことやない。つまりここはテイクアウト、お好みのホステスを持ち帰ることが出来る店や」

第七章 終わりなき闇夜 その⑬ に続く