第八章(裁かれる者たち)その10

 

(筆者が経営する霊園の販促写真。霊園の中にあるバラ園でモデルさんを使っての撮影)

俊平は目を輝かせる。
「ほんまか、本田さん、霊園にしても、宅地と同じ三十億の売上ができるんかいな」
「野須川会長、随分三十億に拘られるが、余程の意味がある数字なのでしょうな」
「そや、儂はどうしてもあの土地を三十億で売らなければならないのや。その事情はまたおって君に話すから」
「何だか知りませんが、まさかあの元々調整やった山林を、何十軒かの宅地に造成する費用が三十億もかかったなんて、まさかそんなことはないのでしょう」
「勿論そうやが、三十億は金融機関に返さなあかん、この儂の借金やと思ってくれたらええ」
「では霊園にする採算を申し上げます。三千坪なら私の経験では約五千聖地の墓地がとれると思います。聖地とは関西の墓地の取引単位で、一聖地は九十センチ四方、つまり四分の一坪です。三千坪の土地があっても、管理事務所の敷地や墓参道が要りますから、墓地にできるのはせいぜい一千二百坪から一千三百坪です。だから約五千聖地になります。現在関西では不動産バブルで墓地の分譲価格が大幅に上昇し、こんな郊外でも聖地単価六十万以上で分譲しています。ですから墓地で分譲しても、楽に三十億の売上が可能なのですよ」

「待て待て、まさか儂にその五千聖地を消費者に売れと言うのではないよな。そんなことをしたらいくら三十億で売れても、その期間の販売経費がいくらかかるかもしれない。結局儂が手にできるのはほんの数億だったというような話に乗ることはできんぞ。五千聖地は一体何区画なんだ。五千区画か」
「区画数で言うなら二千五百区画くらいになりましょう。確かにこれを全部売るには、いくら不動産バブルであっても、六年くらいはかかるでしょうが、それを売るのも、販売経費を負担するのも、総ては関西石材の仕事なのです。だって石材店の仕事は、お墓を建ててなんぼの仕事ですから、宅建屋が宅地の上に住宅を建ててなんぼの話と全く同じでよ。石材店は墓地を売らなければ、墓石は売れないのですからね。販売は関西石材に任せて、会長はだまって墓地代の入金を待っているのは出来ませんか」
「うちは今すぐ三十億の入金がほしいんや。そんな悠長に六年も待っている訳にはいかんのや。それにな、そんな金の入り方したら、入って来る尻から経費に使ってしまって、売る土地が無くなった頃には、金は残っていなかったことになるに決まっているんや。あかん、本田さん、いますぐ関西石材であの土地を三十億で買わしてくれないか」
「いやはや、困った条件ですね。分かりました。関西石材の坂下社長に相談してみましょう」
「関西石材の坂下社長は創業者かい」
「いいえ、三代目、いや二代目と言うべきなんかな」
「なにや、えらいややこしいお人やな」
「なんでも現社長の祖父が創業者だと聞いています。四国徳島の出身です。二代目が成人になられた時に初代は一旦リタイヤされました。ところがその直後、二代目が突然お亡くなりになったのです。そこ

で初代は二代目社長の息子さん、往時まだ中学生ぐらいだったと思いますが、そのお孫さんに石材の仕事を教えながら、石材店の経営を続けられました。そしてそのお孫さんの純一郎さんが、今から十年くらい前に実質二代目の社長になられたのです。坂下純一郎さんは、大阪石材工業組合の理事長を務められたこともありました」
「社長はいま幾つなんや」
「えーっと、確か、今年四十になられると聞きました」
「そんなに若いのか。じゃあ息子の嫁と同じ歳か。兎歳やな」
「はい、その通りです。息子さんはおいくつなんですか」
「龍平は団塊の世代、今年で四十四になる」
「龍平さんの誕生日は」
「確か七月二十九日やが、それがどうかしたかい」
「えっ、私はその翌日の生まれなんです」
「そうか、なんだか知らんが、それもご縁かね」
「いやあ、私たちはここでお会いすべくしてお会いしたようですな」
「それで、関西石材だが、関西では大手の石材店ということになるのかい」
「それがそうでもないのです。この業界は売上や利益だけではありませんから。大阪や京都には関西石材よりもずっと名の通った老舗石材店がずらっとおりますからね。業歴や抱える職人の技術や銘石を出す産地との親しさなどが、売上や利益よりも優先する業界ですよ」

「布団業界と全く一緒じゃないか」
「坂下さんの話に戻りますが、石材店の社長としては実にユニークな方で、墓石を売るよりも、霊園事業の方に興味を持たれていて、近畿圏内にも幾つも霊園を開発されて来ました。墓石屋さんは店でお客を待っていて、お客が来たら商売を始めるようなところが多かったです。ところが東京に武蔵屋という、墓石屋あるいは石材店というよりも、霊園デベロパーという方がぴったり当てはまる会社が全国にどんどん広大な民営霊園を造って行きました。そして武蔵屋さんが自分の造った霊園に付けた名前、メモリアルパークが、公園墓地の普通名詞になりました。関西石材の坂下純一郎さんは、その武蔵屋さんに習って、関西石材も霊園デベロパーにしようとされて来ました」
「武蔵屋だって、懐かしい名前だ。本田さん、うちが昔、東京新宿で寝具の訪販をしていたた時の本部ビルが、東京の月販百貨店を経営される一族の持つ十階建てのビルだったが、うちはそのビルの五階をフロア借りしていた時、階下の四階をその武蔵屋がフロア借りしていたよ」
「世間は広いようで狭いものですね。野須川会長、会長は石屋と言えば、恐らく土建屋みたいに作業服を着た男たちをイメージされていると思いますが、坂下さんはそんなイメージが大嫌いで、自分の会社の男子社員には全員スーツにネクタイ着用を義務づけています」
「では墓石の設置や文字彫りはどうするんだね」
「それは従業員にはさせないのです。全部下請けに持って行きます」
「坂下さんとは気が合いそうな気がするよ。うちの会社も、営業マンにジャンパーなどは絶対に着せなかった。それで坂下さんに三十億出してくれと言ったら、出してくれるやろか。いま関西石材はどのく

らいの銀行借入があるのやろか」
「そんな話を今日初めてお会いした方に話をするのもどうかと思いますが、聞くところでは三十億前後あるとか。全部近畿各地の霊園開発に投じた資金です」
「なんや、そっちも三十億かいな。その上に三十億借りてくれというのは無茶な話か」
「そうでもありません。今はどの霊園も順調に墓地が売れていますし、その上にどんどん墓石が建って行っていますから、今すぐ貸付金を返せと言ってくる銀行はありませんので、その上に三十億をのせるのはまったく無理な話ではないと思います」
「本社は大阪市平野区の長居公園通りか。ここが今まで新規に造った霊園の中では、一番本社に近い霊園になるのと違うんか」
「その通りです。しかも周辺に住んでいるニュータウウンの住民は殆ど墓地など持っておらんでしょうから、付近住民だけですぐに売れてしまうかもしれません」
「よっしゃ、後の話は坂下さんとや。坂下さんをここへ連れて来てくれるか」
「その前に会長、ひとつ認識していてほしいことがあります」
「なにか条件付きか」
「霊園事業は許認可事業だということです。霊園事業を行う者は、霊園の所轄官庁に申請し、許認可を得なければ出来ません」
「面倒臭いんやな」
「その代わり、一旦許認可をとれば、墓地の収益には非課税処置がとられ、付近に競争相手が出来るこ

ともありません。先ずは霊園事業の申請者になる条件ですが、野須川寝具産業株式会社は申請者になる資格がありません。ここにたとえ名義だけでも、宗教法人つまり寺院名が必要です。従って申請物件も寺院名義にしなければいけません。いまその物件に担保はついていますか」
「なみはや銀行に四億弱、ノンバンクの浪銀ファイナンスに十四億ついているよ」
「それを申請時には抜いて貰わねばなりません。売却代金で返済するのだから、リスクはほんの一時のことだとそちらへの説得をお願いします」
「うーん、分かった。名義を貸してくれるお寺探しと、担保解除の説得は、なんとかやってみよう」
「それと一番肝心な許認可の条件ですが、物件が間違いなく会長の持ち物なのでその点は良いのですが、それにもうひとつ、付近住民の同意書が必要です」
「何だって、付近住民の同意書! 行政の許認可をとってくれるのは関西石材ではないのか」
「いいえ、坂下社長は三十億で一括購入しろと言うのなら、そちらで霊園事業の許認可をとってくれと必ず言って来ますよ」
「いま霊園事業を申請しようとする物件の前にあるのは新興住宅地だ。二十五坪の宅地に家が建った物件を七千万円も出して帝急不動産から買った人々だ。そんな人々の誰が住宅地の横に霊園が出来るのを同意するだろうか」
「それはそうです。霊園も、葬儀会館も、同じですよ。最初から賛同する人なんて一人もおりません。それを説得して行くのが霊園開発なんですよ」

第八章 裁かれる者たち その⑪に続く