第十章(自分が変われば世界が変わる) その8

(筆者が経営する第二霊園のバラ園から。五月の連休から中旬が見頃である)

廃業だからと龍平が、寝具の仕事から完全に離れて、霊園開発に専念できる訳ではなかった。
八月まで商売していた高崎商店や、出雲の寝具工場に迷惑をかけぬよう、アフターサービスを続けなければならない。
一番高く売れる筈と期待された製綿機は、九月の初めに綿を送るシャフトが折れるという事故が起こる。修繕に要する日数は二週間。
出雲の工場では、敷布団のヘリの付け方まで指導に行かなければならなかった。
高崎商店の場合も、中芯綿を供給して下請工場に縫製の指導をするために龍平が出張しなければならない。

商売のアフアーサービスと工場内の機械の売却で、九月、十月、十一月の三ヶ月間、龍平は同意書の催促で、下村区長宅や井川区長宅を頻繁に訪問しながら、岡山県、島根県、群馬県と寝具の残務処理でも忙しく走り回らねばならなかった。
依然として桜台西自治会は、丹比地区の同意書が出てからこちらの同意書を出すとの一点張りだ。丹比地区もまったく同じことを言い続ける。
これでは何時まで経っても埒があかない。
俊平は次第に開発を前進させるには造成工事を強行するしかないと思うようになる。
俊平は俊平で、府庁環境衛生課の参事のところに行き、工事開始の嘆願に入った。
十月八日、俊平はなみはや銀行本店融資部と大喧嘩の末、霊園開発申請地から浪銀ファイナンス十四億の担保を解除させ、それを八幡工場の土地に付けさせた。それが三億五千万円返済した時からの約束だったと俊平は主張する。それはそうだが、二十七億の一括返済の話は消えている。なみはや銀行は、俊平の激情に負けたようだ。
直ちに俊平は申請地の所有者名義を香川大社にする。
それによって、俊平は大手を振って大阪府の環境衛生課と談判できるようになった訳である。
一方なみはや銀行の融資窓口は俊平と大喧嘩になった最後に「それじゃあ野須川会長、二度と融資は申込みには来ないということで、良いのですね」と俊平に言ったそうである。
「当たり前だ。これからは返済の一方だ」と俊平が言い返したとか。
俊平も要らぬことを言ってしまった。当然ながら俊平は後で後悔することになる。

十月のある日、出雲に出張した龍平は、大阪に帰る前に急に出雲大社をお参りしようと思い立った。
出雲大社は、霊園開発の申請者である香川大社と同じ祭神、大国主命(おおくにぬしのみこと)をお祀りする神社であることと、本当に困ってしまって、神様に祈るしか無く、一日も早い両地区の同意書が貰えるようにと祈りたかった。
社殿の前に立ち、大国主の神に祈った後、龍平は祈りは聞かれる筈がないとすぐに思った。神に祈るには、その前に兄弟と和解して来いとは、耳にたこが出来る程光明の家で聞かされたことだ。
住民と和解できぬまま、同意書をくれとは何事か。しかも兄弟の中で一番大なるものは父と母である。その父に内緒を重ねる自分が神に祈ってどうすると自虐意識がこみ上げる龍平だった。
社殿から駐車場に戻る時、龍平は天から自分を呼ぶ声が聞こえた。天ではなく、龍平の耳の中と言うのが正しいだろう。
「カインよ。カインよ」とその声は、龍平に呼びかける。
カインとは、聖書に出て来る人類の始祖アダムとその妻イブの間に生まれた息子である。成人して双子の弟と共に最初の収穫物を供え物にして、神に感謝の祈りを捧げたのに、神は弟アベルの供え物しか受け取らなかった。カインはアベルに嫉妬し、騙して彼を殺害し、遺骸を自分の畑に埋めて隠してしまう。しかし神は全部お見通しだった。
「カインよ。汝はなんということをしたのか。罪の値は死なり。お前は自分の畑を、何も実らなくさせてしまった」
畑とは創業以来四十年、寝具事業を続けてきた会社のことを言っておられるのだと龍平は気づいた。

創業者に愛され信頼されるが故に後継指名された者が、創業者に内緒で仕入支払をして来た裏切りの罪は、あまりにも大きい。
会社を廃業に導いたのは、龍平の不調和の罪のせいだと神がおっしゃったのだと理解する。
「神様、罪の値が死なら、私は㓕びる運命しかないのでしょうか」と龍平は心の中で呻いた。
「我は愛なり。だから我は汝を誰にも殺させたりはしない。汝は汝の父アダムのもとに行き、懺悔(ざんげ)して許しを請え。罪は本来無く、懺悔すれば消えるなり」と神は答える。
龍平は目眩がして、その場にしゃがみ込んでしまった。

龍平は借金の返済を預金を崩しながら進め、十一月まではなんとか事故無く進めることが出来たが、そこで龍平の銀行口座の残高が総てゼロになった。しかし借入残高はまだ四百八十万円余り残ったままで、十二月以降もカード会社六社、信販一社は借入残高がゼロになるまで容赦なく引落としを回して来るだろう。龍平は往時流行った自己破産の言葉が頭の中を走り回った。
翌月の十二月は絶対絶命だった。
俊平は現場に工事開始の用意を始めた。工事を請け負ったのは右翼系の土建会社だった。しかし実際に工事の準備に来たのは、その下請けの右翼系の零細業者だった。
ここで右翼系と言ったのは、右翼勢力が一般企業なんかをターゲットにして、因縁や脅しをかける時に、街宣車の搭乗員に駆り出されるような者たちを言ったのだ。
同意書を出し渋る自治会への脅しである。たちまち墓地工事反対の看板が申請地に無数に立った。

十一月三十日火曜日の夜、俊平と龍平は桜台西自治会の集会に呼ばれる。再び怒号の集会となった。
「協定書を交わしたのだから約束通り、同意書を出せ」「同意書を受け取ってから墓地造成工事をせよ」と両者の主張は平行線のままだ。
九月から十一月迄、製綿工場、繊維機械メーカーなど何社か、製綿プラントの購入を検討した。しかし電設工事や移送費用に、二千万円近い費用が要るとが分かると、皆曳いてしまっていた。
府の環境衛生課も墓地の工事はもう少し待ったらどうだと俊平を説得する。
俊平にとっては、なにひとつ思い通りに進まない。
十二月に入ると、五日、十日と、龍平は銀行口座に返済の振替が回って来ても、どうすることもできず、資金不足で相手先に戻されて行った。
事故なく進んだのは、返した分はまた借りられる消費者金融の四社だけだ。
当然ながら、カード会社は職場に督促の電話を架けてくる。
取引先ではない処から龍平に督促らしい電話が入っていることに、俊平も気づいていた。
十二月十日は俊平と下村区長と井川区長との三者会談がなされる予定だったが、俊平が今日明日に工事を強行しようとするのを知ってお流れになった。
十二月十五日もカード会社の一社が返済を回してきたが、これも不渡りに。
カード会社は銀行系であるから、もしも龍平が今月中に返済するか、話し合いを付けなければ、来月には全国の信用情報に名前が載ってしまって、龍平はカードが使えなくなり、銀行から融資も受けられず、企業家になるのも諦めなければならなくなる。

その夜、下村区長から冷静になって再度話し会おうと呼び出され、俊平と龍平は桜台西自治会の幹部が集まる集会所に出かけた。話はやはり平行線だった。
だが大阪難波に帰る車の中で、俊平は「手応えはあった。同意書はもう一押しだ」とほくそ笑む。だが龍平はそんなに楽観的にはなれなかった。
車は西区北堀江のモータープールに返すが、その前に四ツ橋筋の難波で俊平はひとり車を降りた。
降りしなに俊平は、車のドアを開ける龍平に「お前、ずいぶん借金があるようだな」と急に声をかける。
龍平はぎょっとなった。何と返答したら良いか、戸惑っていると俊平は更に質問する。
「このまま給与がなかったら、お前はどうなるのだ」
「そりあ、自己破産でしょ」
すると俊平は「なんだ、自己破産か。そんなら何も心配ない」と笑って、友人のあれとこれが最近自己破産したが、今はかえってのんびりやっているという話までして、近鉄の地下駅に通じる降り口を地下に降りて行った。バブル時に株やゴルフ場の会員権に融資を受けて投資して、大企業のサラリーマンでありながら、返済できずに自己破産した者が多かった時代である。
龍平は呆然となった。何故借金をしたのかと、どうして聞かないのか。龍平は考える。
父親は息子が借金すると言えば、仕事の理由しか無く、贅沢な暮らしをしたからでも、放蕩生活に浸ったからでもないと、今も信じているのだ、と龍平は気づいた。
それなのに、自分は本当のことが分かれば、職場も住む所からも追い出されるに違いないと親を信じていなかった。

二年前の五月の宇治の光明の家の練成合宿で、神を拝みたければ、親の背中を通して拝めと言われた時、龍平は可笑しくて笑ってしまった。神に近いのは、光明の家に真理を求める自分であって、父親ではないと。
それは思い違いだった。父俊平はまさしく龍平にとって拝むべき「神」であった。
龍平は車を駐車場に入れ、難波に歩いて戻って、俊平のひとつ、ふたつ後の電車で菖蒲池に帰った。
自宅に着くと、俊平は先に休んでいた。
このままではいけないと思い、龍平は娘の机に座って、俊平への手紙を書いた。
借金が出来た経緯、それを親に内緒でどうして返して来たのか、総て洗いざらい手紙に書いた。
便箋何十枚もの手紙だった。龍平はこれによって父親に懺悔したのである。
最後にどんな処分でも受けますと書いた。書き上げたときは朝の五時だった。それから瞑想行の実相観をする。
職場を追われようが、住む所を追われようが、あんな恥ずかしいことをした奴だと世間から笑われようが、もうそんなことはどうでも良いことだった。
自分を信じてくれた親に正直に対応することの方が遙かに大切だ。 
龍平は自分が持てる総てを捨てて、 親との和解を掴もうとするのは、宗教的に言えば、百尺の竿頭進一歩(ひゃくしゃくかんとうしんいっぽ)であった。龍平は百尺の釣竿に真理(実相世界)を求めて登って行き、最後の一番細い先まで行って、釣竿がしなって自分が逆さまになったのに、真理(実相世界)はまだ先だと教える言葉を信じて、竿を掴む手を放したのである。

その手紙を持って家を出たのは何時もより早い朝七時。
近鉄奈良線難波駅から四ツ橋筋を北堀江まで歩く。
龍平は驚く。並木の緑の美しさ、こんな美しい緑に一度も気づかなかった。
空を見上げた。空の美しさは何だ。昨日まで全く気づかなかった美しい水色だ。
龍平は会社に到着し、俊平の机にそっと手紙を置く。この事務所も今日が見納めかと思いながら。

十時になってやっと俊平は会社にやって来る。机に置かれた手紙に気づき、しばらく読んでいた。
「龍平、ちょっと来い!」と必ずや呼ばれて叱られるだろうと心を決めて今か今かと待つ。
ところが俊平は、手紙を抽斗(ひきだし)にしまい込むと「ちょっと出かけて来る」と、なみはや銀行本店に向かった。
数時間経って、俊平は事務所に戻って来る。
俊平は、本社の龍平以下三名の者を呼んで、こう言った。
「済まなかった。九月から三ヶ月間保留していた君たちの給与は、十七日になみはや銀行から融資を受けて、纏めて支払うことにした」
龍平は思わず目頭が熱くなり、俊平への感謝の念で一杯になって、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「カインよ、我は汝を誰にも殺させたりはしない」の聖書の一文が、龍平の心に熱く染み渡った。
なんと言うことだろうか、一週間後、桜台西の下村区長から龍平に驚愕の電話があった。
「遅くなったが、同意書は年が明けたら出そうと思うから、龍平君が私のところに取りに来なさい」
                                    

第十章(最終章) 自分が変われば世界が変わる その⑨に続く