第一章(家族、夫婦の絆)その17

(婚約時代の筆者の家内です。二人で東京大阪の中間点、富士駅付近でデートしました。)

「おい、野須川、どうしたんだ?」「何かあったのか?」仲間が口々に顔を青ざめた龍平に、その理由(わけ)を尋ねた。
「すみません、皆さんと朝まで飲む訳にはいかなくなりました、明日早朝に新幹線で上京し、親友の父親の葬儀に出ることになりましたから」
こんな口調になったのは、今日の飲み仲間三名は全員龍平より年上だったからだ。
「その親友って誰?」
龍平は太平洋商事の先輩たちに、中学校卒業時の級友、谷川淳子との関係を説明した。先輩たちが想像するような恋人関係ではなく、ただの幼馴染みであることも。
しかし誰もそれでは納得しない。中学時代の同窓生という関係で、何故東京まで行って、父親の葬儀に参列しなければならないのか、誰もが不可解だった。
龍平は仕方なく、中学校卒業以来、二人は頻繁に手紙を交換していたこと、大学三年生になって龍平の思いが高揚し、彼女を親に会わせようとしたら、彼女に断られ、彼女には、ずっと友達でいさせて、と言われて、その後その通りの「大切な友達」で来たことまで説明した。
一番年長の三浦が龍平に、亡くなった父親には会ったことがあるのかと尋ねた。
龍平は、一年前に彼女にせがまれ、彼女の自宅を訪問して、父親と言葉を交わしたことがあることを正直に答える。


三浦は状況を飲み込めたようで、大きく頷くと、厳しい目になって、龍平を諭すように話を始めた。
「結論を言うとだな、野須川、その葬儀には行くな。そんな女性がいながら、三条さんと付き合ってたのか。お前の失恋の所為で、本社の女性が何人か、お前に同情して、彼女と絶交したよな。三条さんも何度も謝罪の電話をしてきたよな。三条さんが職場を去ろうとも、俺たちには彼女は大切な職場仲間なのだ。本当に彼女には失礼な話だ。俺たち三人は皆同じ気持ちだ。そうだな?」
後の二人はそうだ、そうだ、と頷いた。三浦は話を続ける。
「野須川、三条さんへの想いが真実だったなら、その葬儀には絶対に行くなよ。そしてだ、もしもその東京の友達との友情が、誠実なものだったなら、お前はやっぱり東京に行くべきではないのだ」
「それはどうしてですか?」
「ようく考えろ、お前の求婚を断ってお前の親に会わなかったのは、えーっと、五年前か、それが昨年は逆に彼女から親に会ってくれと言って来たのだろ。じゃあ聞くが、もしもお葬式に参列した後、彼女から、あるいは彼女の家族から、一緒になってくれと言われたら、お前はどうする?」
「そんなこと、絶対にあり得ないことです」
「どうして、そう言い切れるのだ。お前は彼女と結婚する気があるのか?ないのか?」
「それは、」淳子とよりを戻すことなど、龍平にはまだ思考の枠外で言葉が出てこなかった。
「だから行くなと言ってるのだ」
「では彼女に何と言って断ったら?」
「そんなもの、何も言わずとも良いだろ。黙って欠席すれば良いのだ」

「それではあんまり、」
「何言っているんだ、今の酒と女に溺れた夜の生活をよく見ろ。それも三条さんとの失恋の痛手からだと大目に見てきただけだ。そんなお前が、どの面下げて、その大切な友達に会うと言うんだい」
結局、龍平は何も言わずに谷川家の葬儀に欠席した。淳子は龍平の到着を待ちわびていたかもしれない。龍平と淳子の友達付き合いも、これを最後にプツリと切れてしまう。龍平は総てが自業自得だと思うしかなかった。因みに龍平の宗右衛門町通いは、この日をもって全く無くなった。

それから三年半年の歳月が流れ、昭和五十年(一九七五年)の秋になる。龍平は父親が代表を務める年商六十億円、資本金二億円の寝具総合メーカー、野須川寝具産業株式会社の経理課長を務め、会社の資金繰りに追われながら、十行近くある銀行取引の日常業務に明け暮れていた。
龍平は、帝都紡績の谷本常務夫人が薦めるお見合いをしようとしている。合繊メーカーと言われながらも、アクリルだけは他社からの仕入れだった帝都紡績が、龍平が太平洋商事を辞める前年の昭和四十七年頃からアクリルも、ナイロン、ポリエステルと同様、自社生産するようになり、新設のアクリル総部を担当する谷本は、帝都紡績の売上を伸ばすアクセルを踏む男として、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
野須川寝具を発展させるには、谷本常務との強い絆を結ぶ必要がある、その為には息子龍平の媒酌人になってもらうのが良いと俊平は考え、この半年間、谷本に息子の縁談の相談を熱心に持ちかけて来た。
ところが谷本常務が俊平に示した縁談の相手は、総て大手上場会社の社長令嬢であったから、これでは釣り合いがとれませんと俊平は丁重に頭を下げ、次は常務夫人のご友人のお嬢様から、龍平の相手を選

び直してもらうことになったのだ。龍平はこの時、二十八歳である。
お見合いの日取りは、十月十九日日曜日、相手は常務夫人の親友の芦屋の某事業家夫人の娘の友人、和歌山県出身、東京在住の岩出智代(ともよ)、東京の私立音大卒、海運会社の重役の次女、年齢は二十四歳。お見合い場所は、中之島ロイヤルホテル、現在のリーガロイヤルである。
龍平は本当に親の言うままにお見合いをしても良いのだろうかと、念の為に何年ぶりかで東京の谷川淳子に電話を入れた。彼女が結婚した噂を聞かなかったからだ。しかし彼女はアメリカに行っていた。前にも同じ様なことがあった。最初に入った上場会社を辞めてまで、彼女はパリに長期間滞在したことがある。今回も同じなのか、何時帰国するのかも分からなかった。
お見合いの立ち会いは、谷本常務夫人、その親友の夫人、そして龍平の母親の三名だった。
父親が総てお膳立てした、このお見合いがうまく行こうが、壊れようが、それが自分の人生だ、と龍平は開き直っていた。だから相手に意地悪な質問をする。
「智代さん、あなたはやっぱり、親と同居しないで済めば、と思ってませんか。まあ最終的には同居でも、最初のうちは二人だけで暮らしたいでしょうね」
龍平の母は顔色を変えて口を挟んだ。
「いえ、うちでは何も同居なんて決めてませんのよ」
すると彼女は顔色ひとつ変えずに立ち合い人たちの顔を見て、こう言い放った。
「いいえ、私は長男に嫁ぐのなら、最初から親と同居は覚悟しています。だって私の姉も夫の親と同居なんです。舅さん姑さんに可愛がられ、とても幸せにやっていますから」

 

 


 

第一章 家族、夫婦の絆⑱に続く 第一章もいよいよ最終章を残すのみとなりました。)