第五章(和議倒産) その10
(筆者が父親と二人で開発した経営する堺市美原区の霊園に後日造った関西初のガーデニング墓地。モデルさんを使った石材店販促用写真)
坂本専務が会長室に呼ばれ、日章帝紡合繊や、商社までがつるんで隠蔽(いんぺい)した毛布事業部の損失を糺すヒヤリングが始まった。
この事件を暫く調査せず、帝紡にも銀行にも伏せるとした井川専務と俊平会長の約束は破られたのだ。
井川は俊平に抗議がしたくて、会長室の前でヒヤリングが終わるのを待っていた。
やがて坂本は俊平の部屋から出て来る。井川には、にやりと笑うだけで何も言わずに、毛布事業部の階に戻って行った。
「入ります」と井川は俊平の部屋のドアを開ける。
「井川君か」
「会長、なぜ私の忠告を聞けないのです」
「考えて考えた結果なのだ。最悪の事態は避けるように先ずは儂が全力で立ち向かうことにした」
「では弁護士は探さないと」
「そうだ。弁護士は頼まない。事態は想像以上に深刻だが」
「坂本は、いくら簿外債務を作ったと」
「無責任な男だ。総額は自分でも分からないそうだ。坂本の申告では、三年か四年前に、シーズンが終了して備蓄毛布の収支を清算したら、約三億円の損失が出たことから始まり、以後今季まで合わせて損失累計は、十数億くらいだったと思いますと」
「十数億くらいだったと思いますって」
「本人も分からなくなっているようだ。それを我が社も、日章帝紡合繊も、損失としては計上せず、それを毛布という製品に化けさせ、何度も何度も商社間で回して来たのだから、最初の三億も、今となれば二倍以上になっているのだろうな」
「だったら十数億がいくらになったのか、考えただけでも恐ろしくなりますね」
「そこでだ井川君、もしこの話を、なみはや銀行の山村頭取に話したら何と言われかな。儂らが全額引き受ける必要は無いと言われるのではないだろうか」
「うーん、山村頭取なら、そうおっしゃるかもしれません。例え、おっしゃらなくても、これで簿外債務の損失を計上すれば、負債総額は百億円を突破する筈です。従業員数は販社を直営店にしたので、その二百名を加えると七百名を超え、仕入先も千社に達します。そんな企業を倒産させる度胸が、地銀クラスの銀行にあるとは思えません。会長、何度も潰れかかりながら、その都度乗り越えて来た会社です、一か八か、会長の運に賭けてみましょうか」
そこへ香川がノックして入って来た。
「会長、頭取は午後の一時に、帝紡十河専務は三時にアポイントがとれました」
「ご苦労。頭取と会う時は香川さん、あなたも同席をお願いします」
その日、毛布事業部が隠していた巨額な簿外債務の話を聴かされた山村頭取が、その答えとして俊平に語った主旨はこうだ。
一、今回の事件は日章帝紡合繊側で起こったことで、帝紡が定める加工賃で毛布を製造したに過ぎない
野須川寝具には如何ともし難く、帝都紡績には、子会社、日章帝紡合繊が主導したこの事件の全容の早
期解明をお願いする。
二、以後本件に関して帝都紡績との交渉は、なみはや銀行がこれを行う。
三、帝都紡績の対応策が出るまで、なみはや銀行は担保の極度額を超えても資金繰りの面倒を見ること
を約束する。
俊平が十河専務に、なみはや銀行山村頭取の言葉通りに伝えたので、帝都紡績では大騒ぎとなり、明くる日から日章帝紡合繊毛布課の業務監査が始まった。
帝都紡績による調査結果が出たのは二十日過ぎだった。なにはや銀行は、当面の一月末の返済や手形決済の資金支援を取り敢えず自分たちにさせておこうと、帝紡が故意に時間を掛けたのだととって、帝紡側の不誠実に抗議した。
帝都紡績の調査結果によれば、今も商社間を回されている、毛布事業部の責任者が坂本に代わった後に発生した、毛布の最終的な損失合計は、即ち野須川寝具の簿外債務は、訪販事業に投資しながら、返っては来なかった金額と奇しくも同じ二十億円だった。
この時点で、俊平は全役員を集め、初めて事態の報告をし、後は、なみはや銀行と帝都紡績との話し合いの結果を待つことにすると伝えた。まだ和議だの倒産だのという言葉は、俊平の口から出なかった。
この時、全役員が約束させられたのは、従業員や家族を含め、世間に口外せぬことだった。最も情報漏洩に気を配らねばならないのは、カシオペア販売店である。
さて帝都紡績側は、日章帝紡合繊の巨額の粉飾は暴きながらも、商社間で損失を回そうと言い出したのは野須川寝具の坂本功専務なのだから、これは野須川寝具側の主体的な粉飾だと、自分たちは被害者だと主張し、子会社、野須川寝具の救済は一切口にしないという責任逃れの態度であった。
一月末は、取り敢えず、なみはや銀行で資金を見ることになり、極度額一杯だった同行の融資残高が、いきなり数億円も増加する。
二月に入ると、二十億円の損失発生の責任を巡って、なみはや銀行と帝都紡績との激しい言い争いが毎日続いた。
二月の中旬になっても議論は平行線のままだ。
山村頭取は、市内信濃橋のなみはや銀行本店に俊平を呼び出し、頭取が胸に秘めていた、今や膠着状態に陥った帝都紡績との交渉の打開案を明らかにした。
何度も訪問した頭取室であったが、俊平には、今日に限ってやたら広く、寒々しかった。
山村が重々しく語りだす。
「帝都紡績がどう言おうが、毛布の販売損の十数億は、日章帝紡合繊の事業損失ですよ。しかしそれを君のところの坂本専務が、商社間を遊泳させ、増大させたのだし、勿論そんなこととは知らずに、君はその手形を使って資金繰りをしていたのだから、二十億全額帝都紡績の損失と主張するのは、やはり無理があります」
「では頭取は、ここらで私に腹を括(くく)れと」
「そうではない。負債総額が百億円を超え、七百名の従業員を抱え、仕入先が千社に迫る会社です。絶対に潰す訳には行きません。野須川さん、後二年で三十周年を迎えるそうですね。後継者には有能な息子さんもおられる。そんな会社を潰したくなければ、後は私の指示に従っていただけませんか」
「御行の支援が無ければ、前月末で終わっていたのですから、異存はありません」
「帝都紡績には大幅に譲歩して、二十億の損失を、なみはや銀行と帝都紡績とで折半にして負担しようと、新たに提案するつもりなのですよ」
「なんと、頭取、いいのですか。それは、それは申し訳ありません。しかしそんなことが、大蔵省から許してもらえるのでしょうか」
「許してもらうしかありませんね。私にとっても御社はまだまだ前途ある、乗りかかった船なのですから。十億はいつの日か、出来るときに返してもらったら良いのです」
「はい、それは必ず、お約束します」
「ところで、御社を潰さぬ為にも、ひとつお願いがあります」
「何なりと遠慮なく、おっしゃって下さい」
「申し訳ないが、京都山本向けの商品を作る、市内鶴見区の二千坪の工場、寝装事業部の主力工場ですが、あれを早急に売却し、中の機械類や工員たちを、八幡工場へ移転してもらえないだろうか。そしてもうひとつ、取引の公正を保つ為、売却の交渉は、うちの香川君と、お宅の龍平君の二人に任せ、他の人間には触らせないで欲しい」
俊平はあっけにとられて山村の顔を暫く見つめていた。山村は無言で頷くばかり。これはなみはや銀行の既定路線なのだ、今更否応ない話なのだ、と俊平は激しく揺らぐ感情を制止させ、「はい、畏(かしこ)まりました」とやっとの思いで小さな声を絞り出す。
俊平は肩を落として無言のまま、なみはや銀行本店を後にした。
その頃東京では、ニュー渋谷店ではなく、浜松町店、千葉店、横浜店に異変が起こりだしていた。
第五章 和議倒産 その⑪に続く