第九章(祈りの効用) その13

(向かって左が筆者の霊園にある永代供養墓。一年間神殿内に遺骨を預かり、その後アルミ製の箱に入れ換えて床下の埋葬室に埋葬する。供養は提携する地元の浄土真宗の寺が担当し、年3回の霊園主催の供養行事とは別に、この寺が独自に年2回供養行事を行う。合祀されないこと、地下の埋葬ではないことで好評だったが、五百数十柱の契約とほぼ満杯になったので、向こうに見える屋内型永代供養墓の建設になった)

平成四年七月になった。龍平はまりあに誘われ、彼女の会社で行われる聖典「生命の光」の輪読会「新町神の子会」に参加した。参加するのは、光明の家の信徒ではないが、この教えや哲学にシンパする十数名のまりあの友達や仕事仲間だ。そのように教団内部ではなく、外部に向かって光明の家の伝道を目指すのが、新町神の子会の趣旨だった。
龍平はその会を指導する宮本光子講師に出会うのが怖かった。娘のまりあから、例の神事のことや、祈りの結果を聞いている筈だったからである。始まる時間より早い目に到着した龍平はおどおどしながら光子に挨拶した。
「ご無沙汰しております、宮本先生。前月はせっかくのまりあさんのご好意を私の心の迷いから無にしてしまいました。申し訳ありません」
「野須川君、なかなか思い通りに行かないようで大変そうですね。でも神様を信じて決して諦めないようにね」
龍平は光子先生から、こんな優しい労りの言葉を受けるとは思ってもいなかった。
「宮本先生、神様に祈る資格が私にあるのでしょうか。恥ずかしい話、私は他人に言えない借金があって、情けないことながら多重債務者のように毎日青色吐息で暮らしています。一日も早くこんな状況から脱したいです」
横にいたまりあが事情を説明しなければと、二人の会話に割って入った。
「光子先生、お父様の霊園開発のこともあるんだけど、龍平君はそれより借金で悩んでいるのよ」
「会社の借金が大きい話は聴きましたよ」

「その借金じゃないの。彼はお父様に内緒で消費者金融から借金しているの。それも生活費のためではなく、仕入先の支払を約束通り履行する為だったんだって。お父様は彼に寝具の仕事は任せておきながら、仕入支払は彼の自由にはさせないんだって。だから内緒で借金したそうよ。彼はお父様に借金のことは言えないのだけれど、後二年で完済してみせると言っているの」
「なんと言うことなのかしら。野須川君、それであなたのお顔がいつも暗そうなのね。その借金がいくらの残なのかは尋ねませんが、社長さんが二年もかけて返済なさるのだから、相当大きい金額なのでしょう。たとえそれが完済されたとしても、あなたがお父様に対して、してきたことは消えませんよね。それは分かっているのですね」
龍平は光子先生の前でうな垂れた。
神様の様に総てお見通しの光子先生の前でも、龍平が告白できるのはここまでだった。
龍平は俊平と揉めること無く原材料の支払いをする為に、毎月数百万円の現金売上を、会社の売上から抜いていることは誰にも言えなかった。
もしも税務署の耳に入ったら、大変なことになるだろう。野須川寝具は消費税を伝票方式では無く、簡便法で売上の一定比率で払っているからだ。売上仕入を触ることは消費税の脱税に繋がるからだ。
また正規の売上を抜くなどと言う行為が明るみに出れば、正直な企業として、法人所得の申告数字がそのまま信用される「青色申告の資格」が取消になることくらいは分かっていた。だからこのことは誰にも、たとえ光明の家の講師でも話せなかった。
龍平は光子先生に、総ての罪を懺悔せず、罪を小出しにして懺悔するしかないのだ。

「はい、分かっています。私は父親にどんなに謝っても、謝りきれない裏切りをしてしまいました。しかし私を信じて原材料を提供してくれる仕入先も、私には父親同様大切なんです。私は父親に孝を尽くせば、社会への義理が果たせず、社会への義理を果たせば、父親に孝行することができません。私なんか、家の中では父親に中心帰一(ちゅうしんきいつ)せよと説く、光明の家のみ教えの勉強など、する資格はないのかもしれません」
「そんなことはないですよ。諦めずに実相世界を見つめるのです。そうしているうちにきっと何時の日か、実相世界が目の前に現れますよ。片栗粉の譬えがありますね。片栗粉にお湯をかけ続けたら、片栗粉とお湯の割合がある点に達した途端に半透明のゲルになるでしょう。お湯を注いでいるときは、それが何時なのか、分からないものなのよ」
「ありがとうございます。先生のお蔭で勇気が湧きました」
「今日の輪読会はあなたが幹事役を務めてちょうだい」
「先生、幹事役って何をしたら良いのですか」
「輪読会の参加者には順番に頁を読んでもらうのだけど、どこで次の人に代わってもらうのか、予め聖典を読んでいる野須川君がストップをかける役割をしてほしいということなのよ」
「分かりました。そういうことなら、喜んでお引き受けいたします」
「ただあなたがお父様にしていることは確かに大きな罪には違いないけれど、自分を罪人と責めてはいけませんよ。人間の実相(ほんとうのすがた)は神の子で、生まれてこの方、罪など犯したことがない完全円満な霊的実在なのですから。神の子の自分を自覚して下さいね」

「それは私には無理かもしれません。つい自分を責めがちですが、気をつけるようにします」
「ほかの方が全員席につかれたようなので、そろそろ輪読会を始めましょう」

一方、四ツ橋の事務所に坂下と本田が俊平を訪ねて来る。
三億円は明日にでも振り込める用意ができたと、坂下はここに来ていた。
俊平が作れたのは約束の三億ではなく、やっと二億三千八百万円だった。
俊平は奈良あやめ池の自宅を担保に入れるから、三億貸してくれと寧楽銀行菖蒲池支店に掛け合う。
銀行はそんな担保では一億が限界でしょと俊平の申込みを断った。途端に俊平と菖蒲池支店との大喧嘩が始まる。
「担保に入れるのはどんな土地なのか、支店長、てめえは知ってるのか。てめえとこの銀行の元頭取、今の相談役の自宅じゃねえか。そちらの頭取が買ってくれと頼んだから、この儂が買ったのだ。何が一億だ。冗談もほどほどにして言えってえの。もしその通り、儂が相談役に話したら、お前たちはどうなるだろうかね」
寧楽銀行菖蒲池支店の支店長は血相変えて奈良の本店融資部に飛んで行った。寧楽銀行本店が清水の舞台から飛び降りたつもりで出した答えが二億三千八百万円だった。俊平でなければ、この時勢、一億円を借りるのも無理であっただろう。
関西石材の坂下も三億作るのには、他人に言えない苦労をした。だがどうして作れたのかは、この時点では口外しなかった。

坂下は開口一番、俊平に羽曳野・藤井寺の黒田グループとの縁を切ってほしいと言い出した。それが三億の契約金を入れる条件だとも言った。
「府の許認可をとって下さった功績は認めますよ。黒田会長には謝礼はきちんと払っていただいて、今後は関わらないようにしていただきたいのです」
「野須川会長、それは私も全く同意見です」と本田も口を揃える。
「そうですか。丹南メモリアルパークは関西石材さんの霊園として誕生するのですから、南大阪の黒田グループの協力によって出来た霊園というのが、関西石材さんが求めるイメージには相応しくないのであれば、致し方ないでしょうな。分かりました。黒田会長には私から話してみますよ」
更に坂下がもうひとつ、重要な案件だとばかりに話し出した。
「野須川会長に言っておかなければならないことがあります。実は今日限りで、本田君には関西石材の霊園開発顧問を辞めてもらうつもりです」
本田は突然の坂下社長の言にびっくりした。
「なんですか、やぶからぼうに。じゃあ、この丹南メモリアルパーク開発の仕事が、僕の最後の仕事になるのですか」
「そう言うことです。今後霊園を開発していく力が当社にはもうありませんから」
「じゃ、いまかかり始めた大阪狭山市の物件はどうなんだ」
「それはどこかよその石材店に言って下さい。あなたには、丹南メモリアルパークが竣工した暁に、しかるべきお礼をお支払いいたしますから」


「そうですか。それじゃ、その時は坂下さん、買主であるあなたから三十億の三パーセント、九千万円の不動産売買手数料を、売主である野須川会長からも、同額の九千万円の不動産売買手数料を、それにその時は野須川会長、これであなたは破産から逃れたのですから、それ相応の謝礼は別にもらいますよ。それに先ず、宗教法人香川大社を取得した時に僕が立て替えた一千五百万円も、今すぐ返してください」
俊平は喧嘩が始まりそうな二人を宥めた。放っておけば自分が火の粉を被りそうだったからだ。
「坂下さん、本田君はもう要らないと言っても、これから黒田会長と縁を切るなら、儂が霊園開発のことが相談できるのは本田君しかいなくなるのですよ。だから本田君は今後も野須川寝具側の人間として、丹南メモリアルパークが出来るまで、いろいろ儂の相談に乗ってもらおうと思います」
本田は助け船を出してくれた俊平に感謝した。
「野須川会長、ありがとうございます。やっぱり会長は苦労してきた人だけあって、ぼんぼん育ちの坂下社長とは大分違いますな。でが早速次にここに来る時は、私が良く知る松原市の建築設計事務所を連れてきましょう。黒田会長と縁を切ったら、その時点で向こうで作った墓地の設計図面は使わないでくれと言うに違いありませんからね」
「流石だ。本田君は本当に頼りになるよ。それでは次回、設計事務所を連れて来てくれたまえ。悪いが、本田君、この後は坂下さんと資金のことで、二人きりで話がしたいのだ。だから今日のところはこのまま帰ってくれないか」
「分かりました。それでは私は先に失礼します」と本田は後の話を気にしながら、四ツ橋事務所から出て行った。

「坂下さん、五億三千八百万円の使い方で話があるとか、おっしゃっていましたね」
「ええ、そうなんです。会長は恐らく浪銀の三十億の一部でも早く返してやりたいと思っていらっしゃるでしょうが、浪銀はもう単独では持ちませんよ」
「浪銀ファイナンスが潰れるから三十億は慌てて返すなと」
「そんなことは言ってません。しかしそれに似た状態にはなるでしょう。だからと言って、野須川会長は三十億の負債から逃れる訳ではありません。ただその債権管理は当面はなみはや銀行の仕事になるでしょう。だから野須川会長の今後の交渉相手は、結局は浪銀ではなく、なみはや銀行になると思うのです。ですからあの土地に付いた一番の根抵当はいくらでしたか」
「三億五千万円、なみはや銀行の根抵当です」
「会長、先ずはそれだけ返済しましょう。後の資金は使わずに、会長のところに残しておいて下さい」
「それでは浪銀には、残り二十七億で担保を外せと交渉せよと」
坂下は驚いて絶句した。野須川俊平は坂下が三十億の購入契約の契約金を払うのだと本気で信じているようだ。俊平がそう勘違いするくらいだから、なにはや銀行も絶対にそう勘違いするだろう。それならそれで好都合だと坂下は思い直した。
俊平が実は、と坂下に明かした。
「二十七億って、造成工事や管理事務所を建てるお金も残さなければなりませんよ」
「そうでした。本田君にも一千五百万円を返却しなければなりませんしね。もっともっと減ってしまいますね。ただ浪銀には株式投資で残った債務もあるのです」

「いくらですか」
「株式は全部処分しても、一億五千万円くらいの負債だけが残りました」
「それも返済したければ、浪銀と交渉されたら良いでしょう。ただしそれをいくらでチャラにするのかと言うのですよ。だって先方には担保も何の保証もない債権なのですから」
「分かりました。半分くらいから口火を切ってみます」
「それと会長、そろそろ息子さんの龍平さんをこの霊園開発チームの仲間に入れて下さい。次回八月の住民集会にも出てもらわねばなりません。龍平さんはおいくつですか」
「この月末で、四十五歳になります」
「会長は龍平さんより二回り年上なので、来年はいよいよ古希ではありませんか。今後は霊園の設計やら工事の打ち合わせやら、細々とした仕事が増えて来ますので、何もかも会長の指示を仰ぐ訳にも参りません。是非龍平さんにこの仲間に加わっていただきたいのです」
「分かりました。龍平にそう言います」
「では明日、三億をお振込いたします。これで失礼いたします」
「坂下さんには息子の経営者教育も頼みますよ」

坂下は西区四ツ橋から平野区の本社に戻る車の中で考え続けた。
二十七億など、今の自分に作れる訳がない。また自分も払う気はない。

俊平の前では浪銀ファイナンスが持つ三十億の債権を管理をするのは、親会社のなみはや銀行だと言ったが、浪銀と言えば、最盛期には確か政府系三銀行から一兆円近い資金を借りていたと俊平から聞いている。であればいつまでなみはや銀行は浪銀と親子の関係を続けられるだろうか。
やがて「あれは子会社ではなく、赤の他人の会社です」と突き放さなければ、自分がもたない日が来るだろう。
浪銀を突き放す時こそ、あの三十億の債権回収を、なみはや銀行が諦める時だとも言えるのだ。
では誰があの三十億の債権を立て替えて、回収に出て来るだろう。政府系銀行だろうか。それとも日本国家だろうか。
だが今の日本国家に、五百兆円とか、一千兆円とか言われるバブル債権の立て替えをする財力があるだろうか。
坂下は鼻で笑ってしまった。
そして野須川寝具には本業を廃業してもらねばならない。
今後その方向に、自分が誘導して行こうと。
廃業の先にあるのは「転業」だ。「霊園事業」への「転業」だ。
あの野須川龍平を丹南メモリアルパークの経営者にしたてるんだと思うと愉快で仕方がない。
自分と野須川俊平龍平親子の前に立ちはだかるのは、最終的には桜台西自治会となみはや銀行だろうと思う坂下だった。

第十章(最終章) 自分が変われば世界が変わる その①に続く