第十章(自分が変われば世界が変わる) その6

(小説に登場する丹南メモリアルパークのモデルである、美原ロイヤルメモリアルパークに、創設者の死後に造られた法要施設、先祖供養堂)

 五月に入ったが、特殊な毛布を中心品目にシステム販売の全国展開をする利休毛織(RKB)に続いて、名古屋の中村商事という大口の顧客を失った龍平は途方にくれていた。中村商事の先の高崎商店を除けば、集会販売(オクション販売)の会社や、通販会社などを回るしかなかった。
そんな時に島根県の寝具メーカーが、出来れば自工場で指圧型敷布団を作って販売してみたいので、中芯綿だけパテント料込みで売ってくれないかとの話があった。龍平は出張経費を削減しようと、車中泊を覚悟の上で、見本の敷布団を積んで自家用車を運転して米子まで出かけ、商談を纏めて来た。

生地の仕入れに出張した西脇より西には車で行ったことがなかった龍平は、この出張のお蔭で岡山県、鳥取県、島根県の地理に明るくなった。 この年の秋に、八幡工場の製綿プラントを売却する為に、龍平は岡山県の製綿工場や、製綿機械メーカーを車で回ることになるのだが、そんなことになるとは、このときはまだ知らずにいた。 

五月のある日、四ツ橋の事務所に血相変えて本田と坂下がやって来た。
「野須川会長、大変です」と言いながら、二人 は俊平の机の前のソファに座る。
俊平も龍平も、何事かとソファに座った。
「野須川会長、丹比地区に属する例の隣接三軒の家が、墓地建設に反対だと言って、地元の石材店、山本石材に委任状を渡したそうなんです」
それがどうしたとばかりに俊平は、二人が言っている意味が飲み込めず、驚きもしなかった。
「それで山本石材は何か同意の条件を言ってきたのかい」
「はい、隣接三軒の同意が欲しかったら、丹南メモリアルパークの墓地の営業権の三分の一を寄越せと」と本田が答えた。
「 何だって、霊園の三分の一の墓地が欲しいと言ったのか。なんと厚かましく強欲な奴なんだ、山本石材って言う奴は」
俊平が勘違いしていることにびっくりして本田が「墓地ではなく、建墓権(けんぼけん)です」と説明しようとするところを坂下が遮って、

「そうなんですよ。いくらなんでも常識外の欲どおしい奴です。山本は」と言った。
山本石材が要求してきたのは、丹南メモリアルパークの、三分の一の墓地を販売し墓石を建てる権利をくれないかと言ってきたに過ぎない。
その意味はこういうことだ。もし坂下が考えているように、俊平か龍平が霊園の経営者、即ち墓地の所有者になるとしたなら、山本石材が売ろうが、坂下の関西石材が売ろうが、墓地代はきちんと野須川家に入るのである。ただ墓石を建てる権利は三分の一だけ坂下の関西石材が失うことになる。建墓権を渡すとはそういう意味だ。俊平には損得に関係のない話である。だがまだまだ霊園事業に疎かった俊平や龍平には、建墓権をくれと言われても、その意味を正しく理解することが出来なかった。
俊平は単純に墓地の三分の一、つまり十億円の売価の墓地を寄越せと聞こえた。坂下には俊平がそのように聞き違えてくれる方が都合が良かった。万が一「仕方ないな、坂下さん、二十七億が払えないのなら、それで辛抱してよ」とでも、俊平に言われたら、三億もの金を先払いした坂下には、身も蓋も無くなってしまうからだ。
俊平は思案してこう切り出した。
「黒田会長に相談してみましょうか。黒田会長に山本を懲らしめてもらおうと思うのですが、どうでしょう」と二人に持ちかけた。
本田は笑って言った。
「会長はやっぱりそんな作戦しか思いつかないのですね。しかしね、それは無意味なんですよ。 何故なら山本のバックにいるのが藤井寺の黒田会長だからです」

「なんだって、黒田会長だって、まさかあの黒田会長なのか」
「そうです。その黒田会長ですよ。丹南メモリアルパークの経営許認可をとってくれた黒田会長です。山本石材ははっきり、こちらのバックには藤井寺の黒田会長がおられるのだから、そのつもりで腹を括ってくれ、と関西石材に言ってきました。それどころか黒田会長は山本石材のバックというより、この妨害作戦の本当の指揮者なのではないですか」と、本田は自分の不安を露わにした。
「本田君、それはないだろう。黒田会長はそんなお人やないよ」と俊平は顔を横に振る。しかしそれでも本田は食い下がる。
「事業許認可のお礼を、野須川会長が、いくらお支払いになったのか、聞いていないが、けちられたのではないでしょうね。しかも霊園設計も造成工事もお断りしてしまった」
「それは君たち二人がそうしろと言ったのじゃないか」と俊平は憤慨する。本田は負けずに続ける。
「いいとこだけもらって、後は良いですと言ったのでしょ。黒田会長はそれを根に持って、こんな作戦に出て来たのではありませんかね」 
俊平は二人の顔を睨んで、このように結論づけた。
「儂は黒田会長と長く付き合って来たから、分かるのだが、あの人はそんな腹黒い人ではない。恐らくは山本が虎の威を借りる狐なのだ。それじゃ、隣接三軒からの同意書とりは、最後の最後に置いておくことにしょう。先ずは桜台西から同意書をとって、次に丹比地区の同意書をとってから、最後に儂が黒田会長と一対一の話し合いで、この件の決着を付けることにする」
二人は納得したのか、納得しなかったのか、黙って帰って行った。

高崎商店が指圧型敷布団を大量に引き取ったのは四月だけで、五月、六月は野須川寝具工場預けで、商品代金だけを送って来た。
六月の月末には、七月、八月は在庫に過多によって、生産を止めてほしいと連絡が入る。
六月の日曜日は俊平は龍平を伴い、桜台西の下村区長宅を訪問した。協定書まで交わしたのに、なぜ同意書が出ないのかと俊平は下村に詰め寄る。
下村は状況を説明した。霊園に隣接する桜台西一丁目の住民の中に、事業者が信じられないと言う者が多いようだ。
まるで実態の無い宗教法人の印鑑をつかれても、その内容の通りの工事が行われるという保証はどこにあるというのだ。
下村は苦慮しながら「『公正証書』をまくという条件で、住民を納得させようと今しているところだ」と答えた。
公証役場に行くのは、来月になるだろうとも言った。そう言われると俊平たちは、黙って帰るしかなかった。

七月になって、丹南メモリアルパークの事業関係者数名と、桜台西自治会の役員たちが、堺東の公証役場に集ったが、その話は、この小説の序章で詳しく書いた。 
事業者と自治会との協定書は、そのまま公正証書になった。
これで桜台西自治会は同意書を遅らせる理由は無くなったのだが、しかし依然として下村区長から、同意書に判を押したという連絡は来なかった。

それどころか、桜台西自治会は申請地から半径三百メートル以内には三軒を除いて誰も住む人がない、丹比地区の同意書が出ない間は、絶対に出さないと宣言した。
以後、俊平たちは丹比地区の井川区長に、隣接三軒の問題を外して、丹比地区住民の多数決で同意書を出すようにしてほしいと陳情を繰り返すのだった。
そんな七月のある日、龍平は所用で、なみはや銀行の窓口に行った時、融資の課長から呼び止められ「開園にこぎ着けた暁に、関西石材から二十七億入る話、あれ、まだ生きているの」と尋ねて来た。龍平はぎょっとなった。
「一応、そのように聞いています」と答え、その話を帰ってすぐに俊平に報告した。
報告を聞いた俊平も顔色を変え、直ちに坂下を四ツ橋に呼ぶ。
坂下はすぐにやって来た。
龍平も同席しようとしたが、俊平は龍平に「暫く席を外してくれ」と言った。
随分長い時間、二人のひそひそ話は続く。
坂下の顔を終始、真っ青だったが、その内に元気な顔色を取り戻して行った。
話がついたのか、「来月早々に、おっしゃる書類を作成して参ります」と元気に帰って行った。
八月初め、龍平は丹南町の二人の区長を訪ね、山本石材が隣接三軒の委任状をとった話を公表した。
龍平は会社に帰って来ると俊平に呼ばれた。俊平は龍平たち本社のスタッフを集め、この月末で八幡工場を閉鎖し、廃業を宣言する。即ち、丹南メモリアルパークの事業に転業することを宣言したのだ。

野須川寝具の廃業のニュースは、瞬く間に世間に、業界に、拡がって行く。
なみはら銀行は驚き「我々を騙したのか!」と俊平に説明に来るよう求めた。
その翌日、俊平は関西石材の坂下を伴い、なみはや銀行本店を訪問する。
本業廃業、霊園事業に転業の話は、銀行側には寝耳に水の話だ。
「野須川会長、霊園が開園したら、後二十七億が入って、浪銀の債務を綺麗にして本業に励みますと言ってたの、あれ嘘やったの。誠意を以て支援してきた我々を騙したんですか」
「いや、最初はそのつもりでした。証人として関西石材の坂下社長に同席してもらっています。しかしこんな風に滅茶苦茶な不動産価格にしたの誰なんです。金融機関の融資だって、もう何年も正常に動いていませんわ。だから坂下さんが、今二十七億借りられる筈ないやろと思うて、先日うちの息子に尋ねられたんでしょ。しかし儂はなにもあなた方を騙してなんかおりませんよ。きっちり二十七億は払おうと言うてるんです」
「えっ、それは会長が払ってくれるんですか」
「ただ開園から六年間待ってくれと、ここに関西石材さんが開園後六年間で墓地を販売する計画書を持参してもらったのですよ」
「たった六年で、関西石材さん、ほんまに完売できるのですか」
「はい、やってみます。お陰様でバブルは弾けようが、墓地の需要は堅調ですから」
サラリーマンの銀行マンが、ともに社運を賭けた一世一代の大芝居をする二人の企業家の度胸に勝てる筈もなかった。

「なみはや銀行さん、なんやったら全部白紙に戻しても良いのや。あんな工場、いくらやっても赤字垂れ流しやし、その代わりにこの前に返した三億五千万円、関西石材さんに返してあげてほしい。墓地以外にあの土地、三十億、いや二十億でも、いや十億でもええ、誰か買ってくれる人がいたら、紹介して下さい」
完全に開き直った俊平のペースだった。結論は出さず、両自治会の今後の動向を静観することになる。
ただ八幡工場の閉鎖だけは予定通り進められることになる。
時に龍平、四十六歳。
この頃、龍平が持っていたゴルフ場、宇治川ロイヤルの会員権が百万円の相場に落ち込んでいることに気づいた。オープンする直前に七百万円で買った会員権だ。
一方、その時、七百万円で売った、五條カントリーは下がっても五百万円で留まっていた。
龍平はバブル時に出来上がった新しい宇治川ロイヤルは潰れるかもしれないと直感した。
俊平には内緒で百万円で売った。
その百万円で、五百五十万円の残高が残っている借金の返済に使おうと龍平は思った。
そこに本社で経理をしながら、八幡工場の生産管理もやってくれている池田祐介が、顔色を変えて龍平のところにやって来た。
「社長、このままでは絶対に月末廃業は無理です。仕入れ先が大騒ぎになりそうです」
「何言ってるんだ。会長は工場の人件費の支払いを保留しても買掛金の支払いをしろと言っているのだぞ。それでもまだ問題があるのか」
                                         

第十章(最終章) 自分が変われば世界が変わる その⑦に続く