第二章(個別訪問セールス)その13

(初期の訪問販売に使ったキルトしたタオル地の敷布団、ニットファンシー、よく売れた商品のひとつだ。往時のカタログから)

宗川係長は車輛長として、倉庫の係官から受け取った商品を自分の車に手際よく積み込み、一旦昨日の帰社時の棚卸表の通りの在庫数に戻した後、不足商品をオーダー伝票に書いて、再び倉庫係から商品を受け取り、車を満載にした。相棒の営業に運転させ、二人の間に新人の龍平を乗せ、三人乗りのミツバチ・マーヤと大書したハイエースが、商品倉庫を出発するまで十分と懸からなかった。
三人は淀川を超え、大阪港区に向かった。
道中、宗川が龍平に話しかけてくる。
「野須川君と言ったね。新人の君は営業せずに、今日一日は僕にぴったりついて、僕の営業を見ていてくれたら良いんだよ」
「宜しく、ご指導をお願いいたします、何も分かりませんので」
「野須川君は、布団のことは詳しかったんだね?」
宗川に鎌をかけさせてまで、吉崎が龍平にまだ不信感を持っているのだと龍平はぎょっとする。
「いいえ、布団のことは何も知りません。僕が知っているのは、毛布のことだけです」
「そうだったのか、だったら今日から布団のことをしっかり勉強するんだな」
「はい、宗川係長、少し聞いても良いですか?」
「なんだろ」

「布団の会社にいた人は、営業に採らないというのはどうしてなんですか?」
「ああ、そのことか、いずれ分かることだから、言っちゃうけど、僕から聞いたとは言わないでね。一年前だったか、商品企画部にいた東川部長が、遠藤社長と喧嘩して会社を辞めたのさ。ところが東川は、ミニサイズのミツバチ・マーヤ、日寝という寝具訪販の会社を大阪で創りやがった。問題はその販売ノウハウ、販売店の経営システムが、僕たちと全く一緒なんだ」
「それはそうでしょ、日寝もミツバチ・マーヤの分かれなのですから」
「違うね、東川はずっと商品企画部にいて、販売部とは接触が無かったのさ、つまりな、東川は僕たちの店にスパイを入れて来たに違いない。少なくとも遠藤社長はそう疑っているのさ。だから面接に応募して来る人間の身元調査が、以来厳しくなった。いずれ君もどこかの団地で、日寝の連中と鉢合わせになるだろうね」
腹の中で龍平は、日寝の設立にはミツバチ・マーヤのコンサルの山崎が絡んでいるに違いないと思った。日寝の社員が、身分を隠して入り込むような危険を冒すだろうか。もしも寝具訪販の営業経験者が欲しいなら、ミツバチ・マーヤを辞めた営業を探し出して、新人の教育係にすれば良いのだから。
日寝の話をする内に、目的地の高層団地に着いた。まだ四月というのに日差しが強く、風も無く、気温が高い日だった。
宗川係長の車は三日前から毎日この団地に入っていた。一番下の階から一戸一戸丁寧に廻り、今日は最後の最上の三フロアを攻めて、この団地を終了させるのだと言う。
宗川は誇らしげに龍平に宣言した。

「暑いからドアが開けっ放しの家が多いね。これじゃ僕のアプローチ技術は見せられないかもしれない。さて今日も打ち直しトークで行くよ」
「えっ、打ち直しトークは会社では禁止じゃ無かったのですか?」
「ああ、部長がしょっちゅう言ってるよね、打ち直しをいたしますと、宮内庁御用達の布団屋ですとは、絶対に言ってはならないって」
ハンドルを握るもうひとりの営業が「言ってはいけないということは、そう言って売りなさいってこと、知らないの?」と笑った。
龍平がびっくりした顔をしたので、これは拙いと宗川は相棒の言葉を取り消しにかかる。
「それは冗談だ、野須川君。確かに打ち直しをいたしますなどとは言ってはならない。事実、我が社は打ち直しをやっていないのだから」
そうは言いながらも、宗川はドアが開いている部屋の網戸の中を覗き込むような姿勢で
「毎度、お騒がせしています。ミツバチ・マーヤです。何かお布団に関する相談事や、ご用命はございませんか? 打ち直しのご相談も承ります。何か、お布団のことで、ご用はございませんか?」と打ち直しを平気で口にする。客が本当に布団を押し入れから持ち出して来て、打ち直しを頼まれたら、一体どうするのだと龍平はひやひやだ。
客が出て来た。
「ミツバチ・マーヤさんて、ここ数日、毎日来てるわね。打ち直ししたい布団はあるのだけれど、もう古くて打ち直しなんかできないのかも」

「奥様、なんならその布団見せてもらえませんか。お布団を見せてもらうだけで、打ち直しの仕事はいただけなくても良いのですから」
「じゃ、見てもらうわ」と客は一旦奥に下がると、古くて汚れた敷布団を玄関まで持って来る。
宗川は玄関にしゃがみ込み、その夫人に断って、側生地の四隅の一つをハサミでほんの少し切り込みを入れ、小指の先ほどの中綿を取り出した。
客の夫人が「お宅は相当、布団の打ち直しをやっておられるの?」と尋ねるが、聞こえなかったように宗川は黙り込んで、真剣に取り出した綿を調べている。
宗川は、しゃがんだままで、そっと夫人の左側に廻ってすぐ傍まで近づき、
「ご覧下さい、奥様。中綿がこんなに古く、汚くなってしまっています。これじゃ、大変失礼ですが、打ち直しに適した時期がとっくに過ぎているとお考え下さい」と真顔になって客の顔を覗き込んだ。
「やっぱりね。そんなことだろうと思ったのよ。無駄足を踏ませましたね」
「いいえ、とんでもない。この敷布団は随分古くなっていますが、旦那様に長生きしていただく為に、ふわふわの新しい敷布団を買ってみようとは思いませんか。良ければ、私共の最もよく売れている敷布団を、見るだけでも見ていただけないでしょうか」
主婦が首を縦に振ったので、宗川は龍平を連れ、大急ぎで車に戻った。同じ柄で赤と青のペアになった掛け・敷布団二組を、二人で客の部屋の前まで運んだ。客は買うとは言っていないし、新調するなら夫の敷布団に限定されるのに、なぜこんなにいろいろな布団を見せるのか、龍平には不思議だった。
宗川は、「失礼します」と、靴を脱いで青と赤の敷布団だけ、部屋の中に持って入った。

宗川から詳しい敷布団の説明を聞いた後、赤にしますか、青にしますか、と尋ねられ、客は迷った挙げ句に「両方もらっておくわ」と言った。宗川はこれで思い通りに進んだと満足げに、五ヶ月の割賦販売契約書に、赤と青の敷布団の品名を書き入れる。ところが契約は完成させず、「掛布団もついでに見て欲しいのですが」と言い出したのだ。
主婦は「今日は敷布団だけでいいわ、掛布団を取りに行く必要はないから」と言うと、宗川は「いいえ、ドアの横に置いていますから」とすぐに持って入った。
結局この客は、掛敷赤青ペアの二流れを契約した。下取りは、布団でも座布団でも枕でも、商品を買った数の同数を一点千円で引き取ることになっていて、この客は最初の敷布団を含めて、古い四枚の下取り布団を出した。下取り分を差し引き、総額六万五千二百円のお買い上げだ。
宗川は、同じ様なやり方で、その日合わせて三件の契約をとり、相棒の売上を加えると、一日の車輛売上ノルマの二倍を楽に超える成績を納めた。
宗川は車からビニールシートを取り出し、団地の中庭の、停めた車の横に拡げ、その上に下取り布団を積み上げて行った。各家庭から中庭を見下ろせば、団地に住む人が、競うように打ち直しの布団を出したように見えたことだろう。

第二章 個別訪問セールス その⑭に続く