第十章(自分が変われば世界が変わる) その3

(小説に登場する丹南メモリアルパークのモデルである、美原ロイヤルメモリアルパークの現在の姿である)

名古屋の中村商事から注文を受けた指圧型敷布団の出荷先は、群馬県高崎市の中堅問屋だった。
そちらの社長が見本で送って来た野須川寝具の敷布団を自宅に持ち帰り、寝てみたそうである。社長は歳をとって、柔らかい敷布団に寝たら、朝になれば腰が痛くて起きられないことがよくあった。背骨を真っ直ぐにする力が、歳とともに失われ始めたのだ。
その点、固綿をたこ焼きの鉄板のようなものでプレスして、凸凹に成型し、更に堅くした芯綿が柔らかい羊毛エステル混の綿でサンドイッチになっているこの布団は誠にうってつけの商品だ。
しかも背中全体をまんべんなく指圧もしてくれるので、東洋医学的に言えば、身体の中の弱っている部分に喝を入れてくれるし、血行もよくしてくれるのだ。
高崎の問屋、高崎商店の社長は「これは絶対にお薦めの商品だ。健康に良いぞ」と絶賛して、北関東の取引先の寝具専門店に薦めてくれたのだ。
この社長は、中村商事からメーカーである野須川寝具は一度和議倒産した会社だと聞いていた。龍平にすれば、財務状態に問題のある中村商事には言われたくなかっただろう。
もしもこの商品がどんどん売れ出した時に、メーカーの方が先に経営が行き詰まり、商品の供給ができなくなったりしたら、高崎商店の信用がなくなると、十二月から翌年三月までの注文数をまとめて出してきた。

十二月分の商品を高崎に送っただけで、先方は悲鳴を上げてくる。商品の嵩(かさ)があまりにも高く、自分の会社用に借りていた倉庫スペースがこの商品だけで一杯になったのだ。
一月からは商品をメーカー預けで仕入れを行うと言ってきた。高崎商店がメーカー預けで仕入れるということは、高崎商店が中村商事に商品を引き取らず、代金だけを払うということで、中村商事も野須川寝具に代金だけを払うということを意味していた。
霊園開発は同意書をとるのに一番困難そうな桜台西自治会との話が付かぬまま、膠着(こうちゃく)状態で平成五年が明けた。
龍平は今はまだ知らないが、この平成五年が龍平の人生の、最も苦しい一年になるのである。
指圧型敷布団と言えば京都山本との取引だが、昨年は二ヶ月に一回、百万円ずつの注文が来ていた。
俊平はRKBの取引が順調に増えだした時に、京都山本の社長に、社長は昔、野須川寝具の担当部長だった人物で永く懇意にしてきが、取引の停止を申し入れたのだ。
京都山本が、俊平の顔を立てなければと、無理して商売しているのがみえみえだったからだ。
先方は、そんなことはありません、とは言わなかった。そのまま涼しい顔で取引停止を受け入れた。龍平には月平均五十万円の取引でも貴重な売上であったのだが。

一月の桜台西の自治会との話し合いの日が決まった。
いつもの四人のメンバーで、土曜の夜に会場に出かけて行った。

自治会側は今回は自治会の役付きの五名くらいが参加して、他の住民は参加しなかった。住民の意見が纏まり、自治会の役員に委任をしたということなのだろうと俊平たちは解釈した。
住民たちは大きな模造紙に、霊園の素面を描いていた。
総面積三千坪の申請用地の桜台西一丁目の住宅地に面しているのは、申請地南側の東西百メートル余りの一直線の境界だ。
その日自治会が提示した図面には、その境界線から二十メートル北側に境界線に平行して太い線が引かれていた。
下村区長がこの線について説明した。
「霊園開発をするのなら、この線まで北側に退いて欲しいのや。事業主の野須川会長は、住民の同意が貰えるのやったら、一億円払ってもええって言っておられたと聞いてまっせ。儂らが同意したら、そんな金払わなくても良いことになりますわな。だからそちらの同意とりの予算でな、この緩衝地帯の土地を丹南町にただで譲渡してほしいんですわ。何も無茶な話やおまへん。今日日やったら、有料老人ホームを建てる時だって、事業者は付近の自治会に大体三分の一くらいの土地を公園や道路に出すのはあたりまえのことや」
俊平は、設計事務所の社長にこの公園の面積はいくらくらいかと尋ねた。
設計事務所は「七百坪をくれと言っているようです」と答えた。
俊平はため息をついて、区長に質問した。
「下村区長、条件はそれだけですか」

「なにを言うかい。それだけで済むものか。もうひとつの条件はな、この新たな境界線の北側に擁壁を造ってほしんや。幅百メートル強のダムみたいな擁壁になるな。高さは十メートルと言いたいが、七メートルで良いわ。こちらの住宅の二階の庇を超える高さにはなるわな。その上に高さ三メートルのコンクリートの塀を建てて欲しいのや。それも洋風の美しい塀やで。住民の皆様が要求しておられるのは、擁壁と塀の内側に擁壁の高さまで土を盛って、西一丁目の住民が自分の家の二階におっても、まだ隣の霊園は頭より高いところにあるように造ってくれと言うことや」
たまりかねて俊平は区長に質問した。
「何を馬鹿な。三千坪の敷地の中から、七百坪の土地をただで引き渡した挙げ句に、そんな無茶な工事をしたら、霊園の営業利益が総て吹っ飛んでしまうやないか。冗談も休み休みに言ってくれ」
「会長はん、儂ら何が何でも、こんな工事をしてくれと強要してるんやおまへんねん。嫌なら霊園造るの、止めはったらどうですか」
「下村区長、そんならどうあっても、工事内容について話し合いの余地は無いということか」
「この二つの条件を呑んでもらわんと、儂ら同意書は出せません。はっきり言わせてもらいます」
「同意行政を逆手にとった暴力やないか」と俊平が言おうとするのを坂下が止めに入った。
坂下が事業者を代表するように自治会の役員に頭を下げて次回に繋ぐよう話を纏めた。
「分かりました。今すぐ返答もなりませんので、持ち帰りまして検討し、来月の説明会に返答をお持ちしたいと思いますが、如何でしょうか」
「よっしゃ、それなら来月の日取りを決めておきましょう」と下村はしたり顔だった。

龍平が運転する奈良への帰り道で、俊平は腹が立って、腹が立って納まらない。
しかしふと気がつくことがある。考えて見れば、造成工事代が増えることで損をするのは野須川寝具だが、面積が七百坪も減らされて大損するのは関西石材ではないか。その坂下が何故あんなに冷静になれるのだろう。
俊平ははっとなった。バブルはすっかり弾けてしまっている。坂下はもしかしたら契約残金の二十七億は、払えなくなっているのではないだろうか。
坂下はそれを告白せずに、野須川寝具には所有物件を霊園にさせ、それを関西石材で時をかけて販売して行こうとの腹ではないのか。そうでないと儂以上に坂下自身が下村区長に食ってかかった筈だ。
早急に坂下を呼びつけ、問い糾そうか。いや、それも出来ない。
今の時点で、関西石材が契約残金を払えなくなったことが公になって、浪銀ファイナンスや、なみはや銀行がそれを知ったら、どうなるのだ。
野須川寝具は本業も縮小し、月商も僅か二千万円前後になってしまっている。そこへ霊園開発の実情を知ったなら、霊園開園の暁に二十七億円が入るのだからと、両金融機関から了承を受けている、土地の宗教法人香川大社への名義変更も、浪銀の担保を八幡工場に付け替えする件も、皆おじゃんになるだろうし、八幡工場もきっと差し押さえだ。
だからまだまだその件は、坂下を究明する訳にもいかず、ただ阿吽(あ・うん)の呼吸で当分の間、坂下と付き合って行くしかない。これは誰にも口外できないし、息子の龍平にも言えないことだと俊平は思うのだった。

一月の桜台西自治会との話し合いの後、龍平は悩み続けた。
桜台西自治会とは依然として膠着状態だ。条件を呑めば、事業目的を叶えることは不可能になる。条件を蹴れば、霊園という事業は永遠に出来なくなる。
龍平は不思議に思った。七メートルの擁壁の上に三メートルの塀を乗せるのであれば、十メートルの高い塀ではなぜ駄目なのか。
設計事務所に聴くと、七メートルの擁壁を建てるには、それも鉄筋をいれるが、その前にその底に水平方向に七メートルの鉄筋入りコンクリートの土台を作らねばならない。その為に後で盛り土にする所にも、幅百メートル以上の長さ、奥行き十メートルの穴を掘らねば、この擁壁工事は出来ないということだった。天文学的な土木工事の費用になるのは、聴かずとも龍平には分かった。
設計士は言った。「ただし一番奥の北側は逆に二メートルから四メートルの切り土の工事をして、そこから出て来る土を南側の盛り土に使えば良いのです」
出来上がった霊園を龍平は想像してみた。
桜台西一丁目の住宅地の北側に奥行き二十メートル、東西百メートルの公園が出来て、その北側に高さ七メートルの擁壁があって、その上に更に三メートルの高さの塀が建っている。擁壁の高さまで盛り土する霊園は空中庭園だ。そうだ、まさしく丹南メモリアルパークは空中庭園なのだ。
なぜ南側に隣接する住民は、空中庭園のような霊園なら許せると言うのか、と龍平は毎日、毎日考え続けた。
瞑想行「実相観」をしているとき、龍平の耳に「兄弟の気持ちになれ!」との言葉が聞こえた。
                                                                                             

第十章(最終章) 自分が変われば世界が変わる その④に続く