第四章(報復の応酬) その7

(現在の銀座線京橋駅付近。僅か二ヶ月の使用に過ぎなかった東京営業本部のビルは、ビル建設中の敷地の一部か、その隣のビルに建て替えられたかのいずれかでである)

昭和五十四年の一月に入った。南関東販社の本部に、数名の管理者が大阪から送られて来る。一人は帝都紡績の化粧品販売で長く販社でのセールス管理のキャリアを積んで来た児島という実直そうに見える男で、年齢は既に六十代に入っている。

児島は龍平常務の相談役として、専務取締役の肩書きを俊平会長から与えられていた。龍平はこの人事を龍平外しの布石だと勘ぐる。そして人材銀行に紹介されて野須川寝具産業に中間管理職として入社し、東京に赴任して来た二人だ。この内の若い男は着任早々、統括事業部の指示で店別に売掛金の内容チエックを開始した。もう一人は、南関東販社の管理システムを池袋の大山から学び始めた。
若い男が調査を始めるのは大宮店からだ。大宮店で残る売掛金の殆ど全部がセールスの架空売上によるものだと判明する。問題は店長の小野原との関わりであるが、セールスが店長からの指示だったと白状すると、店長の小野原も、店の売上が欲しかった自分の指示だったことに間違い有りませんと、実にあっさりと白状してしまった。当然の結果、小野原は懲戒解雇になる。
だが問題はそれだけでは終わらない。大宮店の架空売上は、店長小野原の指示で、営業マンの歩合給ほしさからの不正売上でなかったとなると、誰が店長の小野原に、架空売上をしてまで店の売上を上げろと指示したのかが、次の問題となる。大阪の統括事業部は、それまで龍平がこっそりと架空売掛金の取消していたのには好意的だったのが、この事件から手のひらを返し、カシオペア南関東販社の不良売掛金を作った張本人が、実は龍平自身ではなかったかと疑いだす。統括事業部の牛山本部長は、各店の店長に電話をし始めた。自分たちの架空売上は、会社のトップの指示だったなどと、卑怯にも責任転嫁する者は、流石にこの時点ではいなかった。
次に俊平は、浜松町店の池上店長を解任する。成績が振るわなかったことと、これも不良売掛金が多かったことが問題視されたのだ。俊平は池上に大阪本社への出頭を命じる。

大阪に出張し、淀屋橋の野須川寝具産業の本社を訪ねた池上に、俊平は、龍平からの架空売上の指示があったのか、無かったのかと執拗に問い糾した。池上はきっぱりと自分はそんな指示をした覚えがないし、トップからの指示など、勿論無かったと明確に返答した。
俊平は、池上の返答にほっと安心し、今度は広島の中国カシオペアの立て直しに行ってくれないかと懇願するのだった。池上は自分への疑いを晴らすには、広島で自分の潔白を証明する他に道はないと悟って、俊平の口から出た人事異動を受けることにした。それが自分のボスの龍平を東京に残すことになるのだと信じていたのだ。
さて、大宮店の監査を終了した若い男は、次に横浜店の調査に入った。
本部から横浜店の売掛金を残す顧客に、片っ端から電話をする。すると不良売掛金の中には、商品は間違いなく買っておきながら、支払いを渋る、たちの悪い顧客の売掛金が何件か見つかった。そこで久保店長に、仕事の傍ら、これらの集金に行ってくれと依頼する。
二週間が経過する。だがそれらの売掛金の残高は、コンピューターが出す詳細を見る限り、まったく動いていない。つまり全く回収されてはいないのである。まだ久保店長は行ってくれてないのかと不審に思ったその男は、その数件の顧客に再度電話してみる。すると一件、顧客が集金に来た店長に支払ったというのが出て来たのだ。
この若い男は、日曜日、抜き打ちで久保の自宅に押し掛け、何故回収した商品代金が会社に入金していないのかと糺す。久保は顔色を変えた。日々の店の売上に気をとられ、うっかり会社に入金するのを失念したと弁解する。

「しかし公金を自分の財布にいれたまま、放置したら泥棒でしょ」と若い男に言われると、久保は観念したように、
「確かに申し訳ないことをいたしました。明日辞表を提出します、もう疲れました。こんな仕事は、私のような高齢者には無理でした」と疲れ切ったような小さな声で言った。
久保の家の中には最近買ったばかりの唐木の家具や毛皮などが置かれていたことも、この若い男から大阪の統括事業部に報告された。久保の私財の目立った変化を見つけ、恐らく売掛金を回収して自分のポケットに入れたのは、今回が初めてではないようだと、勝手に憶測し、前月には横浜西店から部下を出して、平塚店出店に骨折った久保だったが、小野原同様、懲戒免職になった。
これで池上は他の販社へ転勤、小野原と久保は解雇となって、龍平が社内で経営の相談相手だった三名の全員が会社からいなくなったのだ。小野原、久保を解雇に追い込んだこの若い男は、一月末で大阪に帰り、俊平に辞表を提出した。与えられた仕事が、あまりにも非生産的だというのが、彼が仕事を辞めたい理由だった。
残った熟年の人材銀行からの男が、店の監査を続けることになった。取り敢えず、横浜店の売掛金の調査が進められた。
一方、龍平とテイボー化粧品販売の児島とは商品は違っても販社を育てた者同士、良く気が合った。仕事が終わると浜松町の居酒屋に行き、遅くまで二人で飲み明かすことがあった。

二月のある日、大阪の俊平が児島に電話してきた。
「おお、児島さん。どうや、そろそろ南関東販社を一人でやってみる気になりましたか」と俊平は直球を投げて来る。そこに龍平がいないことを知っていたのである。
「野須川社長、私はここに来て、あなたのご子息がどんなに苦労して、この会社を創られたのかを知りました。ご子息を外そうと考えられる会長は、大間違いをしようとされています。いまご子息を外したら、この会社は間違いなく消滅します」
「児島さん、何を龍平に吹き込まれたのかは知らんが、最早龍平はセールスの心を掴んではいませんぞ。池袋の中川君などの意見も聞いてやって下さい」
「野須川会長、会長こそ何を吹き込まれておられるのか知りませんが、私は中川なんぞと、ご子息を、同等に扱うことなど絶対に出来ません」
二人の話は平行線のまま終わった。南関東販社のトップに据えようと、テイボー化粧品販売の児島を選んだのは、人選の間違いだったと俊平は痛感した。
さて、この頃、野須川寝具産業のメインバンク、なみはや銀行は、行員の香川武彦を、長村財務担当専務の下の経理担当常務として送り込んで来た。その香川武彦が、着任早々、カシオペア南関東販社の特別監査に出張したいと言いだし、浜松町本部で龍平と半日対談することになった。
会社の監査は出張名目で、真の目的は山村頭取からの依頼もあって、龍平という人物を自分の目で確かめることだった。後になみはや銀行の香川武彦が、俊平に疎まれ、営業店の店長に身を落とした龍平を救い上げ、本社の役員に戻すのだが、龍平もそんな運命の出会いとも知らずに、香川と楽しく接していた。

第四章 報復の応酬 その⑧に続く