第二章(個別訪問セールス)その6

(大学二年生の昭和42年8月、ワンゲル部の夏合宿の後に、父や父の京町堀時代の元従業員と登った剣岳の頂上)

トリコット(経編たてあみ)を合繊(ナイロン・エステル)の長繊維でないと生産できない生地だと、繊維に携わる者の殆どがそう思い込んでいた時代だ。紡績糸で編まれた経編生地を見て、俊平は絶句した。
昭和三十年代後半から太平洋商事がドイツのカール・マルクス社製整経機、トリコット編機を独占輸入し、北陸の資産家を任意に選んで工場経営者に仕立て、輸入した機械を彼らに長期分割で購入させ、旧来の織物に対抗するトリコット(経編)の一大産地を完成したのが昭和四十年代だ。日本の次代を担う、無限の量産が可能なトリコット(経編)生地の生産・販売は、太平洋商事に独占されたかのようだった。
だがこれに対抗して栃木県足利地区に経編の産地を作った商社がある。それが花菱商事であった。しかも今更同じ合繊の長繊維による経編を生産しても、大商社、太平洋商事のスケールには敵わないと、花菱はエステル綿混の紡績糸で、汗を吸えるトリコット生地を編み立てる技術を完成したのだ。
この生地を使いたいが、まさか太平洋商事の商敵である花菱商事と取引を始める訳にはいかないことも俊平は承知していた。その辺りの事情を言い含め、俊平は天に祈る気持ちで井川を足利産地に出張させたのだ。
幸運にも、足利の経編工場ーの一社が、花菱を通せぬ事情を理解し、エステル綿混糸でパイル地を編み立てるだけでなく、地元の染色工場と組んで、プリントや仕上げをされた完成した生地にして、野須川商店と直接手形で取引することを了承した。これは井川の大手柄だ。

次に解決すべきは、キルト機でエステル綿と生地をサンドイッチにした後の周囲の処理だ。切断面がまる見えの四方をどう処理すべきかであった。
牛山の助言で、毛布産地の泉大津にある、タフト毛布用のヘリ(ヘム)付けミシンで、ナイロントリコットの毛布用ヘリ地を縫い付けることになった。
しかし布団と毛布は厚みが違う。何度も毛布用ヘリ付けミシンが改造された。
ヘリ地は、野須川商店の親会社になろうとし始めている帝都紡績のナイロン・トリコットを使い、太平洋商事の経編課を通して購入することになるだろう。だがピンク・サックス・ゴールドと言った三色しかないアクリルタフト毛布とは違い、キルト肌フトンに使おうとするヘリ地は、表地のプリント柄の無数のデザインに合わせ、何十色という色を揃えなければならない。
ここで機械メーカーの相模制作所が呼ばれ、試作見本を作ることになった。
だがキルテイング機械を作る相模制作所は俊平たちを愕然とさせてしまう。
キルテイングマシンにかける綿は、今までの布団に詰める綿とは全く違うものだった。つまり野須川商店の工場に設置された製綿機はそのままでは使えないのだ。
今の製綿機で薄めの綿を作って、マシンに掛けても、マシンの力が強く、中綿にむらが出来て中綿量が製品毎に違ってしまうだろうと相模制作所は指摘した。
本来キルト機に掛けるのは、布団屋の製綿機でできる綿では無く、不織布だった。俊平や井川たちが求めたのは、不織布よりは厚い綿だ。あくまでも綿なのだ。
それには製綿工程で樹脂を噴霧し、繊維の接触する場所を接着し、ポリエステル繊維がパンタグラフや

ジャングルジムを作るように繊維を固定する必要があったのだ。
取り敢えず試作品を作るのに、製綿工程で綿を作りながら、手作業で相模制作所の指定する樹脂を噴霧することにした。
かくして昭和四十二年秋、野須川商店で多針キルト機による綿パイル肌フトンの試作品が完成した。花菱商事が独占販売する綿トリコットとは言わずに、綿パイルと言ったのも、取引先の太平洋商事に配慮したものだ。
綿には樹脂加工が施され、キルテイングがされている分、耐久性のあるしっかりした製品となったが、毛布でも布団でもない、今まで見たこともない製品だ。
俊平や井川には想像通りの商品だが、牛山はこんな奇をてらった製品が本当に売れるのか心配だった、消費者が手にとるのかどうかも問題だが、その前に発売元となる京都山本がびびって取り扱わないのではないかと思ったのだ。

牛山の予想通り、俊平や井川が京都河原町通りの京都山本の来季の商品企画会議に、その試作品を持って行ってみると、この商品を賛嘆する山本の営業マンはいなかった。全員が九百八十円で店頭に出ているタフト毛布と比較していた。この肌フトンは京都山本に入る下代から既に毛布の上代を超えていたのだ。このままでは来季の新作として取り上げられそうになかった。
「野須川さん、せっかく作って下さった新製品なんだが、まだ今の時代には早いと言うことで、残念だが一旦お持ち帰り願いましょう」
「いや、吉村社長に見ていただけるまで、この試作品を持ち帰る訳には。だから吉村社長を呼んで下さい」と俊平はテーブルの上の試作品を片付けようとはしない。
「困らせないで下さい。うちの社長は今手が外せないって申し上げたでしょう」
そこに吉村社長が入って来た。吉本の営業マンは一斉に総立ちになった。
「やあ、野須川さん、久しぶりやな。ほお、これですか、新製品というのは」と吉村は上機嫌に新作の肌フトンを抱き上げた。
営業マンの一人が口を挟んだ。
「まるでタフト毛布みたいな製品ですが、値段はその三倍となるそうです」
「いらんこと言うな。馬鹿者! そんな災害対策品と一緒にするな。三倍と言うことは、二千八百円上代か、野須川さん」
「社長がご覧になって、その小売上代でいかがでしょう?」と恐る恐る俊平は吉村の顔を覗き込む。
「その値段なら絶対に売れます。来季から京都山本の肌フトンはこの手に変更して行きましょう」

「吉村社長、それならこれを来季の企画にはめていただけるのですね」俊平は顔を赤らめ、吉村に深々と頭を下げる。
「当たり前でしょ。これは素晴らしい布団ですよ。絶対に売れます、お前たち、まさか、これを扱うかどうか思案してたのですか?」
「いいえ、社長、私たちも皆そう思っていたのです。ですが、やはり社長に同意いただきたくて、結論を出さずにいただけです」
「そうでしょう、こんな良い商品の値打ちが分からない営業が、まさか京都山本にいる筈ありませんからね」

第二章 個別訪問セールス その⑦に続く