第九章(祈りの効用) その 6

(筆者の職場にある屋内型永代供養墓に併設した納骨堂。観音様の後ろのパネルに納骨壇に納骨された故人様と共に毎月の読経供養を願う他の施設に埋葬された故人様の俗名を彫ったアクリルプレートを納める。)

輪読会に続く行事は、ここ宇治の練成道場でもある光明の家実相神社の宮司による、親に感謝する大切さを学ぶ講話だった。宮司自身が子供の頃、父親と離ればなれに生きなければならない事情があって、父親への思いは複雑なまま育った。後に父親と和解し、感謝ができたという体験談をこの親に感謝すべしの講話にいつも付けていた。
龍平は自分が父親に感謝が出来ていないどころか、父親は憎悪の対象であった。練成の講話の中で、講師は「神を拝みたければ、親の背中を通して拝め」と何度も何度も諭した。
しかし龍平はその諭しは、世間一般の親子のことであって、こと自分の親については当てはまらないのだと思っていた。何故なら、こうして信仰の道を究めようとするのは自分であって、父親の俊平に至ってはまったくの無神論者であると認識していたからである。
だから自分こそが神仏に近く、父親が自分の背中を通して神を拝めば良いのだとさえ思うのだった。
一方、佐藤はその時間、この話は何度も聞いたからと、ひとり祈りの間に行って、実相観を行じていたようだ。
佐藤は、妻に二年前に逃げられたとは言え、それまでこんな自分に辛抱して文句も言わずに連れ添ってくれた妻に感謝しなければならないと思い立ったのである。
だから祈りの間では、妻の名を何度も何度も呼んで「よくこんな儂と連れ添っていただきました。ありがとうございます」と感謝行を続けるのだった。
佐藤にはすぐ信仰体験が出た。

その日の夕方、佐藤の妻がこの練成道場まで電話をして来たのだった。
佐藤は職員からそれを知らせるメモをもらって、何の用事かと不思議に思いながら、道場内の公衆電話から妻に電話を架けた。
電話で妻と二年ぶりに話をした佐藤は、入浴や夕食を終えて部屋で休憩する龍平のところに目を真っ赤にしてやって来た。
「龍平君、悪いな。君と付き合えるのも今夜が最後だ。明日朝家に帰ることになった。家内が明後日の儂の誕生日を祝いたいから、どこかファミレスででも、家族一緒に飯でも食おうと言って来たんだ。息子も、娘と娘婿も、孫たちを連れて来てくれるそうだ。そうと決まれば、儂は明日朝、早朝行事が終われば、岡山に帰るさ」
「そうですか。もう一度、奥様と息子さんと暮らせたら良いですね。奥様はどこにいらしたのですか」
「娘の家にやっかいになったまま、二年も過ぎていた。三人が一緒に暮らすと決まれば、ゆったり暮らせるよう、儂の道楽の本は古本屋にでも持って行って、きれいさっぱり処分することにするさ」と言いながら、佐藤は泣いていた。
龍平は明日こここにやってくる大村淑子のことを思い出し、慌てて彼女の体験談が載った本を開く。
そこには、大村の葬式の様子が書いてあった。淑子には大村との間にひとりの息子がいた。大村の葬式の差配は気丈な淑子が行った。ところが通夜の晩、淑子の知らない母娘がやって来て、淑子の夫の変わり果てた姿を見て大泣きするのだ。不思議なのは、親戚の誰もが、この母娘を知っているような素振りだったことだ。

後で分かったのだが、この娘は大村が外につくっていた子であって、淑子は迂闊にも、夫がその娘を密かに認知していたことに気づかなかったのだ。
一般の読者なら驚くべき体験談である。しかし龍平は大村の人となりをよく知っていたし、こういうことは大村だけでなく、中小の企業家でも、上場企業の役員たちでも、往時ならよくある話だった。父親の俊平でさえ、あり得る話だった。だから特に驚かなかった。
きっと淑子自身も自分に知らされなかったことは驚いたであろうが、夫は仕事は出来るが女にはだらしないことを百も承知で結婚していた筈だろうと龍平は考えた。だからそんなことを本に書かれて公表されても、平気なんだろうと。
体験談の中では、淑子は夫に失望し、憎んだ。
しかし光明の家の練成を何度も受けて行く中で、憎しみが感謝に変わったのだ。
その後、彼女は専業主婦から事業をする女性になった。エステの店を立ち上げた。
歌劇の男装の麗人にも見える彼女には、相応しい職だと龍平には思えた。
ただ龍平には、一旦憎しみを持った相手から、その憎しみが消え去って、感謝の心に変わるなんて、まったく理解ができなかった。
翌朝、朝食を食べた後、佐藤は岡山に帰って行った。
代わりにお昼前に淑子が練成道場に到着した。
一緒にお昼を食べる時、龍平は気になっていた、大村が亡くなったのは野須川寝具が一千万円を大村商店に振り込んだ後だったのか、先だったのかの疑問を淑子にぶつけた。

それには「もうそんなことは忘れたわ。いつまでそんなことを気にしてるのよ。それより野須川社長、もう個人指導は受けたの」と返して来る。
「まだです」と答えると、「なにぼやぼやしてるの、じゃ、今から割り込みで頼んでくるから」と。
「今から午後の講話です」と言うと「そんなのいいから、いいから」と社務所に入って行った。
淑子が龍平の個人指導を頼んだのは、黒板に決まってスマイルマークを掻く中年の先生だった。
その講師はよほど個人指導の予約が溜まっていたと見え、龍平に「悪いが、十分しかないのですよ」と最初に断った。
招神歌(かみよびうた)も省略だ。龍平の問題が経済問題だと聞いて、講師は生い立ちからかいつまんで言ってみろと言った。
龍平が国立大学を出て、太平洋商事に入り、それも三年で父親が創業した中小企業に転職したと言ったところでストップをかけられた。
「はあい、そこまで。あなたの問題は分かりましたよ。あなたは今、太平洋商事を辞めて、お父さんの会社に入ったことを後悔していますね」
「後悔などしていません」
「それは嘘です。あなたは自分の深層心理というか、奥底の心にちゃんと向き合ってはいないのです。あなたの潜在意識にある後悔の念が、今経済的にうまく行かない原因になっています。あなたは自分の運命を素直に受け入れなければなりません。人生の中で道を選択する機会がどれだけあろうと、あなたの意志で道を選択したことなど、一度もないのです。就職しかり、結婚しかりです」

「では誰が選択したと言うのですか」
「それを言うならば、神様です。人間は所詮、神様の描いたシナリオ、あるいは自分の運命の通りに生きているにすぎません。だからあなたは一度だって選択の道を誤ったりしませんでした。選択は総て正しかった。あなたは神があなたの為に道を選択されたことに感謝して、感謝の気持ちで自分の人生を受け入れなければなりません。はい、時間となりました。個人指導はここまでです」
個人指導が終わるのを淑子は外で待っていた。
「どうだった。何か参考になったかしら」
「先生は私が商社を辞めて今の会社に入ったことを後悔してるだろうっておっしゃるのです。私はそんなこと思ったことはないのですが」
「案外図星かもしれないわよ。あの先生には他人(ひと)の心の中が丸見えなんだから。つまりね、先生はあなたがお父さんを恨んでいると見抜いていらっしゃったのよ」
「私が父を恨んでいるのは本当ですね。何度も何度も親に感謝せよと教えられたが、私には、それだけはできません」
「そう言えば、野須川社長は笑いの練習では笑ってなかったわね。もう笑えるようになったのかしら」
「すみません。何度も笑いの練習があったのですが、始まった途端、なぜか声が出なくなるのです。回を追う毎にそれが酷くなりました」
「どうしたの。野須川社長はお父様を恨みながら、一方では自分を責めているってことなの。野須川社長には誰にも明かせない秘密でもあるってこと」

「そんなもの、ある訳ないじゃありませんか」
「次は夜にある浄心行の為に、与えられた紙に誰にも言えない悩み事や恨み言など、思い切り書く時間よ。夜の本番の浄心行で、それをみんなで祈りながら焼くの。焼くことで心からそれを放して心を浄化する行なのよ」
龍平はぎょっとなった。龍平には父親の俊平に明かせない秘密があった。内緒の借金のことである。まだ残高は九百万円もあるのだ。
誰にも言えないのは、借金の存在ではなく、その返済とスムーズな仕入支払の為に、会社の売上を一部抜いていることだ。利益は触らないが、売上仕入は同額減額していた。それは簡便法を用いる企業なら消費税の脱税に繋がるのだ。だから俊平に秘密であると同時に税務署にも内緒のことだった。
だから誰にも相談ができない。こればかりは、光明の家の先生にも明かす訳には行かないのだ。
せっかく自分の心の中を総てさらけ出して、心を浄化して、信仰体験が得られる機会なのに、中途半端な懺悔しか出来ないでいた。
お父さん、お母さん、ありがとうございますって言いながら、神に懺悔する紙を焼く浄心行では、淑子も龍平も泣いた。
淑子のは、自分の心の中を総て懺悔しての、神に感謝する感動の涙だ。
しかし龍平のは、自分のしてきたことが簡単にほどけないことに気づいた落胆の涙だ。
ただ龍平は問題点を明確に掴むことが出来た。龍平が改善すべき点は父親に感謝することだ。
ただ今の龍平には、当分無理なことであるだろうが。

第九章 祈りの効用 その⑦に続く