第九章(祈りの効用) その9
(筆者の職場の樹木葬墓。今全国的に都市部を中心に大流行しているお墓のスタイルだ。その殆どが数十年後に合祀墓に改葬する条件で廉価で販売されている。しかし根がバラのように横へ横へと拡がる桜の木がすぐ側に植えられるので、数十年後には遺骨が桜の根に絡まれ、改葬するにも物理的に困難になるだろうと想像される。弊社の霊園では木を植えるところと遺骨を埋葬するところはコンクリートの壁で分けて造って将来の改葬もなく永代に渡って使用していただけるようにしている為、価格は全国平均より高めになる)
平成四年(一九九二年)の年が明ける。京都府八幡市の寝具工場を稼働して、羽毛布団や固綿敷布団を受注生産する事業はなんとか続いているという状況だった。ただし固綿敷布団については、特許が活かせる指圧敷敷布団以外の受注は禁止すると昨年の暮れに俊平が言い出したので、ますます受注生産は困難になり出す。
龍平が月末の支払いの為に、現金入金を内緒で自身の別口座に取り込んでいる城陽寝装でのみ、従来型のフラットな固綿敷布団の製造を続けた。城陽寝装の売上そのものを会社の売上から除外していたから、こんなことが出来たのだ。
父親の俊平に内緒と言えば、城陽寝装のことと例の借金のことがあるが、借金はようやく七百五十万円までに減少した。思えば極道の壺井から年七割の金利で二千万円もの資金を借りてから丁度三年、その壺井が逮捕され、縁が切れてから一年半の月日が流れていた。龍平に残っている各種金融機関の借入は、総てがこの壺井からの高利の借金の肩代わりから発生したものである。その中の信販とカードローンは返済だけの取引だが、完済まであと三十ヶ月かかる予定だ。
龍平はその三十ヶ月後の平成六年の夏に、総ての借金をゼロにしたいと思っている。だがそれはまだ長い道のりだ。
さて、俊平が敷布団のスタイルを限定したことで、当然のことながら、大手スーパーやデイスカウント店とは自動的に取引が出来なくなった。尤も大手量販店と取引するには、製造者番号を入れたバーコードシールを印字する器械を設備投資しなければならない時代に入ったので、敷布団のスタイルで取引云々されるまでもなく、設備投資をしてまで継続する量販店取引のメリットは見いだせなかった。時代の変化までもが龍平を追い詰めていたのである。
年が明けて龍平が新たなる取引先としてアプローチをかけたのは、泉州に本社を置く、特殊な毛布を基本商品にしてシステム販売をする会社である。
そちらへの副商材として、指圧敷布団一本で勝負をかけたのであった。
龍平が所属する光明の家繁栄経営者会の中央支部にも新しい時代がやって来た。宮本まりあが中央支部の会員になるだけでなく、自ら挙手して事務長になりたいと言い出した。
支部長の歯科医院の先生は慌てて「事務長の野須川さんにはよくやってもらっていますので、あなたには副事務長でお願いしたいのです。いかがでしょうか」と彼女に頭を下げた。
するとまりあは「正でも副でも、そんなことどちらでも良いです。事務長として支部例会の企画を練ってみたいだけですから」と答える。
龍平は会社のすぐ近くに宮本まりあの会社があったことから、八幡駅で偶然に再会してから、しょっちゅう会うようになったが、事務長として毎月の例会に三十人以上集めるのが気が重いと彼女につい愚痴ってしまった。彼女はそんな龍平を鼻で笑った。
「馬鹿じゃないの。三十名集めるのが億劫だったら、五十名くらい集める大きな例会にしてみたらどうなの」と。
それで実際、翌々月の三月に、わざわざ五万円も出して、府の教育会館の大きな部屋を押さえ、講師に宮川会頭に来てもらうことにして、五十名の参加者を集めることになった。しかもその内の二十名は自分一人で集めてみせると、まりあは豪語する。これでは彼女が事務長の正であって、自分が副に過ぎないと龍平は思うくらい、彼女には気後れするようになった。
三月の例会が始まった。龍平が支部会員の中できっちり三十名を集めた上に、宮本まりあが自分の友達二十数名を集めてきたので、すし詰め状態で例会が始まる。
講師に呼ばれた宮川も、その活気に驚き、中央支部の活性化を喜んだ。やがてこの新人参加者の総てが新人女性の宮本まりあが集めて来たことを知ると、野須川修平の耳元で「要は北支部の大村女王様が、中央支部にも現れたということですな」と囁いた。
ところがこれに触発された北支部の大村淑子は、四月に北支部吹田支部合同で八十名以上集める例会を開催した。呼んだ講師は、岐阜県の建築会社の社長だった。光明の家の教えにぞっこんで和解の教えを事業の総てに活かしていると噂される中年の男だった。
龍平はたまたまその日は都合が悪く出席出来なかったが、宮本まりあがその社長に興味を持っていたて、数名の友達を連れて参加した。
四月の月末になって俊平は、関西石材の霊園開発顧問の本田と社長の坂下を、霊園開発の状況が動きそうだと四ツ橋の事務所に呼んだ。
「坂下社長には、突然お呼びだてして申し訳ない。最近は本田さんには同行してもらってはいませんが、私は藤井寺の黒田会長と大体二週間に一度のペースで、府庁の環境衛生課を訪ねていました」
本田が自分が行かなくなったのを照れ笑いしながら
「野須川会長、それで何か進展があったのでしょうか」と質問をした。
「大ありです。早ければ六月、遅くとても八月には事業の許認可が降りると思っています」
本田は空いた口が塞がらないといった顔をしたが、坂下は頷いて、本田には目配せして俊平に祝辞を述べる。
「それは良かったです。どんな戦法だったのでしょう」
「府の霊園開発許認可の条例をよく読んだら、知事の承認さえあれば、住民の同意書は絶対的に必要な条件ではありませんでした。そこをついてやりました」
確かに条例には、住民の同意が得られない場合や他の条件が整わなくとも、知事が問題なしと認めて許認可を出すことがあると一番最後に明記されていた。
「それでは年内にオープンが可能ですね」と坂下。
「そう思います。そこで今日来てもらったのは、曲がりなりにも事業の許認可が降りた時の話ですが」
「すぐ工事を始めてもらって、墓地造成工事の完了検査が降りると、三十億の支払いをいたしますが」
「そうなんですが、坂下社長を信じてない訳ではありませんが、黒田会長とこの折衝に苦労を重ねて来ました。だから私と黒田会長が事業の許認可をとったらですね、その時点で契約金をいただけないかと」
「いくらですか」と坂下は笑いながら尋ねる。
「一割の三億です。実際は三億ではあの土地の担保を八幡工場に付け替えてくれとは言えません。まだあと三億要るでしょうな。その三億は私が作って来ます。ですから許認可が降り次第、三億の契約金をお願いしたいのです」
本田はびっくり仰天している。本田も薄々坂下社長が三十億は作れなくなったかもしれないと思いだしていたくらいだ。
坂下は笑って「良いでしょう。但し黒田会長に仕事を頼むのはそこまでですよ」と念をおしたから、本田は腰が抜けそうになった。
四ツ橋事務所から平野区の関西石材に戻る途中、坂下はひとり考えながら車を運転していた。
同意書無しで知事が霊園事業の許認可を出すことがありうることは坂下も長い開発経験から知っている。ずぶの素人の俊平が間もなく降りてくると言うくらいなら、その通り、降りてくるのかもしれない。しかし彼の体験で言うなら、いくら事業許認可が降りようが、そのまま造成工事に入れるほど、霊園開発は単純な代物ではなかった。
仮に今、野須川寝具が墓地の許可をとって、黒田に金を借りて造成工事を完成したにせよ、墓地代金の三十億は既に払えなくなったのを坂下は自覚していた。三十億を新たに借りるどころか、現在借りている三十億の借入金にしても、不動産の担保価値が下がった今、担保価値の範囲にまで返済してくれと言って来る銀行ばかりだ。
だからノンバンクやクレジット会社などに借り換えするのに頭を下げ始めた時だから、当初の計画など、坂下にすればとっくに絵そら言になっているのだ。
野須川俊平に三十億払う意志など既に無い。だがもっと良いアイデアがある。しかしそれを今は言えない。
坂下は開き直っていた。今無理をして三十億作って払ってやっても、それが何になる。野須川親子は三十数億の借金から解放されるのかもしれないが、下手すれば何もかも失うのだ。坂下は思った。今、野須川親子の将来を真剣に考えているのは、この自分だけではないかと。
自分は別のシナリオを持っている。そしてその実現にはもっと時間がかかるだろう。なみはや銀行も浪銀ファイナンスも自然に債権回収を諦めてくれるに十分な時間が必要だ。浪銀などはもう半分潰れた企業なのだから、自分がこれから対決するのは、なみはや銀行だろうと坂下は思った。
なみはや銀行を自分の書いたシナリオに引っ張り込むには、ここはなみはや銀行の債権保全に躍起となって働かされている野須川俊平会長の言いなりになったと見せて、三億を作ってやるしかないと坂下は思う。今自分の胸に秘めた考えは誰にも明かすことはできない。
本田は今三億払うなら、関西石材が後二十七億の支払いをする意志をこれで見せたのだと思うかもしれない。本田が思うくらいなら、なみはや銀行もきっとそう思うだろう。
往時の世の中は、バブル時代の債権債務の処理で大混乱だった。担保物権の価値は大幅に下がって、設定額の二割を切っている状態だった。しかもまだ価値は下がり続けているのである。
銀行は貸倒引当金を積み増す必要があった。超優良企業だった筈の大銀行が総て、超がつく赤字企業になって行った。
霊園事業の許認可の府の条例を何度も何度も読んで、結局は周辺住民の同意は絶対的に必要条件ではないことに気づいたのは俊平だけではなく、龍平もそうだった。
そのことを龍平は、宮本まりあに相談するようになる。
まりあは寝具の製造業を営む龍平の会社が、丹南町に所有する土地で、なぜ霊園開発をするのかと疑問に思った。
「野須川君、あなたの会社はそれで霊園経営に転業する訳なの」
「まりあさん、そうではないんだ。うちの会社の土地での霊園開発の許可さえとれば、その土地を墓地代で換算して三十億で買ってくれる石屋さんがあって、その三十億があれば、うちの会社の借金が無くなるのだよ。どうしたら知事さんが許可を降ろしてくれるかなんだ」
「分かった。私、その許可とりのお手伝いをしましょうか」
「えっと、つまりそれは光明の家の祈りで解決しようということなんだね」
「そうよ。それしかないでしょ。えーっと、先日の講演会で岐阜の建築屋の社長が、なんておっしゃってたかな。確か売れない土地が突然売れたと。そうそう、思い出した。和解の神示を百八回写経したのよ、その人は。野須川君、すぐに和解の神示の写経を始めなさい」
和解の神示は、大調和の神示とも言って、昭和初期に創立した宗教団体光明の家の根本教義とも言われる、光明の家の究極の教えである。
「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切の者が汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。・・・」から始まる神示である。
龍平は半紙に毎日二、三枚ずつ写経して行った。百八日もとても待てず、一日何枚も書いて、一ヶ月くらいで書き終えようとした。
しかし龍平は自分の心を偽っていた。神に祈れるような心では無かったのだ。つまり神に祈るなら、周りの兄弟隣人たちと和解してから祈らねばならない。それを承知しながら、自分を偽り、神に祈ってしまった。周りの兄弟隣人とは申請地付近の住民であり、もっと大事な兄弟・隣人は、龍平が肝心なことを隠してしまう父親の俊平である。
周囲の兄弟隣人と同意書を交わす努力を諦め、大阪府の知事が許認可を出すのを期待して、それが神への背信行為であることを百も承知で、龍平は祈ってしまうのだ。
第九章 祈りの効用 その⑨に続く