第四章(報復の応酬) その13 

(現在の大阪府大東市諸福。写真の配送センター付近に訪販事業の大阪の拠点のビルがあった)

龍平に対する怒りが収まらない俊平には、龍平と同居し、しょっちゅう顔を合わせることは、不愉快極まるものだっただろうが、それでも可愛い孫の雅代を喘息の苦しみから救い出すことは、何よりも優先すべきことだった。
龍平たちが、奈良のあやめ池駅前の野須川俊平宅に引越しをする丁度一週間前の土曜の夜、ひょっこり広島から池上が今福の龍平を訪ねて来た。
池上は広島の朝市で求めたと旬の生ガキを土産に持参した。智代も加わって三人で、早速、酢牡蛎にしたのを味わいながら、龍平と池上と小野原の三人が力を合わせ、東京でのカシオペア販社を大きくして行った、懐かしい思い出話に花を咲かせた。
池上が喜んだのは、俊平会長と龍平が同居することになったことだ。
「野須川常務、本当に良いことです。これで会長と元の仲に戻ってもらえるのですね」
智代は手を振って否定した。
「池上さん、主人とお義父さんとの仲直りはまだまだ先のようですよ。お義父様は主人に裏切られたと大層怒っておいでですし、主人は主人で、自分や田岡さんが苦労して創って来たカシオペアを、お義父様が訪販への無理解から、ひっかき回した挙句に潰してしまわれたと怒っていますしね」
「奥さん、心配要りません。同居される内に必ず、お二人は仲直りされる日が来ますよ。そうしたら常務も野須川寝具に戻られるでしょうし」

「そんなことより池上君、広島店はどうなのだ」と龍平。
「常務、私が力不足で申し訳ありません。残念ですが、中国販社は来春まで持たないでしょう。私のことは心配しないでください。日本のどこにいても、何を売る営業に就いても、生きて行けますから」
池上はその晩、龍平宅に泊まって、翌朝広島に帰った。龍平は池上と語り合うのも、これが最後だろう、と悟っていた。
池上には言えなかったが、俊平と仲直りが出来て野須川寝具に戻れるようになるよりも、常務を務める関西販社が清算会社となって職を失い、野須川グループから再び放り出される日が来る方が早いだろうと龍平は予感していた。
池上が帰った後、大東店の店長時代に貰った、龍平の名前の横に月間売上全国一位と書かれた表彰状三枚を空しく眺めながら、こんな努力も、結局は水泡と帰したかと龍平は、ため息をつくのだった。
翌週から龍平の家族と俊平夫婦の同居生活が始まる。俊平夫婦から歓迎されたのは智代と雅代の母娘のみで、俊平・龍平の不仲は変わらず、二人は仕事上の連絡以外、一切口を利かなかった。

昭和五十四年十二月に入ったある日、なみはや銀行から野須川寝具産業に財務担当常務として出向していた香川武彦は、上司の山村頭取に呼び出された。
香川は秘書室を通って頭取室をノックした。
「野須川寝具産業に出向しております香川が入ります」
「どうぞ、やあ香川君。ご苦労でした」

「山村頭取、私、あるいは野須川会長に、何か不都合でもあったのでしょうか」
「いやいや、香川君。時間が無いので、担当直入に申します。野須川寝具のカシオペア事業に多大な資金を投入したにも関わらず、思い通りには進んでおりませんね。南関東販社、関西販社の経営の失敗は、大いに反省すべしです。思うに、それは野須川会長が、他人任せに間接経営で進めたことに原因ありと観ています」
「そういう観方もございますが、他にも」
「黙って聞いて下さい。これからは野須川寝具のカシオペア事業に、なみはや銀行は口を出すつもりです。三十億もの資金を融資している当銀行の当然の権利行使です。いいですか。私の言うことをしっかり頭に叩き込んで下さい。野須川寝具の年度末は来年八月末でしたね」
「はい、そうです」
「香川君が責任者となり、来年八月末までに、唯一フランチャイズで残った北海道は別にして、総てのカシオペア販社を清算し、黒字店のみを野須川寝具産業カシオペア事業部の直営店にするのです」
「つまり、各販社の本部を解散させよ、と言うことなのですね。成るほど、それが出来ればスリムな身体になって、経費も合理化できますね」
「販社は本部を解体して清算しますが、黒字店とセールスは残し、大阪本社の直轄にしなければなりません。それに販社がこれまで出していた手形の発行を止めさせ、総て本社からの借入金一本にします。そこで君の仕事なのですが、カシオペア各販社への貸付金を、来年八月末には、二十億円以下に収まっているよう、各販社の資産売却を進めてほしいのです。二十億円の枠が意味する処は分かりますね」

「野須川寝具の所有する不動産の含み益(時価と簿価との差額)の合計です」
「そうです。野須川寝具のカシオペア事業の実情はどうやら失敗で、何十億もの不良資産を作っているのではないかと、仕入れ先が警戒し出しているようですね。野須川寝具に群を抜いて融資している当行を見る大蔵省の目も厳しくなるかもしれません。これまでは地価の値上がりが顕著で、それを見越して当行も不動産を多く所有する野須川寝具に融資して来たのですが、政府や日銀は、もうこれ以上は許さんと、地価を抑えに入りましたからね、年が明けたら、公定歩合は、六パーを超えそうですし、それでも効果がなければ、もっと上げるかもしれません。ですから二十億に達した土地の含み益が、今後も増えて行く保証はないのです。いいですか。販社への貸付金を絶対二十億以内に収めるのです。香川さん、出来ますか」
「後、八か月ですか。正直申し上げて、これ程の難しい仕事、私一人では無理です。山村頭取、私に強力なアシスタントを付けて下さるようにお願いします」
「いませんよ。香川君のような応用が利く優秀な人材につけられる人材など当行にはいません」
「いいえ、当行の人材を貸して下さいと言っているのではありません。カシオペア販社から人材を選ばせて下さい」
「しかしカシオペア販社の幹部なら、野須川俊平会長にも忠実の筈。これは仮定の話ですが、もしも会長と私の意見が違ったり、野須川寝具となみはや銀行の利害が違ったりしたら、野須川寝具や俊平会長を裏切って、なみはや銀行側に立ってくれる人がいるのですか」
「ひとり、うってつけの人材がいます」

「それは」
「野須川会長子息の龍平君です。今年の二月に東京で彼と会ってじっくり話をしました。国立大学で、経営学、法学、会計学を学び、法律や企業経営の知識が豊富なことは言うまでもありませんが、それより彼自身が訪販を体験していますから、セールスの心を掴む力は並はずれです。その証拠に彼が大東店の店長だった三ヶ月、総て全国一位をとりました」
「ほう、全国一位ですか、俊平さんとはまた違う才能の持ち主のようですね」
「なにしろ好都合なのは、彼は今、自分の努力を踏みにじった父親、それに彼を追い出そうとした重役たちも、憎くて仕方ないだろうと思うからです。彼をうまく誘えば、喜んで野須川寝具産業を敵に回し、なみはや銀行側に立って働いてくれる筈です」
「そううまく行けば良いのですが、成る程、ここは香川君の意見を取り入れるしかなさそうですね」
「そこで頭取にお願いがあります。今仰った政策を実行するには、龍平君をこちらの味方にしなければなりません。しかしながら野須川寝具の役員会は、この人事案には絶対反対して来る筈なのです」
「何故ですか、龍平君には、それ程人望が無いのですか」
「いいえ、その逆ですよ。彼は誰からも慕われています。元はと言えば俊平会長が悪いのですが、井川専務にも、坂本専務にも、牛山取締役にも、入社する時は、頑張って成果を出せば、将来は社長にもするなんて俊平氏は言い続けて来ました。ところが自分の息子を会社に入れました。その息子が、これまた優秀な男だったので、俊平氏も悩むことになり、また俊平氏子飼いの人たちも混乱し、龍平君を排除しようとの気運になりました。龍平君が東京で一億円もの不良資産を作ったのは、彼らには格好の排除

理由になったのです。だから今回の人事案は私が提案しても、他の全員が反対で廃案になってしまうに違いありません。そうなると有能な人材を、外の世界に逃がしてしまうことになるのです」
「それはいけませんね。そんな優秀な人材なら、俊平さんの跡継ぎになってもらいたいものですね」
「ですから、この人事案を頭取からの絶対命令として、野須川会長にご自身で指示してほしいのです」
「分かりました。今から俊平さんに電話しましょう。なみはや銀行のこれからの支援の条件だと言って、この人事案、無理でも聞いてもらいましょう」

昭和五十五年一月、役員会の反対を押し切って、元社員としてでも、会長の息子としてでもなく、これからカシオペア事業に大なたを振るおうとする、メインバンクのなみはや銀行からの出向者、財務担当の香川武彦常務の補佐役に、同銀行の山村頭取の指示に沿って、なにはや銀行側の一員として、龍平は晴れて取締役経理部長として野須川寝具産業に再入社した。
南関東販社の龍平のあること、ないことを監査報告書に書いて、龍平を野須川寝具グループから追放しようとした近藤監査チームに加わる人々は全員、真っ青になる。

 

第五章 和議倒産 その①に続く