第六章(誰もいなくなる)その10
(筆者が経営する羽曳野の霊園のバラ園を、モデルさんを入れて池田厚司氏が撮影)
龍平は我が耳を疑う。
「すみません、この電話、白鳥木工に架けているんですよね。あの明治時代からの老舗家具メーカーの」
「そうだよ、自分で来て、確かめたらよいだろう。こんなことしてられないから、切らしてもらうよ」
龍平の漠然とした不安が現実になった瞬間だ。
すぐ俊平に報告する。俊平も顔色を変え、呆然となった。
経験が豊富な俊平は、これは単なる企業倒産ではないだろうと、自分の推理を確認する為に、無給の秘書として使っていた長村に、白鳥木工がある兵庫県の奥地に出張させ、最寄りの法務局で、同社の土地建物の謄本を上げて来るよう指図した。
龍平も俊平と全く同じことを考えていた。
勿論龍平には、手形の不渡り事故にも、取り込み詐欺にも、遭遇した経験は無かったが、時代の変遷と共に赤字に転落し、体力を無くす「老舗企業」を食い物にする詐欺集団の活躍振りを、痛快に描いた清水一行の小説を熟読した知識からの想像である。
では龍平はどこでそんな小説を知ったのか。手形のパクリや、取り込み詐欺のノウハウ本のような清水一行の小説を、自分の部下に強制的に読ませていたのは、和議前年の秋にヤクザの竹中が、ミツバチマーヤ相模原店から大量のセールスと一緒に引き抜いた谷本本部長だった。訪販とは所詮顧客を洗脳すること、うまく顧客を騙すことだと、谷本は開き直っていたところがあり、部下に清水一行氏の小説から、顧客を騙す心理学をニュー渋谷店のセールスに学ばせようとしたのだ。
龍平の目的はそれとは違い、企業経営者である自分が騙されないようにすることだった。だが頭の中に上滑りに入った知識では、詐欺から我が身を守ることは出来なかった。
長村は出張先の法務局から、四つ橋の俊平に電話して来る。俊平や龍平の予想通り、老舗家具メーカーの白鳥木工は、会社の土地、建物のいずれも数ヶ月前に他人名義に変えられていた。
しかも土地建物の謄本は、所有権者を記載する「甲欄」だけで、担保設定を詳細に記載する「乙欄」は無かった。つまり債権者は仕入れ業者だけであって、それまで長年に渡って担保をとって白鳥木工に融資をしてきた銀行団は、新たに登場した第三者に貸金を立て替えてもらい、担保を外して、この企業から手を引いたことになる。破産になってから、物件を競売に懸けるよりは良いだろうと、債権をデイスカウントした銀行も多かっただろう。
営業成績がじり貧となり、赤字家具メーカーへの資金援助を、銀行団が渋りだすのを良いことに、言葉巧みに援助を申し入れた第三者が、そこまで多額の資金を出す理由は何なのか。これから述べるのは、あくまでも俊平や龍平の想像であって、白鳥木工の倒産がそうであったと決めつける証拠はない。
その目的は、一般的な取り込み詐欺の場合、融資した企業を援助したいが為ではなく、いっそ倒産に持ち込み、その直前に手形払いの条件で、旧来の仕入れ業者から可能な限りの仕入をさせて、その仕入商品はたたき売って資金を回収し、手形は不渡りにして会社を倒産させた後に、土地建物を売却して投資額の何倍かの利益を得ることである。
白鳥木工もこれと同じだと、俊平も龍平も想像していた。恐らくは、その悪徳集団によって丸裸にされ、夜逃げせねばならなかった白鳥木工の経営者家族に、夜逃げ先を世話し、旅費や若干の生活費を出したのも、この悪徳集団だったのだろうと。
二人の関心は、土地建物の新しい所有者に移った。
そんなあくどい悪徳集団は一体どこのどいつなのかと。
そしてそれこそが、パンチパーマ頭のあのヤクザが所属する犯罪組織なのだと。
だが、甲欄の名義人にあった名を、長村に電話で教えられ、俊平も龍平も我が耳を疑った。
なんとそれは、龍平がつい一週間前に訪れていたあの南森町の商事会社なのだ。
龍平のまぶたに自分を嘲笑う商事会社の若い経営者の顔が浮かんでくる。
野須川寝具の被害は、この大がかりな取り込み詐欺事件に便乗し、ほんの小遣い稼ぎをしようとした首謀者の小間使いが起こしたものだ。
そういう意味では、白鳥木工の取り込み詐欺の被害者にならなかったのは不幸中の幸いだった。
あのヤクザが行方不明になったのも、騙した野須川寝具から逃げただけではなく、親分の仕事に便乗して部下の内緒の小遣い稼ぎを知ることになる親分から逃げる目的もあったのだろうと龍平は想像した。
しかしこれらの筋書きは、あくまで俊平や龍平の想像に過ぎず、何の証拠もないことだった。
六百万円くらいの金額では、商品を騙し獲られたと世間に吹聴するのも恥ずかしい。だから俊平は、白鳥木工の債権者の一員として名乗りも上げなかった。
だが今の野須川寝具では、六百万円の入金が無くなったというのは、窮地に立つことである。
たちまち給与も年末の賞与も支払いに窮することになる。
龍平は資金を貸してくれと俊平に頭を下げたが、即座に断られた。
「賞与は昨年の冬から出していないが、未だ仕事が軌道に乗らず、残念ながら今年の冬の賞与も払えないとお前から言うのだ。そして給与は、儂とお前が辞退しよう。後はどこか仕入れ先に、支払いを一部待ってもらい、今月の資金繰りをすることだ」と俊平は指示をした。
また賞与を払ってやることができない悔しさで、龍平の頬に涙が一筋の線を引く。
翌朝、龍平は胃の激痛で布団から跳ね起きる。敷布団に座り込むと背骨にも激痛が走った。
ストレスによる胃潰瘍か、と思い、父親の勧めで、龍平は大阪駅前の西梅田病院で、外科を担当する副院長を訪ねた。
超音波検査によって、龍平の膵臓が二倍に腫れ上がっていることが判明する。
副院長は龍平に直ちに入院し、身体を絶対安静にしろと指示した。
「先生、治るまで何日間入院したら良いのですか」
「何日で治るのかと言ってもね、今日の医学では、膵臓に効く薬は無いんだよ」
「先生、それなら入院は出来ません。私が入院したら、工場を稼働させる仕事をとってくる人間が、私以外誰もおりませんので、うちの従業員もたちまち給与が貰えなくなるのです。私の代わりは誰もいません。ですから私は身体を無理させず、大事に使いながら、仕事をするしかないのです。正月休みだけは自宅で休むことにします。もしかしたらその間に炎症がひくかもしれませんし」
「馬鹿も休み休みに言いなさい。君は膵臓の病の怖さを知らんから、そんな呑気なことを言うんだ。寝ている間に治るようなものではない。長引かせたら、それこそ命取りだぞ。一体、俊平さんは何をしているんだ。自分は何もせず、息子さんに食わしてもらっているのかい。兎に角、君は即入院だよ」
「でも先生は、私の炎症を取り除く方法はご存じない」
「そりゃそうだが」
「だったら、仕事を続けさせて下さい。先生が絶対安静だと言っているのに、聞かない患者なのだから、何が起こっても先生の責任ではありません」
二倍に腫れ上がった膵臓が痛むのではなく、腫れ上がった膵臓に押される周囲の胃や背中が痛むのである。
会社の信用不安に繋がる噂が拡がらないように病気のことは社外秘にして、年末まで龍平は仕事を続け、正月休みに入ってやっと身体を休めた。
妻の智代は、龍平が仕事に出るのを必死に止めるのだった。家族が泣いて頼むのも、それを聞ける余裕が、龍平にはなかった。
智代には心配させないよう、仕事のストレスから来た内臓の腫れであって、それさえ解消したら、自然に治ってしまう一過性の痛みだと説明していた。
その頃、流行(はや)る健康食品があった。その健康食品とは、菌を買って来て、自宅で栽培するヨーグルトキノコだ。菌の作用でキノコが真っ白なヨーグルトに変わるのだ。それを食べたら人間は、その抗ストレス効果で、心身共に良好になると発売業者は宣伝していた。智代は藁をもつかむかのように、夫のストレスを解消しようと、ヨーグルトキノコを栽培し始め、そんなものは気休めだと嫌がる龍平に、毎朝無理矢理食べさせた。
しかしそれも何たる効果も見られず、龍平は一月中、痛みを堪えながら会社に出勤し続ける。
「ここで命を終わらす訳には行かない、創業三十五年を来年に控える野須川寝具の再建の夢が成就するまでは」と自分に言い聞かせ、遂には神にまで祈る毎日だった。
ある日、龍平自身に積立生保をかけていた大手生保会社のセールス嬢が血相を変えてやって来る。
どこで聞いたのか、龍平が詐欺にあったことも、今そのストレスで膵臓炎を患っていることもそのセールス嬢は知っていた。
「龍平さん、昨年末は資金繰りが大変だったようですね。それならあの積立保険は潰しましょう。今だったら積立られた全額をお振り込みできますよ」
何のことはない、この生保会社は、龍平が膵臓炎をこじらして、それこそ死亡に直結する膵臓癌にでもなることを恐れていたのだ。
契約とは相互の意志で結ばれるもの、一方が解約したいと言うなら、嫌だと言っても仕方がない。因みに、その大手生保会社は、以後も龍平には生保に加入させることを拒否し続けた。
一月二十四日土曜日、龍平は名古屋の寝具問屋、中村商事へ集金に出張する。なみはや銀行が手形の割引(期日前に立て替えすること)を許可する会社だった。野須川寝具が帝都紡績のアクリル使いの毛布を全国に卸していた時は、この会社が名古屋の代理店だった。三百数十万の集金額の内、三百万円の手形割引を、事前になみはや銀行の承認をとって、商手割引によって得た資金を一月の給与払いの一部に充てる計画だった。
その日は地方出張から帰って来る日なので、集金に来るなら、遅い目に来いと社長に言われ、夕方の五時前に行ってみると、経理部に社長からのメッセージが入っていて「今日は帰りが予定より遅れそうだから、日にちを改めてくれるか、それともどうしても今日中に集金したいと言うなら、すぐ近くにサウナ風呂があるから、そこでしばらく待っていてくれ」とのことだった。この社長のサウナ好きは定評があった。
だが指定されたスーパー銭湯で、一時間待っても、二時間待っても、その社長はやって来ない。そんなにサウナに繰り返し入ってはおられず、スチームが充満した浴室で、椅子に座って、ただぼーっと人が入浴するのを眺めていた。
社長がサウナに来たのは、四時間後の九時過ぎだった。十時に二人で会社に戻り、誰もいない会社で、社長は一人で手形を作ってくれた。
その日は名古屋泊まりで、翌日曜日朝の新幹線で自宅に戻る。
自宅に帰った後、龍平は布団を敷いてもらって、死んだように眠り続けた。
夕方になって目を覚ました龍平は、はっと自分の変化に気づいた。胃の痛みも、背中の痛みも、不思議に消えていた。
月曜日、西梅田病院に行ってみた。副院長が目を丸くして驚くのだ。龍平の膵臓から腫れは完全に引いていたからだ。
ヨーグルトキノコが効いたのか、長時間ぼうっと裸で風呂場にいたことが良かったのか、それとも龍平自身の生への執着心が余程強かったのか、何故薬も治療法もない「膵臓炎」が治ったのか、龍平にも、医者にも分からなかった。
第六章 誰もいなくなる その⑪に続く