第二章(個別訪問セールス)その7
(昭和四十三年三月の大学のワンゲル部春合宿。屋久島宮之浦岳永田岳。中段向かって左が筆者)
年が明け、昭和四十三年になった。
扶桑紡績から支援を受けた一億八千万円の返済の最後の年である。京都山本が肌フトンをコンフォーター・スタイルから、徐々に多針キルト・スタイルに変更してくれたから、投資した多針キルト機五台分の生産能力の上限である月産二万枚を目指して肌フトンの生産は大忙しだった。しかし京都山本のキルト肌フトンの販売量が今後更に増えたらどうするのか、それを考えると俊平は頭が痛かった。
キルテイング機はまだ追加購入が可能だが、その前に工場そのものを改造しなければならない。製綿機も旧来の設備に樹脂噴霧装置を付けただけの能率の悪いものだった。できればキルト用の不織布製造プラントを入れたかった。プラントは一億円はするはだろうが、それだけなら銀行に支援を頼めないものでもない。しかしそれも製綿工場の建物から造り直さなければならなかった。これ以上の増産には何億(現在の十億円以上)もの金が足りないのである。
俊平は、扶桑紡績への返済さえなければと唇を噛んだ。
昭和四十三年と言えば、龍平は大学三年生となり、四月から神戸の六甲山麓で下宿生活を始め、クラブの執行部員、合宿のリーダーとして活躍した年である。
十一月四日月曜日、いつも通り、俊平は朝八時に本社の会議室に全幹部を集めて、前月の決算会議を済ませ、その決算書を持って、本町の扶桑紡績の浜岡常務を訪ねるのだった。
「野須川さん、君のところはいつもきっちりしているから安心だよ。我が社は電子計算機を使って決算をしているのに、月次決算を出すだけで五日も懸かるのだからね。本当に君のところは凄い」
「いいえ、月次決算を怠ったから、会社が潰れかけたのですから、あの時から月初めの二日間で必ず月次決算を済ませると決めたのです」
「ここまでよく立ち直ったよ。君は完全に寝具メーカーになった」
「本当にお世話になりました。常務がいらっしゃらなかったら、あの時に私は終わっていましたよ」
「何をおっしゃる。いよいよ返済も後二回、残金も一千万円だね」
「お陰様で、なんとかここまでやって来れました」
「実はね、僕も来年の四月から子会社行きなのですよ。それで一言君に言っておきたいのは、この決算の繰損のことだ。まだ二千万円ほどあるね、それ何か工夫して消して欲しいのです、融資の時の約束でしたね」
「考えてみます。確かにそうするとお約束しましたから」
会社に戻った俊平は考えた。スーパー閉店損失に、寝具事業を一年任せた森本が残した数千万もの損失を合わせて、五年前には一億円以上もあった損失が、それ以後相当減少したものの、それでもまだ二千万円ほど残った繰越損失をゼロにする方法がないかと。
考えあぐねた結果、この六月に開発調整区域となって誰に売ることもできなくなった南河内郡丹南町の山林の、簿価に二千万円を載せて、俊平個人が会社から買うことにしたのだ。かくして野須川商店はなんとか黒字会社になった。
丁度そんな頃、太平洋商事保険部の高松が野須川商店にやって来た。用件は利益保険加入の薦めだ。
「高松さんよ、何が利益保険だ、こんなに利益が上がらない会社では保険の掛けようがないだろう」
「野須川社長、その利益じゃなくて、御社は製造企業だから、工業簿記的な考えで決算されている筈、その生産付加価値に掛ける保険なのですよ」
「生産付加価値に掛ける保険? それじゃ工場労務費とか、製造経費に掛ける保険ということか?」
「そうです、社長のところでは工員だけで百名はいらっしゃるでしょ。もし工場が火事になったら、建物は火災保険で復旧できるでしょうが、その間の工員給与は誰が払うのですか?」
「高松さん、入るよ。その保険に」
「ありがとうございます、それじゃあ、今日付けで契約してもらえますね、保険料は火災保険より桁違いに上がります」
俊平は経理の山田部長を呼んで、保険料をすぐに払えと命じたが、今日突然言われてもそんな金はないと山田は拒絶した。
「山田部長、今日は契約だけで良いのです。保険料は、いつでも都合の良い時に振り込んでおいて下さい」と高松は笑った。
俊平が利益保険の契約を了承して五日後の夜だった。俊平はお客の接待で北新地にいた。龍平は神戸の下宿でくつろいでいた。それぞれに電話で緊急連絡が入った。野須川商店の本社工場から出火だ。それを聞いても、俊平にも、龍平にも、どうすることも出来ない。
寝具工場の火事は一晩続き、工場の棟は全焼だった。この火事は翌朝の新聞紙面を賑わせる。
はっと俊平は太平洋商事が持ってきた利益保険を思い出し、朝早くから血相変えてやって来た山田に保険料の支払いを確認する。
俊平は真っ青になる。山田はそんな資金の余裕がないからと、まだ払ってなかったのだ。
「もうお前はクビだ!」と俊平はヒステリックに山田をなじりながら、泣きそうになった。
噂をすれば影か、太平洋商事保険部の高松から火事見舞いの電話が入る。
「おお、高松さんか、ありがとう、工場は全焼だが、本社ビルには延焼せず、寮の子たちも無事だった。しかしなあ、高松さん、俺はあほや。あんなに良い保険を勧められながら、うちの山田が保険料を
払ってなかったとは。本当に高松さん、君には心から詫びを言うよ」
「ちょっと待って下さい、野須川社長。社長はちゃんと利益保険に入っておられるのですよ。だって契約いただいたあの日に、太平洋商事保険部から保険会社にちゃんと保険料を払ってあったのですから」
「なんだって、高松さん、それほんまの話か!」
この火事は事件になった。
保険に入った途端に工場が火事だ。会社側による付け火の疑いがあると、俊平たちは警察に調べられる。だから保険会社も保険金を払うのを渋った。
この局面を救ったのが、俊平を弁護する証言をした太平洋商事保険部だ。火事見舞いに架けた電話の会話の内容が、会社の付け火ではなかったという証拠になった。
翌年の春になって、ちょうど龍平が太平洋商事の就職の内定をもらった時だが、ようやく保険会社からの火災保険も入金になり、利益保険の支払いも始まった。
それまで歯を食いしばって手形を落とし、銀行や扶桑紡績への返済をして、従業員の給与を払って、資金繰りを繋いだ俊平の血の滲む努力が、赤字に苦しんでいたから、資金繰りに苦しんでいたから、付け火をしたのだろうなどとの世間の噂話は、結局根も葉もないものだったと、工場の一角に煙草の吸い殻が数本あったが、どうやらこちらが原因の様だと、警察も、保険会社も納得したのである。
この火事が、その保険金が、皮肉にもその後の野須川商店を奇跡的に、日本一の生産量を誇る寝具メーカーへと押し上げるのだ。
第二章 個別訪問セールス その⑧に続く