第一章(家族、夫婦の絆)その11

(大学卒業の四ヶ月前、昭和四十四年十二月、永年の交際女性が嫁に行くことになって、クラブの周年事業で信州大谷原に建設した山小屋に籠もって、消沈した心を癒そうとした筆者を、事情を知る同行の友人が撮影)

「あなたは本当に自分勝手ね、強引に東京に来られても、私はESSで忙しく、今日は話をしている時間がないのよ」と、一年ぶりの再会だというのに、不機嫌顔でそっけない態度の淳子に龍平は驚くのだ。
来月(六月)の最後の一週間、関西六大学のESS部とデイベートするために、遠征することになって、今はその準備で忙しいから勘弁してほしいと、龍平とは関西遠征合宿の前後に、奈良か神戸で、ゆっくりと話がしたいと淳子は言うのだった。
「じゃ、スケジュールが決まったら知らせてくれるね、六月三十日が日曜日だから、合宿が終わっていたら、奈良の僕の家にも来て、父や母に会ってほしい、それとも一週間前の日曜でも」
「分かった、そうするわ、詳しくはまた手紙で」との淳子の言葉を、言葉通りに受けた龍平は、小躍りして喜び、ひとり東京駅から昼間の新幹線で神戸に戻った。


クラブ活動で忙しいのは淳子に限ったことではない。龍平もワンダーフォーゲル部の三年生部員になって、クラブを統率する執行部の一員となり、部費を管理する会計職と、周年事業の会計職を兼務していたのだ。しかも同じ学部、同じゼミだったことで、いつも主将の傍にいて、業務を補佐する参謀役でもあった。
創立十周年に当たる年で、記念事業として信州鹿島大谷原に山小屋を二年がかりで建設することになっていた。往時の金で二百万円(五千円稼ぐのに六日間力仕事のアルバイトを要した時代だから、現在では三千万円くらいか)という建設資金を、現役部員から、OB会員から集めるのも、龍平の仕事なのである。
しかも選挙で選ばれた八名の執行部員は、夏や春の大型合宿の班を引率するリーダーでもあった。二週間という長い時間、世間に隔絶された奥深いの山中で、リーダーは十数名の班員にあらゆる指示を出して合宿の目的を完遂する。班員の総ての行動が、リーダーの顎ひとつでコントロールされる訳だ。
リーダーの地位にあるだけで、それが許されるのではなく、班員からリーダーと認められ、尊敬に値する人物だと慕われるから、それができるのであろう。企業経営者となろうとする龍平は、創業者の息子だからと言って経営者になれる訳ではないと認識していたから、合宿リーダーを体験できることは有り難かった。
淳子から手紙が届いた。ESS部の宿泊場所には触れているが、その詳しいスケジュールも、肝心の龍平と逢う日取りも書かれてはいなかった。龍平はその手紙の意味するところを彼なりに理解する。
淳子を両親に引き合わせ、大学卒業と同時に二人を結婚へと運びたい為、少なくとも今は婚約関係に持ち込みたい龍平の意志を、淳子はきっぱり拒否したようだ。

・・・それならそれでよい、だったらせめて二人の関係の最後を締めくくるため、会って直接話をしなければならない・・・
それ以上淳子から連絡がないまま、六月二十八日金曜日になった。夏合宿前で連日連夜クラブのミーテイングが続いたが、その日の夜も、周年事業の会議があって、学生会館の一室で、夏合宿後に行われる山小屋の基礎工事ワークの計画を、部員全員に発表する日だった。龍平はその重要な会議を途中で抜け出し、宝塚の淳子の大学のESS部員が宿泊するホテルへと急ぐ。
ホテルにはまだ淳子は帰っていなかった。遠征合宿が終了し、今夜はその打ち上げで帰りは遅いとホテルに聞かされ、会うのを諦め、明日朝、龍平の大学のキャンパスで会おうと置き手紙し、キャンパス内に彼女が入場できるよう、大学のバッジを襟から外してホテルに預けて神戸に戻る。
六月二十九日、土曜日、二人は六甲山麓の大学の経営学部学舎の前で逢った。淳子は今回のクラブの関西遠征の話をだらだらと続け、なかなか本題に入ろうとしない。
やがて二人は三ノ宮に出て、商店街を歩いたり、港を見たりして、とりとめない世間話を続けていた。
最後に龍平から本題を切り出した。二人の付き合いは今日限りにするのだねと、淳子の意志を確認する。淳子はそこで、わーっと泣き出した。
「違うの、私はそんなつもりではないのよ、あなたにはずっと友達でいてほしいの」
友達! 淳子と友達のままでいるのなら、いっそ今別れた方が良いとさえ龍平は思った。
しかし淳子からの懇願を聞くしかなく、文通はそのまま続けようと言いながら、龍平の淳子への想いは冷めて行く。そして龍平の恋の対象は桂綾子に変わった。

翌昭和四十四年一月、東京大学の時計台が、反日共系全学連の学生たちに占拠される事件が発生した。全国にテレビ中継される中、機動隊が時計台の封鎖を実力で解除し、学生たちを全員捕縛する。これで、こう言った大学紛争はこれで収まったと安心するのも束の間、それはプロローグに過ぎず、それから燎原の火の如く、学園紛争の嵐は全国の大学に拡がった。
龍平の大学も例外ではなく、春の入学試験が終わると、ゲバ(ルト)棒を持ち、ヘルメットを被った過激学生らによって、学舎が一斉に封鎖される。ワンダーフォーゲル部の春合宿も中止になった。封鎖は何ヶ月も続き、前期の授業が何時始まるのか、誰にも分からない。
そんな混乱の中、龍平は翌春の就職先を父親に相談して、四大商社のひとつ、また野須川商店の取引先でもある、太平洋商事に決めた。そこで父親に、今度は結婚相手として綾子を紹介したいと言い出すのだが、龍平を自分の後継者だと強く意識するようになって、商社のOLには偏見を持っていた俊平は、綾子に会うのは断固拒否した。
夏休みには山小屋が完成する。龍平は夏休み中、スト破り組に入って活動した。彼らの数がスト支持の学生に上回る様になり、封鎖は解除され、九月からやっと前期が始まるのだ。
十二月の初め、前期が終わり、龍平は卒業に必要な単位て取得してほっとしたところで、久しぶりに綾子に会った。学園前のレストランだ。
綾子は重い口を開いて、龍平に告げたのは、縁談が纏まったから、二人で逢うのは今夜きりにしようということだった。
龍平には、是非もなしだった。交際している間、綾子の気持ちを察しながら、親の同意なしでは求婚できない龍平だったから。

往時は世間の垢に染まらない二十代前半の内に結婚したいと考える綾子の様な女性が一般的で、大学を出たら、自分の持てる能力を活かして自由に羽ばたきたいと考える淳子の様な女性は少数派であった。

 

(第一章 家族、夫婦の絆⑫に続く)