第八章(裁かれる者たち)その12

(筆者が経営する霊園の販促写真。ピクニック気分で墓参が出来る霊園だとPRしたい)

龍平が地下鉄御堂筋線の北端のターミナル、千里中央駅の改札を出て駅前の道路を見回しても、それらしき車は無かった。しばらくすると派手な赤いポルシエがやって来る。淑子は運転席から外に出て、龍平の姿を探し、見つけると大きく手を振って合図をした。
「ひさしぶりね、野須川君」と馴れ馴れしい淑子の言い方に、龍平は戸惑ったが、考えてみれば、共に光明の家大阪府繁栄経営者会の同志だったのだ。淑子は龍平を助手席に乗せると、いきなりアクセルを踏んだ。
「どこへ行くのですか」
「黙って私についてきて。夕方まで時間はいいんでしょ」
淑子は行き先を龍平には告げたくないのかもしれない。それを言えば、龍平がここで逃げ出すと心配しているかのか。やはり、女ひとりでは、龍平に文句が付け憎くて、大きな声が出せる強面の男がいるところに連れて行かれるのだろうかと龍平は思った。
龍平が知りたかったのは、野須川寝具が大村商店に買掛金の一千万円を払ったのと、大村社長が亡くなったのと、どちらが先なのかと言うことだ。
龍平はできれば、自分が大村社長を心労の末に殺したのだとは思いたくない。
しかしもしもあの支払いの遅れで、ほんとうに大村社長が心労で倒れて入院し、そのまま亡くなったのであれば、彼女の怒りは想像を遙かに超えるものであろう。

淑子は黙って運転を続ける。淑子が口をつぐんでハンドルを握っている以上、龍平も話しかけることはできない。
車は吹田市内のとある集会所に着いた。
室内には五名くらいの人がいた。淑子の姿に気づいて一人、六十代の紳士が側に駆け寄って来る。
「大村さん、今日はどうされたんですか。こんなに早く。まだ一時間前ですよ」
それには返事もせず、淑子は龍平を振り返って、やっと口を開いた。
「野須川君、行き先も言わずに連れて来てしまってご免。ここは繁栄経営者会の吹田支部の例会なのよ。こちらが吹田支部の事務長の竹山さん。竹山事務長、こちらは最近入会したばかりの野須川社長。羽毛布団のメーカーなのよ。羽毛布団が要る時は彼に言ってね」
龍平はほっとした。強面の男たちに囲まれて、彼女の怒りをぶつけられるのではなかったようだ。
「竹山さんですか。野須川龍平です。京都の八幡で寝具を製造しています。事務所は四ツ橋です。まだ光明の家の教えについては勉強途上です。だから何も解っておりませんが、宜しくご指導下さい」
龍平が挨拶すると、竹山は満面の笑顔で握手を求めて来た。
「野須川龍平さんとおっしゃるのですか。今日は遠いところ、よくいらっしゃいました。ありがとうございます」
淑子が割って入った。
「野須川君と竹山事務長は親子くらい歳が違うと思うけれど、お二人ともとっても真面目で誠実なお人柄なので、きっと良い友達になれるんじゃないかと引き合わせたのよ」

「大村さん、ありがとうございます」と無邪気に喜ぶ竹山の姿から、龍平は遠い昔、中学時代に通ったキリスト教会の日曜礼拝にいた牧師さんを思い出していた。竹山の雰囲気はあの牧師さんと同じ臭いがした。もしかしたら、竹山は信仰心の篤いキリスト教徒ではないのかと龍平は思ったりもする。
「竹山事務長、今日は何人集めてるの」
「大村さんからいつもそれを責められますので、今月はなんとか三十人集めました」
「三十人集めたらグッド!です。それだけ集められるのは、大阪ではこちらの支部と、私の北支部、それに中央支部の三支部くらいでしょう。野須川社長、来週水曜日の夜は、北支部の例会に付き合ってね」
龍平はぎょっとした。そんなに頻繁に淑子に付き合わなければならないのか、これも自分が彼女の夫をあの世に送ったのだから、仕方ないのかと変に納得してしまう龍平だった。
三人で話し込む間に、人がどんどん集まって、例会が始まる三時前には三十人を超える人になった。
竹山は龍平に支部長を紹介する。ここではどんな役割の人間でも、自分の生活費を稼いだり、自分の事業欲を満たす仕事をもっていて、繁栄経営者会で与えられた仕事は、ボランテイアでしているのだ。吹田支部の支部長は、宗教団体の光明の家では名高い講師だそうで、教祖高橋がこの教団を作り上げてきた時代に教団の青年会の一員として活躍してきたという、骨髄にも高橋の生命哲学が染み込んでいると言われる特別な信徒であった。
龍平には吹田支部の二時間弱の例会の雰囲気が、かつて自分が通ったキリスト教会の日曜礼拝にそっくりだと感じた。

それを感想として竹山に話すと、自分はキリスト教徒で日曜礼拝に今も通う身だと竹山はこっそり白状した。

翌週は淑子に誘われ、北支部の例会に参加した。会場は大阪府繁栄経営者会の会頭の会社の会議室で開催された。会頭は大阪で中堅の化学会社の代表者である。
ここでも小さな会議室に、足の踏み場もないくらい人が入った。余程参加人数を問題にする会なのか、「今三十名を超えました」という役の人らしい男が会頭に報告する声が聞こえた。淑子は北支部の支部長を龍平に紹介した。支部長は北区の会社ではなく、なぜか遠い住之江区の中小企業の経営者だった。
淑子はここでは龍平を北支部に入るよう勧誘した。龍平は戸惑った。北支部に入って何かお役が回って来ても、そんな奉仕活動が出来る余裕は全く無い。
支部長の男は「何か相談事があったら、いつでも僕に電話して下さい」と、信仰人らしく、いかにも親切そうな素振りを見せる。
しかし龍平には、そんな親切心が総て嘘っぽく見えるのだ。これまでの龍平の周りに生きていた様々な人々、誰もが自分を助けるので精一杯だった。他人の為に動く余裕はなかった。
例会で話をする講師は、他人に先に与えたら、後で自分に還って来るとか、繁栄経営者会のお役を一所懸命にしていたら、問題がひとりでに解決したという、いかにも宗教の世界らしきことを語っていた。耳障りの良い話である。しかし龍平は懐疑的にしか聞けなかった。

北支部の例会に集まる人々の中には胡散臭く見える人物もいる。保険会社に勤める男は「また改めてお伺いいたします」などと言いながら、自分の名刺を当日の参加者全員に配っていた。龍平同様、この日初めて来たという、淀川区で幼稚園を経営する経営者夫妻がいた。彼らも自分の幼稚園の宣伝に熱心だった。
この夫婦が語る話を聞いていると、教祖高橋は世界が東西に分裂する敗戦後の日本で、過激な左翼思想の労働組合や、GHQの中の左派勢力の影響を受け、日本が左傾化しないように教団を揚げて抵抗してきた話はよく知られているが、この二人は教祖高橋の光明哲学に影響を受けたと言うより、反左翼というだけで一致して来ているのではないかと龍平は怪しんでいた。
明くる日、支部入会も検討してみようと思って、昨日出会った北支部の支部長に電話してみる。
「野須川さんって、どちらの野須川さんでしたっけ」と工場の喧噪の中で、この男は昨夜に自分が会った人の名も、自分が言ったことも忘れている。
龍平が繁栄経営者会のことをじっくり聞きたいから、住之江区の会社を訪問しても良いかと尋ねてみた。
「ちょっと待って下さい。野須川さんがこの会に自分の繁栄を賭けておられる、その熱いお気持ちは分かりますが、私の職場は町工場に過ぎず、せっかくいらっしゃっても、お構いする余裕がありません。ですからあの会のことで、私にお話しがあるのなら、例会の時にしてほしいのです。がっかりさせたと思うのですが、勘弁願います」と慌ただしく男は電話を切った。
これではいくら淑子に勧められようが、龍平は北支部に入る気にはなれなかった。

三月も、龍平は淑子に連れられ、繁栄経営者会の吹田支部と北支部の例会を訪問して、光明の家の宗教哲学を学んでいた。あの生命保険会社の男も、あの幼稚園経営者夫妻も、あれ以来、会うことはなかった。
その頃、会長の俊平は、関西石材の坂下社長や本田とともに、四国の香川県高松市にいた。売りに出ていた宗教法人を買う為である。最終的に霊園を自分のものにする関西石材の坂下社長に宗教法人が必要なのだ。しかし申請段階から宗教法人が申請者として必要なのだからと、先ずは野須川寝具で購入いただきたいと坂下は言うのだ。「霊園事業が許認可になれば、土地代とともに、宗教法人も一緒に買い戻させていただきますよ」と冷やかに笑った。
まだ宗教法人の売買価格はバブルのままだった。売りに出ていた宗教法人香川大社の価格は四千五百万円。俊平には逆立ちしても作れない金である。
しかし俊平は泣き言は言わなかった。
「それじゃあ、三人で割り勘にしましょうや。一千五百万円ずつでどうです。まあ最後には関西石材で買っていただく宗教法人ですから」
坂下も、本田も、俊平には反論出来なかった。
「じゃあ、とりあえず、そうしましょう」と言うことで、宗教法人を申請して許可をとった宗教家に、それぞれの会社から一千五百万ずつ振り込まれた。
坂下と本田は、支払いが完了する頃には大阪に戻っていた。
後は代表役員教主となる俊平だけが残って、神道の教えと教主教育をこの創始者から受けることになった。

数日して俊平は一人、大阪に戻って来たが、宗教法人香川大社の代表役員として登記されただけで、四千五百万円も払いながら、その動産も、不動産も、継承できず、それらは総て創始者の個人財産に戻った。もっとも不動産には何億という多額の担保がついていたから、もらった方が大変なことになりそうだ。

平成三年三月、この頃、世間は異口同音、「バブルが弾けた!」と言い出すのだ。土地価格の低落は顕著になった。労働者不足は何時の間にか消えている。高級飲食店、高級ブランド品の店の倒産が目立つようになった。バブルが変えた街の景色はもうひとつある。駅に近い大きな交差点には、無数のサラ金の看板が目立つようになった。それとともに多重債務者という言葉が新聞に繰り返し掲載される。多重債務者になった挙げ句に、電車に飛びこんで自殺する事件が後を絶たなくなった。交通事故の死者数より、自殺者の方が多いではないか。
龍平もまたその多重債務者だ。まだ借金は一千万円あった。問題はカードローン各社が龍平への信用枠を撤廃したことだ。
龍平は三社合わせて六百万円の信用枠があった。昨年、東京の坪井にせがまれ、カードローンの枠一杯に借入を戻して三百万を返済したのは良かったが、それがローン会社を刺激して、龍平を信用調査させ、カードローンだけで六百万円も借りていることが明るみに出た途端、各社は今後は返済だけを受け付けますという態度に出て来た。
高級中古自動車を買ったことにして組んでいた信販と同様、カードローンまで残高が減少する一方となり、その分、勢いサラ金が増えだした。
それもテレビで宣伝している大手の会社ではなく、明らかに暴力団が裏で経営しているような街の小さなサラ金まで、龍平の取引先に加わった。
それでも龍平はギブアップは出来ない。
何時の日か、絶対にこれをゼロにしてやる、と唇を噛みながら、龍平は生きなければならなかった。

第八章 裁かれる者たち その⑬に続く