第三章(東京と大阪)その5

(写真は東武東上線大山駅から板橋区役所へ向かう商店街の現在の風景)

昭和五十二年九月一日木曜の朝を迎えた。龍平は今日と明日は朝礼の後、社員と営業に出るのは止め、今朝の新聞に掲載した求人広告の応募者の対応と、本日から勤務する事務員の梅木美智子の指導に当たることにしていた。龍平は一日も早く、寝具製造会社の従業員に頼らず、プロのセールスだけで南関東販社を固めたかった。
「大山君、新聞の反響はあったのかな? 今朝は何本か、電話が架かっていたようだが」
「龍平さんが朝礼をされている間、鳴っていた電話は、全部求人の問い合わせです。いやあ、良いスタートです。今日は一日面接に明け暮れるかもしれません、神様は、この四月からの涙ぐましい龍平さんの奮闘の努力をちゃんと見ておられたのでしょうね」
大山が使った「神」という言葉に、龍平は正直少し引っかかったが、大山には反論せず、自分の運の強さがここでも証明された、と内心ほくそ笑むのだった。

その日の面接者は十五名、明くる日も十名がやって来た。初任給二十五万円が効いたのかもしれない。
龍平が驚くのは、応募者の数の多さもあるが、商品こそ違うが、訪販の経験者までが複数いたことだ。
その中で、池上と小野原は、共に大手生命保険の飛び込みセールスの経験者だった。彼らは既にきちんとした研修を受けた身なので、商品知識さえ身に付けられれば、営業のノウハウを教えてもらおうとは思わないと、自分たちが、高級寝装品のカシオペアに相応しい研修を新人にしようではないかと、頼もしいことを言うのだ。池上は独身者で、小野原は妻帯者だった。
龍平は二日間で彼ら二人を含め、訪販セールスができそうな人間を選んで、十名を採用した。営業車は、七月に引き取った一台を含め、三台の在庫だったが、八月末の納車約束で、更に三台を大阪本社に注文していたから、本部長の牛山は、東京の龍平が気が狂ったかと驚いていたことだろう。
九月三日土曜日、朝目を覚ますと、中山の智代の実家から、今日あたり生まれそうだ、と連絡が入る。
いよいよ、自分も人の子の親になるのか、いや仕事の上でも、十数名も従業員を雇用したからには、彼らにもそれぞれ家族がいて、これからは実に多くの人の暮らしや人生を看ていかなければならないのだ、と龍平は自分の責任の重さを噛みしめるのだった。
夕方、智代の父親から、生まれそうだから仕事が終わり次第、中山に来るよう連絡して来る。帰社した二台の車輌売上を確認すると、龍平は予備の営業車で店を飛び出し、北池袋から高速に入って、船橋市の中山に向かった。
途中、首都高速で後楽園の横を通過する時、往時の営業車には贅沢だとエアコンは付けず、夏は窓を全開して走るのだが、球場から凄い歓声が聞こえ、球場の上空に漏れる証明の光も一際明るかった。

歓声は止まることを知らない。ただのロングヒットやホームランではなさそうだ。もしかしたらと、慌てて車のラジオのスイッチを入れる。巨人対ヤクルト戦の三回の裏、二回目の打席に立った王貞治選手が一本足打法で、ホームラン七百五十六本という世界記録を達成したのだ。午後七時十分だった。
龍平は中山で義父を車に乗せ、智代が入院する習志野の病院へと急いだ。二人が病院に着いた時は、既に龍平と智代の子は生まれていた。女の子だ。
龍平は自分の命を分けた子供を授かったことを素直に神に感謝するのだった。その時、ふと大山の言葉を思い出し、ひとり笑いした。
龍平は長女に雅代と名を付ける。
智代が雅代を連れて、実家に戻った数日後、俊平夫妻が智代の出産を祝う為に中山を訪問した。
俊平が、本部長の牛山を連れ、板橋の営業所にやって来たのは、九月の中旬だ。カシオペア関西販社が軌道に乗り、江坂への出店が決まって、カシオペア事業の全国展開も順調に進む中、それらを纏める本社カシオペア事業部として、次は南関東の立て直しに入ろうと、二人揃ってやって来たのだ。都心でホテルを予約し、泊まり予定の出張だった。
俊平の東京案内役でもある牛山は、化粧工事がなされた事務所や、電飾看板の設置を見て驚き、個人別成績が書かれた掲示板を見ては、知らない営業が多数いることに驚き、なによりも女子事務員がいることに仰天して顔色を失った。龍平が何一つ事前に申請書を本社にファックスしていなかったからだ。

しかし俊平は東京にひとり置かれていた龍平の苦境を察したのか、それは咎めなかった。
ただ「今月の売上目標はいくらだ?」とだけ尋ねる。
「今月は、一千万円絶対にやります」
俊平は驚いた顔で「いきなり二倍以上の目標を掲げたか。なるほどかなり経費を使ったから、そのくらいの目標が必要だという訳か。それでいくら利益が出る?」
「はい、百万は出します」
「今日で九月は半分終わった、今累計でいくらに成っている。確か目標の半分も行っていない筈だ」
「はい、昨日までで、三百万円強です」
「そんな状態で、月末に一千万円になるのか?」
「先ほど各車輌から今日の売上報告がありました。今日は六十万を超えました」
「ほう、日売りが六十万を超えたか?」
「ここ三日、連日六十万円を超えています。今日から十三営業日あるので、残る七百万円はそんなに高いハードルではありません」
そんな会話の中、今日は大阪の野須川社長の来訪があるから、早く帰社しろと言っていたので、六台の営業車輌がぞくぞくと戻り出した。
俊平は帰って来る営業ひとりひとりを呼び止め、声をかける。一騎当千の兵者揃いだ。俊平の顔は満面の笑みでほころんだ。
中でも池上と小野原の二名には俊平も好印象を持った。

「ようし、全員、今から俺に付いて来い。皆の頑張りに報いる為に俺がご馳走しよう、おい龍平、近くにどんなレストランがある?」
「川越街道にあるファミレスが一番近いかと」
「ファミレスか、まあ良いだろう。みんな好きなものを注文してくれ!」と俊平が声を掛けると、
一斉に「おー」と事務所に歓喜の声が響き渡った。
俊平は龍平を振り返り、小声で囁く。
「龍平よ、明日は必ず申請書を送っておけよ。以後事後申請は罰金をとるからな」
と龍平の肩をたたいて、営業マンたちと部屋を出て行った。龍平は慌てて後を追う。

数日後、龍平の元の上司である本社の長村専務から、南関東販社の社内では、今後龍平を常務取締役と呼ぶよう、そして板橋店の名称も池袋店と変更するよう徹底されたいと、そして九月付けで東京池袋店を野須川寝具産業の東京支店として登記し、龍平を牛山取締役よりも地位が上の取締役東京支店長に任ずるとする俊平社長の意向が役員会で了承されたと連絡して来た。

第三章 東京と大阪 その⑥に続く