第七章(終わりなき闇夜)その3

(筆者の前の会社の事務所があった付近の長堀通り。中央分離帯には下の地下街に光を当てる窓や、換気口が並ぶ)

龍平があやめ池の自宅の食卓で、朝のトーストを食べているところに、妻の智代が話しかける。
「あのね、前から聞きたかったんだけど、ニュースに出ていたベストライフという会社の製品は、うちの会社が作っていたのじゃなかったの」
「ああ、そうだ。だけどうちは潰れる前に取引を打ち切ったよ」
「ベストライフの幹部の人たちって全員捕まったのでしょ。あの会社が何をしたのか、良く分からないけれど、うちの会社もそんな悪いことに加担したって言うことなの」

「悪いことに加担したって、人聞きの悪いことを言うものじゃない。うちは商品を作って納めただけだよ。悪いことはしていない。警察も来たけれど、商品の品質検査は問題なかったとお咎め無しだった」
「そういうことじゃなくて、そんな悪い人たちと商売しなくては、やって行けないのですか」
「分かったよ。これからは相手をよく調べてから商売するよ。それよりお義父さんの病状はどうなんだ。おっと、もう時間だ。こんなこと話してられない。電車が来るから、もう行くよ」
中山に住む智代の父親、岩出富太郎は急に身体を壊し、入院していた。智代はこんなことは何時もことだと、深く気も止めず、見舞いに行こうともしていなかった。
会社では、智代が指摘した同じ件で、龍平は俊平にこっぴどく叱られていた。
野須川寝具は、全国最大手量販店直営のデイスカウントストア、Jマートや、大手の通販会社、陽光通販や、大手農機具メーカー、関田農機の農協通販部門などに商品を卸すようになっていた。総てこの二年間に龍平が、苦心の末に開拓した先である。そのような上場企業なら、ベストライフ社のような反社会的組織と商売して、利益を上げた企業とは取引解消を言い出す恐れがあった。
しかしそうは言うものの、収益貢献度を比べるなら、ベストライフ社一社が、それら上場企業からの注文生産の収益合計よりも勝っていたことも事実である。
複雑な思いで、十一月十九日、龍平は東京の新大久保の壺井の事務所を訪れた。
ふと駐車場を見ると、黒色のベンツのSクラスが置いてある。
マンション一階の集会所を改装した様な広い事務所に、壺井は年増の女性事務員と二人きりだ。荻窪の時は若い奥さんが事務員をしていた。

「壺井社長、車を買い換えましたか」と龍平は挨拶代わりに壺井の車を褒めようとした。
「うん、あまり走ってないからと、兄弟から薦められたんや。一万キロも走ってないのや。こんな車が買えたのも、ベストライフさんのお蔭やな。だが悲しいかな、あの連中はまだ取調中や。しかしな、結局あいつら、年内に無罪放免やで。それはそうやろ。出資法違反でもないし、客には対価の商品渡してるんやからな。会社の資金繰倒産は民事やで。刑事にはならんのや。ただあいつら誰も金は持っていなかったそうや。遊興で全部使ったと。広島の新生会が、用心棒代として先にちゃっかり絞り獲っていたんやろか。分からんが」
「それにしても黒のベンツSクラスなんて、組の親分みたいじゃないですか」
「これで幹部会にも堂々と行けるしな。社長、車の話はええから、そこへ座って。おおい、お茶や」
「いいえ、どうかお構いなく」
女性がお茶を持って来ると、壺井は新しい事務員を龍平に紹介する。
「最近電話に出ていたのはこの女性なんや。社長には、ほんとのこと言うけど、これ、儂の元カノや。もうだいぶなるけど、昔、理由(わけ)あって関西におられんようになって、駆け落ちするように二人で上京して来たんや。でも儂、こいつの幸せ思うて、鶯谷の雑貨商の社長に嫁がした。儂に若い彼女ができたこともあるけどな。そや、それが今の家内や。だからこのお方は、今は歴とした金持ちの社長夫人ですわ。せやけど、また社長令夫人が、今頃になって、儂に会いたい、会いたい言いますんで、仕方なくうちの事務員に、昼間の時間だけ、鶯谷から来てもらうことになったとこういう訳や」
「そうですか。壺井社長にはお世話になっている野須川寝具の野須川です。改めてご挨拶します」

龍平との挨拶を済ませ、事務員は自分の席に戻った。再び壺井は上機嫌でしゃべり出した。
「せやけど、野須川社長には霊感でもあるんやろか。儂は社長からの連絡で助かったで。売掛金の取りはぐれが無かった業者は儂だけや。あそこから買った商品は、全部仲間内への進物に使ったから、あれはあれでええんや。それもあって、ベンツ一台兄弟から安く買えたという訳や。儂、野須川社長にどんだけ礼を言っても、言い足らんな」と壺井は大笑いをしたが、応接の対面でふさぎ込む龍平を見て、慌てて真顔に戻して、「そうや、ベストライフ社に代わる先、儂も必死で探してるんやが、見つけられんでご免やで」と龍平を慰めた。
「ベストライフ社からの受注量が増えた分、他社の生産スペースを絞ってしまっていましたから、今工場はスペースが埋まらず、大変です」
「そうか、そりゃ、儂にも責任があるわな。それで資金繰りは行けるんか」
龍平の顔色が変わる。暫くの沈黙の後、意を決して龍平は語り出す。
「実は、もう一度、厚かましいお願いに上がった次第で」
「何言うてんのや。社長と儂の仲やないか。そんなことやろと思って、儂も幹部会にな、社長の会社の二回目の審査してもろたんや」
「今月末ですが、いくら支払いを圧縮しても、かなり足らなくて。その一部でもお借りできればと」
「そんな遠慮は要らんで。全部でなんぼ足らんのや。言うてみて。儂も菊花組の企業舎弟の一人やで。どんな金額聞かされも驚かん」
龍平は言うべきかどうか暫く迷ったが、意を決して打ち明けた。

「一千七百万円不足するんです。その半分でもお借りできればと」
「はっはっははは。なんや一千七百万円かいな。実は社長の会社にはな、与信額は、二千万円降りているんよ。二千万円でもええよ」
「いいえ、二千万円は要りません。それではお言葉に甘えて、一千七百万円お貸し下さい」
「いいとも、明日でも振り込んだろか」
「いいえ、二十九日火曜日で結構です。それで金利ですが、前回より下げて貰えるんでしょうか」
「ご免な。金利の方はまからんとのことやった。なあにその内、儂が大きな仕事見つけてやるから、そんなものすぐ返せるで。じゃ振込は二十九日で良いんやね」
「それで振込先を変えても良いですか。それと今回も借用書は作りませんが、それも宜しいんですね」
「野須川寝具産業の口座やったら、どこでも振り込んでやるよ。借用書なんか糞食らえや。今までのように残高を互いにファックスで確認し合うだけでええ。社長が書類送れと電話してきたら、うちから貸付金元帳をファックスする。そして社長が書類受け取ったと再度電話する。これだけがルールや」

二十五日の給料日は資金が三百万円不足したが、月末の営業入金から返す条件で、俊平に頼んで出してもらい、事なきを得た。
俊平は意地悪く龍平に尋ねる。
「月末の資金繰りは大丈夫なんか。業者が会社に乗り込んで来るようなことはないやろな」
「大口仕入れ先には事情を説明し、支払いを待ってもらっていますから、なんとかなりそうです」

可愛げの無い奴だと俊平は舌打ちする。資金が足らないなら足りないと、何故正直に言わないんだ、どうせ月が替わったら、業者が集金に来て、儂に泣きつくに決まっているのに、と俊平は苦笑いした。
二十八日月曜日の昼休み、東京のグランフエザーの浜社長から龍平に電話が入った。今心斎橋のホテル日航にいるから、一緒にコーヒーでも飲まないかとの誘いだ。
ホテルの喫茶コーナーに行くと、浜は共同で事務所を借りている相棒のインテリアの貿易商と一緒だった。龍平も浜の会社で何度も見る顔だ。
「龍平さん、忙しいところ、すまないね。これから京阪で急いで八幡に行くんだ。例の京都一条だよ」
八幡工場から国道一号線を北に行き、木津川を渡ったところ京都一条関西支社があった。羽根布団のテレビショッピングで、最近急に名を馳せるようになった会社だ。金額はどうであれ、日本一の販売量であることに違いない。浜は京都一条の売上が伸びるに従い、扱う原毛の殆どを京都一条に回していた。
「浜社長、やはりテレビショッピングは凄いですね。とても太刀打ち出来ません」
「そうだね、半時間の放送枠の中で、何万枚もの注文が集まるのだからね。だけどダウン率三十パーセントの粗悪品」
「それをアナウンサーは、フエザーを先に言って、フエザー七十パーセント、ダウン三十パーセントの高級企画です、なんて言ってますね」
「みんな聞き違えて、量販店や百貨店で売っている七十、三十の羽毛布団だと思ってしまう。アナウンサーは高級羽根布団とはっきり言っているからね。決して羽毛布団とは言ってないのだから、詐欺広告にはならないのだよ。視聴者が勝手に勘違いしているだけ」

「それにしても、一万四千八百円は凄く安いですね。この前、今の時間だけ、九千八百円というキャンペーンもありました」
「そうだ、あの時は滅茶苦茶売れたよ。だけどお蔭でこちらの売掛金残高が鰻昇りなんだ」
「どういうことですか」
「あそこの本社工場は知っての通り、長崎県の離島だ。そこへ台湾から直接原毛をコンテナーで送っているんだが、中に入庫が確認できないから調査させてくれと、ごく一部なんだが、支払いを保留してくるんだよ。何時の間にか、溜まりに溜まって一億円を超えたのだ。もうこっちが持たなくなって、今から関西支社に談判に行くのさ。そんなことより、明後日の月末、君はいくら支払いしてくれるの」
「一応、一千二百万円用意しています」
「そうか、それは助かるね。ベストライフの破産で、君も大変だったろうが、よくそんな資金が出来たね。銀行からの融資かい」
「そうでなく、実は東京の壺井商店から借りました」
「ああ、そうなのか。彼もベストライフ社を君に紹介した責任があるからな。じゃあ頼みましたよ」
翌日、壺井は龍平が作った野須川寝具の第二口座に一千七百万円振り込んで来た。
月末の水曜日、そこから龍平は第二口座の普通預金から三百万を現金引き出しして、壺井の名前でなみはや銀行本店の当座に振り込んだ。それは俊平に借りた金を返す為である。そしてグランフエザーに一千二百万円、絶対に支払いを減額できない運送関係各社に、合わせて二百万円を振り込んだ。
龍平の頭の中に「背任罪」の三文字が、夜空に輝く星の様に無数に点滅していた。

第七章 終わりなき闇夜 その④ に続く